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15 【小話】僕と父の約束 byロマン(前編)

 ――心は、時を刻むように鼓動するだけ。



 並べられた人形と同じに繰り返すのは、ひたすら続く沈黙の時間。


 どんな言葉や扱いにも心は動かない。何を感じることもなく送るのは、なされるがままを受け入れる日々。


 いつだったか、人のような心を望む人形の絵本を読んだ。

 それはなぜかと思う。感情に動かされて作られる泣き顔や怒り顔、笑った顔さえもすべてが歪みから生まれるのに。


 最後、願いを叶えた人形は幸せだったのか――。



 思い出せずに僕は座る。

 いつもと変わらず、とくりとも動くことない人形の隣で……。


 動かない心が刻む音をただ静かに鳴らしながら。



***



 バルト邸に並べられるたくさんの人形。

 それは、(あのひと)や腹違いの姉のもの。


 人形は、人の感情に操られるだけで何も感じることはない。同じに心が動かない僕も人形なのだと思ったが、正確には同等と言えない。


 なぜなら、双眼の色が異なる間違った目を持つ僕は、もとより不完全だからだ。


 壊れた人形のように捨てられこそしないが、選ばれることもない。けれど、抱き締められる人形を目にしても、自分がそうされたいとは思わない。

 何が冷たくて優しいのか、わからない僕には羨ましいという気持ちもなかったのだ。



 ただ、時おり僕を撫でる風だけは心地よいと感じられた。

 暖かさや涼しさを与えてくれる、なだめるような流れにはそう思った。



 それから、感情で心を動かす彼女たちは不自由そうだと考えていた。一喜一憂する人の顔というのはどれも歪んで見えたから。

 同時に、色んな思いを人形へ寄せる様を眺めて、女性は自分が意のままにできる従順なものが好きなのだと理解する。


 そして僕は、この世界でずっと……単に鼓動を刻み続けるしかないのだ、とも。



***



 頭上で輝く太陽が眩しすぎるほどに新緑を照らしている。


 色とりどりに花やぐ庭園は鮮やかにきらめくが、一人で眺める景色はとても味気なく思えた。



 いつものようにレッスンを終えて、すぐさまサロンに向かったが一足遅かったのだと知る。

 そうして僕は仕方なく、庭に面したテラスで椅子に座り、その人を待った。


「早く会いたいです……」

 遠くの空を見つめながら囁くように呟いた。思いを向けるのは自分にとって唯一の存在。



『――ロマ、大好き!』


 そこにいつもの笑顔が浮かべば、自然と気持ちはやわらいだ。

 僕も姉様が大好きです……そう返すように思うと、わずかに頬は緩む。



「待っている時間も、姉様のことを考えるだけで幸せになるのですね」


 今までは知らなかった感情を、溢れるまま口にしてふと思う。――誰かを待ち望む。その行為は勿論、心を持つことも初めてなのだと。

 それは今まで、自分にはまったく関係のないものだったから。


 優しい風が僕を撫でた。知らずに伏せたまぶたを上げると、柔らかな流れは髪をくすぐる。

 誰しもへ同じに吹く風は、あの頃からいつもなだめてくれた。僕はゆっくり微笑むと、心を紡ぐ。



「大丈夫です。もう人形ではなくなったけど、心はあの頃よりも穏やかなんです」


 そう告げると風は安心したかに、さあっと僕の側を吹き抜けていった。



 連なって通りすぎたのは、(かす)かに残ったままでいた記憶。

 その、今では思い出となる景色が、少しばかりの過去を振り返らせた――。



***



 レハール邸に来た僕は、突然変わった世界のすべてに戸惑っていた。


 僕を家族にすると言った侯爵を風変わりに思う、それ以上に不思議を感じたのは……。



 ――ティアナ・レハール。

 令嬢であるその人は、他の誰とも違っていた。



 馬車の中で渡された眼帯をしていたからではあっても、僕を『弟』と言い放つ嬉しそうな姿に驚く。

 一夜に見た夢話かと思えば、翌朝すぐ、再び彼女のありったけの力で抱き締められた。


「あ。ロマ、ごめんね?」

 赤くなる僕の顔色を見て、彼女は呼吸をふさいだと思ったらしく謝られたけれど。

 本当は僕が息の仕方を一瞬忘れてしまっていたのと、彼女の熱がうつったのが原因だ。


 ――そう。僕はこの時はじめて、人の体温というのは温かいと知った。



 彼女はすました顔などは一度も見せなかった。

 感情のままにころころと変える表情もなぜか歪みに感じない。向けられる屈託のない笑顔で、初めて会った時からずっと、ごく当たり前に何度も抱き締められて……心が少し揺れるように動く。


 でもまだ僕は、彼女がたまたま選んだ人形のつもりでいた。ここには――他に人形がなかったから。



 だから望まれるままに従順でいたのだけど。

 やはり不完全だった僕は粗相をしてしまい、そしてわずかにちくりとした。


 それは勝手に動き出しかけていた心のせいだと、必死に鎮める最中(さなか)。静かになる空気に顔を上げる……。


 瞬間――、落ち着くどころか心は跳ねた。



「……どうして、泣いているのですか?」

 無意識にも問いかけた相手は、なぜか大粒の涙をいくつもこぼし続けていたのだ。

「ロマが傷ついてるから。ロマの心が痛いのが、痛い……」


 返ってきたのは思いもよらない言葉。

 それはどんな暖かな風がなだめるよりも優しく、僕の心をつつみ込んで動かした。


 その瞬間から、僕は人形でなくなってしまったかもしれない。

 だけど、不思議と痛みは感じなかった――。



 心の奥に、ぽっと小さな明かりが灯る。

 それがじわじわと広がり、僕のすべてを温めてゆくのはとても幸せな心地で……。

 あの人形が欲しかったものはこれなんだと、いつか見た絵本を思い出した。


 人形はきっと幸せだったに違いない、――『今の僕と同じように(・・・・・・・・・)』。


 そのことに気づくと同時に、僕は怖くなった。



 幸せ――。自分が得ることはないと、期待さえしていなかったものを手にして襲ったのは失う恐怖。


 わずかな幸せすら何かも知らなかった、人形ではない今になって……あの頃へ戻ることは元通りになるよりもつらく思えた。


 姉様だけには嫌われたくない。

 誰かに好かれたいなど、以前は持ち合わせない感情だったが、今は浅ましくも願ってしまう。

 そして僕は、この右目の秘密を知られてしまうことを本心から恐れていった。



 ……けれど。偽りの自分が握り締める幸せは儚く、はがれた眼帯と共にこぼれ落ちた。



***



 はじめて一緒にいたいと思った。

 この日々が続くことを心から願った。


 それがもう叶わないというなら。姉様に嫌われてしまうのなら、僕はもう……。


「もう、生きていられ……っ」

『お前なんか初めからいなければ良かったのよ!』――。


「な……い」

 吐き出す悲痛と重なって頭に響く。

 ふさがれる耳に声は届かなかったけれど、心に届いたその言葉は――すとん、と僕の中に落ちてきた。


 ……ああ、そうだ。そもそも僕は……。


 初めから『いなければ良かった』んだ。



 そうして、屋根上に立つ僕は笑んでいた。

 これで姉様には嫌な思いをさせなくて済む、そう思ったから。

 存在する、それだけでも(あのひと)を不快にさせてしまったように。


「僕は、姉様から嫌われずにいられる――!」



 それから嬉々として風に身を任せることで、ようやく鼓動は止まるはずなのに。


 なぜかまだその音を鳴らし続けるのだった――。



***



「――あの時は、ごめんなさい……。姉様……」


 思い出して胸が少しきゅっとなる。けれどそれは自分にではなく、間違った判断で姉様にあんな顔をさせてしまったことに対して。

「でも……僕は、とても嬉しかったんです」



 姉様は泣くほどに、真剣に怒っていた。

 それは僕がこの(やしき)に来て初めて見た姉様の顔で、掴まれた腕も痛くなるくらいに、すごく怒られた。


 すごくすごく責められて、そして痛くて。……なのになんでだろう。とても嬉しくて、やわらかな気持ちになったんだ。


 ――ヘテロクロミアは悪魔の子。

 本当は、人形にもなれない穢らわしいだけだったはずの存在。だけど、姉様はこの目を「私が大好きなロマの特別なの」と言ってくれた。


 僕のことを……ヘテロクロミアでも、人形でもない、――『特別』って。



「姉様の目と似ているかな?」

 言いながら眼帯に隠れる右目に触れると、抱き締められた姉様のぬくもりもよみがえった。

 それはとても温かくて、とても安心するもので、思わず頬がほてる。

「人形だった僕に、(いのち)を吹き込んでくれた人……」

 彼女を思い出すほどに、頬笑みが湧き上がってゆく。


 怒り顔も泣き顔も、笑っている顔さえも、本当は全部が嫌いだった。

 歪みに見えただけじゃなくて、人の顔はどれも醜いとしか感じられなかったんだ。


 けれど姉様は違う。すべてが――綺麗だ。



「だけどやっぱり、笑ってる顔が一番好きです」

 小さくこぼして思う。もう、絶対に姉様を悲しい顔になんてさせはしない。


 そして、僕がその笑顔を守ることが出来たなら……。



***



 ――そんな思考を巡らせる時、帰りを今かと待ちわびた姉様の気配を感じた。



 僕は慌てて馳せた思いを閉じ込めると、弾む気持ちで玄関へ急ぐ。


 出迎えれば変わらない笑顔を向けてくれたけど、なぜだか僕をホールの奥へと押し込むように追いやった。それを不可思議に思うと同時、強い違和感を覚える。

 すぐにその感覚をもたらす元をたどり、目にしたものは。



「姉様……っ」


 姉様の胸に抱かれるのは、紛れもなく――魔物――だった。


 ストールでくるまれていたが、魔力のある僕にはわかってしまう。そして僕は口を開くなり、すぐさま引き剥がそうとした。


「しっ!」

 すると間髪いれず、姉様の指先を唇に押しあてられて固まる。そして触れた指がほどなく離されると、僕はすぐさまうつむいた。

 ……びっくりした……。


 口を手の甲で押さえながら、うるさくなる鼓動をおさめる。だけど、そうして視線を下げたことで気づくのだ。



「……この子を、助けようとしてるのですか?」

 魔物がくったりと力なく体を預ける様子に、そう問いながら顔を上げれば、姉様は嬉しそうに目を細めた。

「やっぱり、ロマはすぐにわかってくれたね」

 そう言って頬笑むも、つと心配そうに眉を下げて魔物を見つめる。


 確かに、抱いているのが魔物とわかった瞬間こそ驚きはした。

 けれど姉様の優しさを身をもって知る僕は、その行動を即座に理解することが出来る。


 努めて平常心を取り戻すと、事のなりゆきを伝える姉様の話に耳を傾けた。



***



「――だからね、元気になるように部屋でお世話をしたいの」


 その内容も想像に難くないものだった。

 姉様にとっては、人も魔物も変わらない。同じ生あるものとして接する姿はとても彼女らしい、そう思えた。


「わかりました。ですが僕も一緒にいてもいいですか?」

「勿論よ!」

 姉様の気持ちを汲んで、自室へ連れていくことに了承する。変わりに僕も同席することを許してもらった。

 それを、僕も一緒に世話をするための申し出と受け取る姉様は、喜んで部屋へと招き入れてくれた。



 うさぎのような魔物は思いのほか可愛らしく、害がある様子もない。

 彼女が思う通り、弱々しい具合が気掛かりだったのは事実。


 ――でも、僕の優先順位は姉様だ。



 何かあった時は僕が守る、その気持ちから側にいようとしたのだった。



***



 それから二人で世話をしていれば、父様が帰邸(きてい)し、諸々は無事に解決できた。


 魔物を『コタ』と名付けて嬉しそうにする姉様の横で、懸念が拭われた僕も安堵に顔をほころばせる。そのなごやかな空気に包まれる時――。



「……ロマン。すまないが後で私の部屋に来てくれないか?」

 不意に僕の耳元へ顔を寄せた父様が、そっと囁いた。コタと一緒に暮らせることに喜ぶ姉様には聞こえないように。


 そうした様子から、僕は声を出さず静かに頷く。


 父様は答えを目で確認すると、微笑みながら姉様の部屋を後にした。



 そして、きゅっと手を握りしめる僕は、心の中に少しの緊張を走らせるのだった――。

15【小話】僕と父の約束 byロマン(後編)に続きます。

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