15 【小話】僕と父の約束 byロマン(後編)
15【小話】僕と父の約束 byロマン(前編)の続きです。
深い藍色の室内は、たくさんの分厚い本で埋め尽くされていた。
その前にどっしりと構える執務机が、より重厚な雰囲気を漂わせる。
「やあ、ロマン。来てくれてありがとう」
待っていた父様は対面する椅子から腰をあげると、僕の側へとまわって来た。
あれからしばらくして、ようやく姉様と別れた僕は今、父様の部屋の中にいる。
「姉様に関するお話ですか?」
気が張るのを隠して僕がすかさず尋ねると、少し困ったように眉を下げて頬笑み、優しく頭を撫でてくれた。
「ロマンは賢いね。今日は話したい事とお願いがあるんだ。そして今から話すことは誰にも言わないで欲しい、と言わなくてもロマンは大丈夫だろうけど」
「はい、勿論です」
それは当然のことだった。隠れて話すべき内容を、僕は口外などしない。
姉様に関わることなら尚更だ。――そう思いながら返事をすると父様は話し始めた。
「まず、今日コタくんに着けたチョーカーのことだが。あれは魔物から君たちを守るためだけに着けたのではないんだ」
告げられた言葉を反芻し、他にどんな意味があるのだろうと首をかしげるうちに続けられる。
「……ティアナから、コタくんを守るためでもある」
「え……っ?」
姉様から魔物であるコタを守る……? 僕はその意味を図りかねた。
「以前、その……ロマンを守ろうとしてティアナが魔力を発動した時のことは覚えているかな?」
あの時のことをあまり思い出させないようにするためだろう。言葉を選んで話す様子に、緊張していた心が少しなごむ。
「ええ。発動するところは見ていませんが、その時のことはヒルダから聞いています」
答える通り、魔力を発動する直前の話は聞いていた。行使後の疲れが滲む顔は僕も見ている。
それが何か関係あるのだろうか。
「うん。ティアナは私と同じ属性の魔力を持っているのだが……。何から話せばいいかな」
「僕は大丈夫です」
言いよどむ姿に、受け入れる準備は出来ているのだということを暗に伝えた。
「そうか……ありがとう」
父様は礼を言うとまた僕の頭を撫でる。そして息を一つ吐いてから、ゆっくりと口を開いた。
「まず、あの子がはじめて魔力を表面化させたのは二年前なんだ。ちょうど私がこの国を留守にした際、結界に亀裂が入る事象があった」
言われてすぐに浮かぶ出来事がある。
一度だけアンテウォルタの結界に入った亀裂――そこから魔物の侵入を許してしまったはず。
「それは話に聞いたことがあります。姉様が新しく結界をはって亀裂部分をふさぎ、それ以上の侵襲は防いだと聞きました」
「ああ、そうだ」
二年前の結界の亀裂は随分な惨事だった。
僅少にも関わらず、侵入した魔物が近くの公爵家を滅亡させたと聞いている。
騎士団も間に合わず、助かったのは唯一の子息ただ一人だったらしい。
姉様が功績したということはレハール家に来てから知った。
「遠く離れるこの邸にいたティアナは、感知した魔物の気にあてられ、意識とは関係なく自己防衛するように目覚めたんだ。いわば暴走。だからあの子は結界をはった直後に気を失った」
「……っ」
それは初めて耳にする話だ。魔力をきちんと習っていない姉様の体は、多分まだ何の準備も出来ていなかったのだろう。
その場面を考えるだけで胸が締めつけられた。
「私が、それからすぐティアナに魔力を修得させるべきだったかも知れない。でも出来なかった……いや、したくなかったと言うほうが正しいな」
自嘲気味に言うが父様の気持ちは痛いほどわかる気がした。魔力を持て余し、倒れてしまうような姉様に、教え込むのは酷すぎる。
「そのせいであの子はまだ自分の力を把握せず、制御の仕方も知らない。だから、コタくんという魔物と触れ合うことでいつまた同じ事が起きるかもわからないと思ったんだ」
「それで……僕たちだけでなく、コタを姉様の魔力から守るために着けたのですか……」
「その通りだ」
ようやく『守る』の意味を理解した。
父様は言ったあと、少し戸惑う様子をみせて口をつぐむ。――そう、本題はそこではない。
「でも、今日の話はそれだけではないですよね。僕がレハール家に招かれる直前にも、姉様は数日寝込まれたと聞いています。そこに養子を迎えた経緯がある……そのことについて、ですか?」
「……ロマン。君は理解も早いが、本当に賢い」
先回り続きをせかす僕に、眉を寄せて苦そうにする父様は本当にとても優しいと思う。
だから僕は大丈夫だと安心させるように笑顔で求めた。
「そう、ロマンが邸に来る前のことだ。あの日、結界視察に行く私は、せがむティアナを同行させてしまった。そしてほんのわずかに目を離した隙、あの子は対峙した魔物の気を目前に、あてられた気と自分の中から解放することができなかった魔力に倒れたんだ……っ」
当時を思いすように顔をしかめては、目を伏せる。
そしてもう一度開いた目線で僕を捉えると苦し気な表情のままひざまずく。
「ティアナが意識なく眠り続けるうちに決心した。いつか私がいなくなってしまう時、あの子を一人にしないため誰かを養子に迎えようと。そして私が選んだのは、親族の中で最も魔力に長けていると見込む……ヘテロクロミアのロマン、君だった」
言いながら僕の両肩に手を置く父様は、それは申し訳なさそうに、泣きそうな顔をしていた。
ヘテロクロミア――それはこの目を持ってしまった大半が、人の知り得ない類の魔力を有したせいで穢れと言われるのだと。
最近、理解したばかりのそれが、選ばれた理由だったとわかる。
「私はとんだ親馬鹿者なんだ。こんなことで君を巻き込み、養子に迎える真似をしてすまないと思う。何を言っても信じてもらえないかも知れないが……。今の私が、ロマンを本当の息子だと思っていることは確かだ」
その言葉に嘘はないこともわかった。
父様が、姉様を思う気持ちと同じくらいに僕を大事に思ってくれていることは、その表情と肩を強く掴む両手より伝わっていたから。
「だから、これはただのお願いだ。ロマンが嫌なら断っていい。断ったからといって君に対する思いも、私の息子であることも変わりはしない」
そこまで言うとやはり唇を引き結ぶ。あらかたはのみ込むが、それでもまだ躊躇して決定的なお願いを口にしない父様に先を促す。
「今、心にあるすべてを話してください」
すると父様は「ロマン……」と呟くように僕の名を呼んだ後、決したかに結びを解いた。
「私の魔力は少し特異でね。あの子もおそらく同様の性質を継いでしまっているはずだ。その場合……いずれこの国の結界をはる任を主として担うことは必然になるだろう」
「……はい」
「それは結界の責任が双肩にかかることでもある。私は男子だからいいが、女の子であるティアナにも同じく背負わせることはやはりためらう。だから、その一端を誰かに引き受けてもらいたいと、そう思ってしまった」
父様は真摯に言葉を紡がせたあと、真っ直ぐに告げる。
「ロマン。出来れば、あの子を助けて……支えてやってはくれないだろうか」
そうしてしっかりと合わせられる目を見つめ返す。ついで息をのむ様子を眺めた僕は――。
「……いいえ。そんなお願いはおかしいです」
切望された思いを噛み締めて、ゆっくりと答えた。その発言へ静かに頷く父様は、ふうっと体の力を抜いてやわらかく頬笑んだ。
「――そうだね。ロマン、すまなかった。あまりにも身勝手すぎる……」
「それは父親が息子にするお願いではありません。家族なのでしょう? 僕が姉様を助けるなんて当たり前すぎます」
すぐに遮って続けながら、肩に置かれた父様の手を包むように指を添えて、僕は笑った。
自然と顔はほころんでゆく。僕に家族を与えてくれた人の願いを拒むはずがないのは無論のこと。
でもそれは、――なんて簡単なものだろう。
姉様を守れたら、とさえ思う僕には託されるまでもない願いだった。
「ロマン……本当に、いいのかい……?」
目を見開いた父様は、少し放心したように言う。
「はい。むしろ、僕を選んでくれたことに感謝します。是非その役目を任せてください」
姉様が受け入れてくれたあの時から、自分の目が嫌いではなくなっていた。
だけど今、僕は初めてヘテロクロミアで良かったと心から思える。
この目だったからこそ、守ることが出来るかも知れない――そう思えば誇らしくもなる気がした。
「ああ、ロマンっ……ありがとう。本当に……私たちの家族になってくれて、ありがとう」
そうして僕はぎゅっと抱き締められた。
この邸に来てから、僕は本当にたくさん抱き締められるようになったと思う。ここにいてもいいのだと、いらないはずの僕を必要としてくれた。
そして、悪魔の子と呼ばれたヘテロクロミアにも意味を持たせてくれたのだ。
すっぽりと収まる腕の中で幸せに包まれてゆく僕は、溢れるありがとうの思いを込めるように父様の背中へそっと手をまわした。
***
あの後、僕は進んで魔力の指導を父様に願い出るが、そんなつもりではないのだと一旦は断られてしまう。
姉様と一緒で、父様もどこまでも優しい。けれど僕は少しでも早く守れる強さが欲しかったから。
それが本心の望みであることを真剣に伝えれば、理解を示して渋々ながらも了承してくれた。
それからは僕が喜んで習う様子に、今は父様も楽しそうに見える。
男同士の秘密の特訓だから、と蚊帳の外の姉様だけが少しむくれているけれど。
その姿は何だかとても可愛くて、なおさら守れたらと思う僕は、今日も魔力の修得に励むのだ。
「もうー……二人とも、まだ終わらないの?」
そんな時、声が聞こえた扉の隙間からじっとりと拗ねる目を覗かせる姉様に気づく。
「お父様ばっかりロマを一人占めしてずるいよ。ロマも、魔力を習うのなんかまだ先でいいのに……いつ私と遊んでくれるの? 今でしょ!」
一気に言い終えて「ロマのばかあ!」と駆け出したかと思えば、遠くから「でも、好きー!」と聞こえて笑顔がこぼれる。
「言っておいで。そろそろ彼女の我満も限界らしい。これ以上機嫌を損ねたらあとが大変そうだ。」
姉様の去った扉に向かい合い、父様に背を向ける後ろから言われた。
「わかりました。そうします」
僕がそのままの姿で返したのは、腕で抑えた赤らむ顔を見られないようにするためだ。
そして必死に頬の熱を冷ましつつ、辿り着いた扉へ手をかけるおり。
「ありがとう、ロマン。君の風の力なら、きっとティアナの水が滞らないように流してくれると思う」
不意に語られて振り向くと、父様は優しい目線でにっこりと微笑んだ。
「いつか、その時が来たらすべて話すよ。……いいかな?」
次いで寄せられた言葉に瞬く。
姉様の幸せは、もとより僕自身の願い――それゆえ、先日わずかに抱いた気がかりさえも、すべて理解するのだとわかる。
それはあの日の、必然という言葉――。
すべてを話して欲しいと促した上で語られたことだからこそ追求はしなかった。
だけど今、僕も何となく……父様の想いが少しだけ、わかってしまった。
その『いつか』は、来ないほうがいいのだ――。
「はい」
だから短い返事を笑顔で応えたその後に、開かれた扉の前でこの胸に誓う。
――もしも未来に何かあったとしても、姉様を必ず守るから。
強く鼓動する心にそう刻み、僕は大きく足を踏み出していった。
 




