夏はもうすぐ終わりを告げる
起きれてよかったと微笑む母に、タイムリミットは近いと告げる。
朝食を食べている時間はない。
それにしても、夏の課題が見つからない。
机の中身をひっくり返して課題表を引っ張り出すと、今日提出のものを確認した。
上から順にひとつひとつ探したのだが、ひとつだけ、どうしても見つからない。
スマートフォンの画面を明るくして、そこに示された数字にゾッとする。
あと5分で家を出なければならない。
とりあえず、夏の課題を見つけ出すのは諦めよう。
うん。ひとつぐらい、どうってことない。
特に真面目な生徒でも、なんでもないんだから。
先に見つけた課題達を乱暴にカバンに詰め込むと、そこにペンケースを投げ入れる。
リビングまで駆けた。
そこでは母が、呑気にタバコを吸っている。
その側で、超特急で着替えを済ませる。
その間にレモンティーをガラスのコップに注いだ母が、口を開く。
「ご飯、食べないんでしょ?飲み物だけでも飲んで行きなさい」
もちろん、素直に聞く。喉乾いてるしね。
ヒンヤリ冷たいコップを掴むと、ゴクゴクと一気に飲み干した。
なんせ、時間がないのである。
忙しく駆け回る私を見て、愛犬はキョトンとする。
そりゃ主人が1ヶ月近い間、あれだけ怠惰な生活を送っていれば、犬なんかがそれ以前の習慣を忘れてしまっても無理はない。
大丈夫、すぐ思い出すだろう。
今度は洗面所に駆けた。
洗面台の引き出しからコンタクトレンズの束を取り出し、そのうちふたつを引きちぎる。
今装着する時間はないので、そのままポケットに突っ込んだ。
ついでに髪の毛も整えよう。
といっても、このボサボサヘアーをきっちり整えている時間なんて勿論無い。
と、言うことで、適当に櫛で梳かした後はゴムで束ねておく。
これである程度は隠せてしまうのだ。
これだから、やっぱりショートヘアーにはできないと思う。
ロングヘアーは鬱陶しいしイメチェンもしてみたいけど、朝の手間が増えるのはごめんだ。
洗面所の向かいにある自分の部屋で、さっきのカバンをひっつかむ。
「いってきまぁす」
母は愛犬を抱いて、玄関まで見送ってくれる。
「革靴なら、そこの中よ」
と、彼女は靴箱を指す。
普段なら出しっ放しにしているが、長い間履かないでいたもんだから、靴箱に仕舞われてしまったのだ。
仕切り直して、踵まで革靴に押し込むと、扉に手をかけた。
「今度こそ、いってきます!」
「いってらっしゃい」
生温い陽射しが体を包み込む。
スタートには相応しい蒼い空を見上げて、私は一歩を踏み出した。
始業式の日は、いつもよりずっとカバンが軽い。
その軽さに長らく学校に行っていなかったのも相俟って、重大な忘れ物をしているような気がして、不安になる。
それでもやっぱり、きっと何も忘れたものなんてない。
私たちはこの夏に、何か忘れ物をしたのかもしれない。
でも。いまさら取りに帰ることはできない。
だって、時間はどんどん迫っているから。
短い夏に忘れた何かを探してなんかいたら、短い青春が終わってしまう。
だからまっすぐ早歩きで。
悔いのないよう、今しかできないことを今楽しもう。
終業式には蝉の声で、耳鳴りがするほどうるさかったこの並木道。
今ではすっかり静かになってしまった。
せいせいするぜ。
まだまだ暑さは厳しいけれど、いずれ過ぎ行く夏だもの。
……駅に着き、リール付きの定期入れに手を伸ばす。
そして、颯爽と……
颯爽と?
何度それを機会に押し当てても、反応がない。
まさか。
定期入れを持ったその手を、そのまま顔の前に持ってくる。
あれ……定期が、ない……定期、家に忘れた……財布も……
遠くでは、微かに蝉の鳴く声が聞こえた。