廃坑の死体
深夜の山道にある、すれ違う車両のために少し出っ張った部分で車を止めた。
日付は既に変わっており、往来する車はない。
手袋をした手でドアを開けて外へ出た。
漆黒の闇に対して本能的な恐怖を覚えるが、同時に自分のすることを隠してくれるという安心感もある。
自分を落ち着かせながらゆっくりと歩くが、動悸が激しくなることまでは止められない。
悪いことをしているわけではないのに、秘密めいた行動を取るだけでこんなにも緊張するものなのかと内心驚く。
トランクを開けると、黒いごみ袋をふたつ取り出しては崖下に投げ捨てた。口はテープでぐるぐるに巻いてある。
全てを投げ捨て終わると、急に体の力が抜けてくる。まだへたるのは早い。気を抜くのは後始末が全て終わってからだ。
再び体に力を入れて車内に戻る。
エンジンを再びかけると車内が少しだけ明るくなった。
少しだけハンドルに額をつけて休んでから、私は車を出発させた。
黒いごみ袋を捨てる三ヵ月前、俺は友人達に誘われて廃坑探検をしていた。
今まで何のかんのと断っていたが、会社を首になって暇になったこともあって誘いに乗ったのだ。
子供のやる探検ごっこと違って、本物の放棄された場所へ向かうにはしっかりとした装備が必要と忠告されて、俺は言われるままに必要な物を一式揃えた。そうはいっても友人達も鬼じゃない。最初ということでお古を譲ってくれたので、自分で買ったのはほとんどなかった。
俺が一緒に入った廃坑は何十年も前に不採算を理由に閉山したらしい。坑道を支える柱が今にも崩れそうで、しばらくの間は危険を感じて気が気ではなかった。
しかし、何か不自然な物を見つけた俺はそちらへと気を取られる。
「あれ? 沖田、あれなんだろう?」
「何がだ?」
二人の友人のうちのひとりに俺は声をかけた。その友人のために、ヘルメットに付いているライトの光をそちらへ固定する。
「ほんとだ。何かあるぞ」
もうひとりの友人である木下が先に気付いて、そちらへと向かってゆく。好奇心が強いため、木村は興味を向けたものには何にでも向かってゆく性格だ。
「うお?! これ、骸骨じゃん!」
「「は?」」
俺と沖田は顔を見合わせると、急いで木下の後を追った。
ヘッドライトに照らされた廃坑の奥に、一瞬ごみかと思えるようなそれはあった。近づいてみると確かに白骨化した遺体だ。相当年月が経過しているらしく、至る所が苔むして深緑色に変色している。
「うわぁ。なんだよこれ。なんでこんなのがここにあるんだよ」
俺は思わず口にした言葉は、思ったより坑道内に響いて少し驚いた。
「浮浪者か何かの死体かな?」
「いや、こんな奥まで普通は入ってこないだろ」
沖田の言葉に俺は否定的な意見を返した。
山奥にある廃坑をねぐらにするだけでも相当な変わり者だというのに、入り口から三十分くらいのところで野垂れ死にしているのはどう考えてもおかしい。
あと、入り口付近に生活した痕跡はなかった。
「でもどうしてこの死体は裸なんだ?」
「は? なんでそんなことがわかるんだよ?」
「だって服だった物が何もないじゃん」
木下の指摘に改めて死体とその周囲を見てみる。確かに何もない。
「ということは、こいつ、死んだときは裸だったってことなのか?」
「え、靴も履かずにここまで来るなんて無理だろう」
またしても沖田の言葉に俺は否定的な意見を返す。
丈夫なブーツを履いていても大変だったというのに、素足なんて絶対無理だ。
「あれ、何か握っているぞ」
「おいよせって」
俺の注意を無視した好奇心旺盛な木下が、死体の握っている何かを手に取ってみる。既に骨だけになっているので簡単に抜き出せた。
「あれ、これお札?」
「ほんとだ。一万円札っぽい」
それはかなり傷んだ紙幣だった。銀行に持って行ったら新品と交換してくれるような気もするが、さすがにそんな気にはなれない。
「なぁ、なんかやばくね? 引き返そうぜ」
「うーん、そうだなぁ。死体なんて見ちまったしなぁ」
「あはは。しょうがないな。それじゃ、今日はここまでにするか」
沖田も俺の意見に賛成っぽいことを知った木下は、仕方ないといった様子で俺の意見を受け入れてくれた。
結局その日は、一時間程度で探検を切り上げた。
去り際に木下はその紙幣をぽいと死体に投げたが、さすがにあんまりだったので俺はその紙幣を手元に戻してやった。
二人には物好きな奴と言われたけど、さすがに木下の態度はないと思ったからだ。
初めての探検で衝撃的なものを見て多少ショックを受けたが、日が経つにつれてそれも和らいでいった。
死体については警察には連絡しなかった。基本的にああいった所は立ち入り禁止なので、通報すると俺達も色々と面倒なことになるからだ。それに、どうせもう行くこともないのだから、このまま忘れてしまえばいいとも俺は思っていた。
しかし、廃坑に行ってから一ヵ月ほどが過ぎた頃に、木下の金遣いが急に荒くなったという相談を沖田から受けた。
「いつも金がないとぼやいていた木下が、あれもこれもと何でも買いやがるんだよ。しかもあいつ、会う度に飯をおごってくれるんだぜ」
俺と違って沖田と木下はつるむことが多いから、すぐに気がついたらしい。
「宝くじでも当たったのか?」
「どうもそんなものらしい」
まじか、と思わず言葉を返す。俺なんていつも十枚ずつ買っているのに当たったことなんてないのに。
そして今度は沖田の羽振りが急に良くなった。前から欲しかった高額の道具などを次々に買ったと自慢してくるようになった。
俺なんて初めてあいつに寿司をおごってもらったよ。回らない方のな。
話を聞くと、やっぱり宝くじに当たったかららしい。
「いいよな。お前といい木下といい、ついているじゃないか」
羨ましそうに言う俺に対して、沖田は上機嫌に笑っていた。
少し悔しく思ったので、この日は食えるだけ寿司を食ってやった。
そうして廃坑に行ってから三ヵ月目が過ぎようとする頃になって、玄関の前に黒いごみ袋がふたつ置いてあって驚いた。
俺の玄関先はごみ置き場じゃないと怒りながら近づいていくと、封筒に入った二通の手紙が別々にごみ袋のしたに置いてあった。
一体誰からの手紙かと見ると、驚いたことに沖田と木下だった。
それによると、この黒いごみ袋にはいくら使っても減らない金が入っているらしい。ある日玄関の前にこれらが置いてあったので中を見てみると、驚いたことにピン札が束でいくつも入っていたという。しかもこれ、いくら使っても翌日には使った分だけ補充されているそうだ。
しかし数日前から以前行った廃坑で見かけた死体が、ただの白骨から肉がついて生き返る夢を見るようになる。そしてそいつが、どこまでも追いかけてくるということだった。それに耐えられなくなった二人はこれを手放すことにしたそうだ。
最近はすっかり忘れていたあの死体を、こんな形で思い出してしまって硬直する。
「なんでそんなもんを俺んところに持ってくるんだ」
思わず呻くように呟いたものの、目の前にあるものはどうしようもない。
手紙もこれだけしか書いてなかったので、俺は一旦黒いごみ袋のひとつを開けて中を見てみた。
すると、中にはピン札ではなく、かなり傷んだ紙幣が大量に入っていた。ちょうどあの廃坑で見かけたみたいな。
それに気付いた瞬間、俺は急いでこれを捨てることにした。こんなものをピン札だと言うあの二人は既に相当おかしいし、それがあの廃坑の死体がらみだというのなら全力で逃げないといけない。
そのままごみ置き場にでも捨てようかと思ったが、人目につくのはまずい気がしたので俺は隠れて処分することにした。こんなこと、誰にも相談できない。
廃坑に行ってから四ヵ月が過ぎた。さっさと捨てたのが良かったのか、あれから何も起きていない。手紙に書いてあった夢も今のところは見ていない。
一方、沖田と木下とは一ヵ月前から連絡が取れなくなっている。そんなに頻繁に会うような中ではなかったが、さすがに一ヵ月も音沙汰なしというのはおかしい。家族が捜索願を出したそうだが、たぶん見つからないんじゃないかと思う。
さて、こんな時間だがチャイムが鳴ったので、誰が来たのか確認してくるとしよう。