雪の涙
話の調が暗いのが苦手な方はあまりおすすめしないかと思われ(´・ω・`;)
「もう無理だ。じゃあな」
ほぼ何も無い唯の居室に下に俯いている少女と、三十代ほどの男性が立っていた。男性が発したのは別れの声、俯いているのは落胆ではなくもう慣れたかのような自分への嫌悪感。
「......そう」
荷物を持って出ていく男性を、長い前髪で檻のように遮られながらも横目で見続けた。
(......これでまた一人)
これで何人目かなんて私は気にしていない。悪いのは男の方だ。自ら寄ってきてそして愛想が尽きたらさようなら。私は何もしていないのに。そう、私は......
────カクン。心が乱れたのか首に痛みが走る。......一瞬のうちにして脱力。六畳ほどの畳の冷たさと鼻につく匂い。唐突の訪れも静寂にかき消された。
※※※※
目を開けるほどの力がないのか瞼が重かった。首に違和感を感じ、少しずつほぐしていく。瞬きを数回繰り返し、ようやく視力が戻った私は前を見た。目の前には白色をした板...ではなく天井で、奥の方には扉が付いていた。体が縛られているかのように動かなかったので、少しだけ横になろうとした瞬間、身体中を駆け巡るかのように寒気が襲った。 一枚しか服を着ていないかのような直接寒さが染み込んでくる感じは...
「また...か......」
此処はホテル。スイートスノウホテルで、一枚しか着ていないのではなく、元々布団が一枚しかないだけ。 左に目を向けると小さなテーブルには、いかにも高価そうな金メッキのバックと財布。昨日から点けていたのか、ぼんやりと光る電球。ここまでくれば間違いなく私の仕業。────正確にはもう一人の私。どうせ今まで貯めてきた月給をほぼ使い切ったのだろう。
熟女らしいイヤらしさを放つとまで分かっていて、お金をとにかく使いまくり、人格変動が生じて再び目を覚ますと消えている。大人だからなのかホテル代と帰る分のお金だけは残してあるが。バックと財布、衣服を着用し真っ先に外へ出た。
※※※※
慣れているのでさっさと家へと帰り、大学へと行く準備に取り掛かった。今年から医学部に所属となった私は高校の時から「多重人格」について勉強し続けている。面白がってついてきたり興味本位で遊ぼうとする男達は、多重人格の本当の恐ろしさに気付いて逃げていく。度が粗い眼鏡をかけ、布が所々破けている帽子を被り、髪の毛を適当にセットする。流石に風呂には入っているので匂いの心配はないが、見た目が不格好のせいもあり大学でもきっと一人だ。それの方が楽でいいのだけれど。
風邪予防などの様々な用途のあるマスクを付け、イヤホンを繋ぎ電車で音楽を聴く。目はそっちのけで一方通行。無感情な瞳に人々の視線が感じられた。ドア側の柱にもたれて、何の意味もなく手をいじる。手遊びというのだろうが暇だから仕方ない。
丁度隣の雪恵駅に降り、下を向いて歩いて行く。
ドカッと音を立て、大柄な男性から一方的にぶつかってきた。体が横に押され反動で二、三歩後ろへ傾く。
「前向いてあるけぇ!」
「......すいません」
消えそうな声を出しながらまた視線を下へ戻す。何者にも関係を作らないと決めているから、あまり関わらない。駅を抜け、都会に近づいた雪恵町に若干雪が積もっていた。漢字の通り、雪に恵まれているからだそうだ。
早歩きで進んでいく。あちこちで、転倒に注意と言う黄色で示した看板が道路に沿って立っているが、この程度で転びやしない。子供が走り回りたとえ転んだとしても、自分は知らない。
多重人格でなければこんな錆びれた人生なんて送っていなかったと思う。幼い頃や中学生までは普通だった。いや、普通でもなかったけどそれでもわりかしマシだった。友達と呼べる存在がいて...────いや、友達なら今だってついてきてくれるはずだから、そもそも友達と呼べるのは誰もいなかったんだ。......どうでもいい。
大学はかなり新しい方で、わりかし綺麗に整っている。雪融け水が煌めき、大学がより引き立っている。少し行きたくないと思ったのか、歩幅が小さくなっていく。大学自体が嫌なのに何故たくさんの人と過ごさなければならないのか。学校さえなければ、静かに暮らせていたのに。
そんな甘い考えは何回も考えたことだけれどそれでも我慢して頑張ってきた。我慢してきた証として本を読むと言っても、参考書や多重人格についての本などしか読まず、体育も隅の方でみんなの姿を呆然と見続けていただけ。まぁ体育の単位が落ちてないのは『三人目の私』がなにかしてるからだけれど。
私の多重人格は私を含め三人の人格が存在する。一つは表すとなると現実、つまり今の私。二つ目は未来。 到底そうなりたいとは思わないけど、熟女的人格。三つ目は過去。子供のような無邪気で、常識も持たない人格。だいたい反応も決まっている。今は現実。未来から戻ってきたらいつもはホテル、過去から戻った時、例えば体育の時間の後などは、完全にみんなから引かれる。体育の時間を除く、学校の時だけは必ずと言っていいほど、人格に何ら支障は出ない。...ようにしている。制御できるかと聞かれればそうではない。約束をしたからだ。
「何故出てくるの!?」と怒り混じりの文章を書いて、
「一つだけ約束してあげる」と噛み合わない文章が来て、
「じゃあ二度と来ないで」とそのままの心情を書いたら、
「それだとあなたの精神に異常をきたすわよ?」と意味深な返答が来た。
「じゃあ、せめて学校内では来ないで」と書いて見ると
汚い字で「体育は来るね!」と。
下駄箱を通り過ぎ、一年は最上階の4階らしいので階段を上っていく。あの日以来学校内では人格変動が来 ていない。学校内では。
多少息切れして、歩く速さも鈍くなり予定よりも教室につくのが遅くなった。
教室に入ると同じく1年生が戯れ...てもいなかった。何人か高校からの知り合いとかで集まって話をしている程度だった。......興味もないけどね。
階段状になっているので一番後ろの席へと移動する。何人かがこちらを見てきたが無視していつもの場所へ行く。
席替えのあった高校とは違いこの大学は席が有り余っているため基本自由。前にかかってくる前髪を耳の後ろへと動かして、クラスに馴染む。一人で。
本を取り出し、読むふりでもしておく。まだ、誰も多重人格には気付いていないので、今の私は学力高い真面目女子か、読書好きオタクとしか間違われない。────ということは
「ねぇ君名前何ていうの?」
こういう唐突に名前を聞いてくる人もいるのだ。
「峰本くるみ」
ほぼ掠れ声で答えた。声を出すのは苦手だ。というより苦手になった。
「ミエモトクウミ?なんか変な名前だね」
「違う。峰本くるみ」
なんか異常にむかついたためいらいら混じりの声をぶつける。
「そんな怒らなくてもー。」
笑いでも取ろうとしているのか?と思った束の間、
「おーい、この子峰本くるみだってさぁー!」
急に大声を出して友達らしき人達に呼びかけた。......最悪だ。ほかの人達が来る...。大きな声に反応し私を一度見て、何も無かったように振り返るものが数人と、駆け寄ってきた男女二人ほど。
「ねぇ読書好きなの?何読んでるん?」
「長髪キタコレ!なぁ後でメール交換しようぜ!」
「おーい、一度に喋っちゃうと迷惑だぞ!」
コツンと、友達二人の頭に手刀をかける。あいた!と笑い混じりに声を出しみんながそれにつられて笑う。私はただ見つめるしかできなかった。
「この本はある病気についての本。メールの交換はまた今度ね」
できるだけ感情は込めてみたものの、話すのが苦手なせいもあって大して変わらなかった。
「ねぇ、見せて!」
先程質問した女性が、左手を伸ばし本を掴んできた。突然の出来事に気が動転し、本の持つ手に力が入る。が、相手の方が力が強かったのかすぐに取られてしまった。
「えーと何何?多重人か」
「返して!」
焦りが出て大声を散らす。すぐに我を取り戻したが頭の中が混乱してきた。駄目だ...このままじゃあ...!
プツン。
────がくん!
体が何重にも重なったかのような気持ち悪さとともに時計の針が五つ動いていた。記憶が混同して、学校内でも人格変動が起きてしまった...。 唇を噛み締め前を向くとそこには散乱した紙と筆記用具が落ちていてみんなの服には蛍光ペンで線が引かれていた。そのまま立ち尽くし驚いていた。
子供の方か......!────うっ
『あ、あのっ』
どうしたの?というばかりの返答も聞かず、
『ごめんなさい...ごめんなさい!ごめんなさい!』
そう言い放ちながら教室をあとにした。
※※※※
『きもい』『宇宙人だ!』その影響か『ブス』『豚』『低脳』
中学生、高校生共に二学期から言われ続けた。一学期までは新しかったし多重人格だってことも知らなかったので『それなりに』仲良くしていた。相談にも乗ったし、遊んだりもした。そんな一学期だったけれど夏休み中には、学校外で人格変動が起きていたために、噂が広まって二学期初日からは完全に孤立状態。そのまま三年間過ごしてきた。学校内では人格変動が起きなかったので、だんだんと信用も取り戻せてくる頃もあったが、もうそんな惨めな人を助ける優しさ...いや偽善的な行為をする人などいなかった。
ただその証拠に誰も近づかなかったし、いじめもほぼなくなった。
────また...か。
大学でも同じことが起きる。いやそれ以上に悪くなってしまった。突然の行為に驚く、同じクラスの人、多重人格の自分から、みんなは遠ざかる。大学ではいじめは起きないだろうが、また孤立はするだろう。それはそれでいいしもうどうでもいいか。
長い髪を靡かせ屋上のフェンスから街中の建物を呆然と見る。目の力も入れず脱力し、重力に吸い込まれていく。カバンは置きっぱなしだったなぁ。と、ぼやける頭の中で優しい声が響いた。
「大丈夫か?心配したぞ」
まさか...と思い左に少し向けると最初に名前を聞いてきた男性が、カバンを持って立っていた。
ゆっくりと立ち上がると半ば睨みつけるようにして
「なんできたの?」
と、前と一回り大きい音量を出し、言った。すると男性は少し笑みをこぼした。
「何笑っているの?」
怒りの混じった問いを渡す。
「なんで来たのかはカバンを届けるため、笑っているのはギャップが激しかったから」
「...」
イラッとした。何故か。それは私の発言の音量でしかもほかの二人からの問に答えるように言った私の話し方を、そっくりそのままで返してきたから。
「なんでマネす」
「多重人格なんだ。」
「...!」
言葉を失うとともに身体中の神経が凍りついた。終わった...。これから広まっていく。半ば疑問も添えられた顔を浮かべる彼をまえに、体が小刻みに震える。声も発せずただ立ち尽くす。
「別に気にしてないよ?」
状況は変わらない。いくら心を和ませようとなにか言葉を発しても聞きなれた。最初はみんなそういったのだ。
「どうせ、いじめるんでしょ。すきにしたら」
諦めかけた声で思わず思ったことを言ってしまった。目が泳いでいるのか下の景色が変わり続ける。
「はい?何言ってんの?」
「来ないでよ......。」
反射のようにその言葉が出てしまった。何をしているんだと自分でも問いただしたかった。
「そう言うの一番めんどいんだよなぁ。省略したらダメ?」
まるで何を意図してるのかが分かったかのように口を聞いてきた。怒りは最高潮に達し、
「────ッ!!。あんたに......何がわかるのよ。私の......気持ちなんて......!!」
「......はぁ」
ため息......────ッ!
「何様よ!勝手に名前聞いてきて......あんたから来たんでしょ!?なのになんで私の話は聞かないの!?さっきのは悪かったわよ......でもその態度はなんなの...!?」
もう少しぶちまけようとした瞬間、彼の指で口が塞がれた。
「自暴自棄やめなよ。てか声出るじゃん」
口が動かずに耳から聞こえた声によって、自然と体が落ち着いた。
「自暴自棄になるまで追い詰められてたなんて苦労したんだな」
その言葉と同時に指が離れた。後ろを振り返ろうとする彼に向かって、
「簡単に苦労とか言わないでよ......」
最後の方は何故か声が出なかった。
まるで、何かに遮られるような感覚だった。
「じゃあどうやって理解しろっつんだ?」
彼は少し笑っていた。
「俺は鏡音 駿。よろしくな」
印象が違う...。こういうのをギャップというんだったっけ?
胸の鼓動が妙にうるさくなり続けていた。暫く立ち止まっていたが、彼が教室に帰った頃ぐらいに、私も教室へと戻った。
※※※※
教室に戻っても誰も...
パン!
そう思ったが束の間、何人かが一度に手を叩いたような音が、耳元に響き後ろへのけぞった。
「だいせーこー!」
机に隠れていたらしく、ひょこっと出てくると、同じ人たちが手で笑いながらハイタッチをしていた。
「なんの真似ですか......」
元通りとなった音量に鏡音駿の眉間が浅く歪む。
「もっと声だそうよー。屋上で出したぐらいに」
「えっうそ!喋ったの!どれ位?」
女性が聞き返した。
「多重人格についてまでだよ」
予想外の回答に、思わず喉が狭まった。広められた......。
「うそ!もっと喋ったでしょ!本当のこと教えてよー!」
「あぅっ...」
声を出そうと思ったのだが、喉に何かが詰まったように静かな嗚咽だけしか出なかった。全員の視線は私の方に向いていた。ようやく、喉が萎縮されたような感覚もなくなり、再び話す。
「多重人格には触れないんですね......」
「もう全員に話してあるよ?あと、承諾済みで」
「......はい?もっとこう......虐めないんですか?」
言うことが纏まらなかったので直に思ったことを述べた。すると、彼の方が疑問符を抱き顔を右に傾けた。
「なんで虐めないといけんの?もしかしていじめられたい!?」
その直後にニヤニヤと笑い出し、周りの仲間も釣られて笑い出した。
「多重人格と知ったあとの対応は皆さんとは違ってました」
小さな声で、できるだけ怒りを収めて滑舌良く話し、目の前の人たちに視線を向けた。
「面倒臭いなぁ。そんなことどうだっていいの。大切なのはコレカラ!。自暴自棄は良くないぞぉー?」
「────チッ」
あまりの苛立ちに思わず舌打ちをしてしまった。その後も唇を軽く噛むなり、少し見下すような視線を取りながらも、苛立ちは止まらない。
「それでいいんだよ」
「もしかして、怒られたいんですか?」
目線や口は変えずに、口調までも苛立ちを覚えくらいトーンで返す。
「そうですー!怒られたいんですー!ドエムなんですー!」
本当なのか嘘なのかがはっきりしなかったけれど、あまりの返答に唇が僅かにほころんだ。その時、
「やっと笑った」
ニヤニヤして机に肘を立て顔を支える彼に、思わずアッと恥ずかしくなった。
「笑ったら可愛いじゃん。こいつよりは」
「はぁ!?何よこいつって!」
バシンッ!と横にいた女性が駿に打撃を与える。いったぁと頭を抱え込むそれに、もう一度笑みを浮かべる。ついでに女性の隣にいた男性も背中をバンと叩いた。
「俺の彼女の悪口は許さんぞ!」
前髪を後ろにしている男性は、ニシシシと両手を腰に当て笑う。
「い、いつからリア充になったんだコノヤロー!」
反撃はリア充と今知って泣きそうになってる駿だったが、両手を太鼓のように、そして相手にすがるようにしてポコポコ叩いただけだった。
「俺も彼女作るからな!覚えとけよ!」
半ば恥ずかしそうにする駿にもう一度笑う。私を見た駿は恥ずかしげに顔を赤くしながらも、
「待ってろよ!」
と少し意味のわからない回答をした。
※※※※
久々に笑い、久々に話し、久々に楽しいことをした気がする。その後は自己紹介だったり、高校の過去のことで、たくさん私の味方になって悪者に愚痴を言いふらしたりと、充実した日だった。でも現実に戻る。駅前にある公園で軽く軽食をとっていた。人格変動が起きる時間帯なので、人目のつかない公園にいるのだ。マフラー、コート、手袋。ありとあらゆる防寒具を身につけていても微かに寒さが入り込んでくる。手袋を通して伝わる温かいコーヒー を、ストローでゆっくりと飲んでいく。目は何もすることが無いので木々の傍観に映る。色とりどりの遊具が並んでいるが、肝心の人はなかなかいない。少子高齢化が進んでいる今だから、時間帯的にも夕方だからなのかもしれない。適当にスマホで今日のトップ記事かなんかでも見ながら、軽食を食べていく。
パンの柔らかな食感を、頭の片隅の方で味わいながら、遠く彼方の方を見ていた。すると、左の視界から数人の子供がやってきた。小学生ぐらいだろうか。背中に体の半分ほどの大きな黒いランドセルを背負って、公園を走り回る。その後についてくるのは全て男の子で、仲のいい友達という雰囲気を出していた。鬼ごっこでもしているのか、ランドセルを思いっきり揺らして駆けていく子と、前のめりになって必死に追いかける鬼。小学生の頃はどんな遊びをしていたっけ......。曖昧な記憶の中を探るも、出てくるのはあの悪い記憶だけ。上書きされていくのは悪い記憶ばかりで、今日の出来事もそのうち消えるのだろうか。子供......か......。その頃はまだ何も異常はなかったのに。
「私も入りたい」
その時、頭に思っていない言葉が、突然私の口から出て思わず焦った。根拠が分からなくて困惑しているにも関わらず、まるで誰かに口を操られているかのように勝手に動いていく。
「鬼ごっこしたい。みんなと鬼ごっこが......!」
────カクン。首に痛みが走る。......力が抜けていく。フワッと体が浮いた時にはもう、遠い向こうへと意識が飛んだ。
※※※※
────温かい。意識が戻ってきてまず最初に思ったのは、その言葉だった。
頭の方が何かの上に乗っているように持ち上げられていて、誰かの温もりを感じさせる。......んん!!?
他者の温もりなんて感じる場所じゃないし、そもそも人通りの少ない公園に誰かいたっけ......?
小学生が五,六人いただけではないか。疲れ果ててもうとっくにいないだろう。じゃあ誰なの?微かな不安がよぎり、思考が遅くなっていった。とりあえず......とりあえずだから......。
パチッ。
目を思い切り開けて、すぐ目の前と周りを確認する。横目で見たり、前を見ても満天の星空しかなかったと思った。しかし、もう少し傾けてみると、真正面を見ている男性の頭が見えた。それが誰なのかは瞬時にわかってしまい、それと同時に彼の方も気付いたらしく目線が交差した。照れ気味になりつつも、慌てて反対方向の地面を意味もなく見続けた。
「やっと目が覚めた」
右耳から浸透してくるその声に、鼓動が僅かに早くなった。
なんで......と自分に問いかけながらも、一応は話を返しておく。
「なんでいるの......?」
「犬の介護」
「......はぁ!?」
「冗談だよ。寒くないか?」
「ええ、誰かさんのおかげでね」
少し苛立ちを覚えながら、怒りっぽく言いつつも照れからの心臓は加速し続けた。
「それはよかった。とてもはしゃいでいたからねーくるみちゃん?」
「なっ......。子供が出たか......」
子供が遊んでいるのを見ると、わりかし人格変動が起き、大抵は子供の人格だった。今更気付いた事実に頬が赤くなり唇を噛む。
「子供たちも楽しかったらしいよ?」
「あっそう、いつからいたの?」
さらっと聞き流し、必要な情報を掴もうと試みる。
「コーヒー飲んでるとこから」
「えっ......嘘......」
つまり最初からだというのか......。最悪だ。引き続き、新たに出た疑問を話す。
「なんでコーヒーって分かるの?」
ストローをさしているカップは、色なんてわからないし香りなんて、もう飲み干しているのでほとんどない。どうでもいい質問かもしれないが、安心を得ないといけない。
「それは秘密」
両手の人差し指を口の前で交差し、満面の笑みを浮かべて言った。人を苛立たせるスペシャリトだな......と思った。密着状態を解き、二人横で並んでいる空間に、木枯らしが舞う。
入り込んでいく寒気に、体が微かに鳥肌を立てる。
「これ着なよ」
即座に感じ取ったのか、彼のきていた上着を差し出してきた────と同時に鼻を啜る音が聞こえた。格好つけてまで渡すもんなのかと、苦笑をもらした。
「カッコ悪」
「う......うるさいな」
彼の頬もまた赤くなっていたのだが寒さのせいだろうと、その時の自分は思っていた。時刻は既に七時を回り、昼の短くなる時期に差し掛かっているので、あたりはもうすっかりイルミネーションに包まれていた。クリスマスまであと少しか。まぁ、どうでもいいか......。
「綺麗だな」
「そう......かもね」
ムッと彼が振り返る。
「かもねじゃねえだろ!綺麗だなっ......でい....じゃねか」
不意に言葉が小さくなって聞き返そうと思ったけれど、マフラー越しの駿は目を逸らし続けていた。
※※※※
家に帰って日記帳をつける。あの後は、公園で彼と別れ一人で帰ってきた。公園までは一緒らしく、毎日ここ集合な......!と片言のように彼は言ったので、そのまま頷いた。人通りの少ない電車に乗り、自宅へと辿り着く前に、酷く頭痛がして薬局で少し薬を購入した。
日記帳を開いて続きを探し、今日の出来事を書いていく。最初の人格変動が起き約九年が経過しようとしていた。十歳の時には子供の人格だけで、熟女が入ってきたのは高校生からだ。三百六十五日綴れる日記帳も、九冊目となり今で既に、三分の二は書ききっている。昨日との劇的な変化と、毎日綴るようにして、どの人格変動が起きたのかを書いていく。今日は珍しくどちらとも出てきたので、そのことを綴っていく。
鼓動が早くなったことは伏せておき、調べるのもあとにした。そのかわり鏡に映るノートは、
『たっ会出とちた駿』
と書かれていた。
※※※※
どんどん冷え込む教室を、
「おはようくるみ!」
一人の馬鹿でかい声が突き通った。
「おっはー、くるみん」
「おはよっ!峰っち!」
続けて織華さんと龍央くんが、駿に負けない声で挨拶をする。
おっはよー!......なんて言えるはずもなく、かろうじて聞こえるかという声で挨拶した。
「......おはよう」
一日あっただけなのに、こんなに仲が深まるもんなのだろうか。駿を見た瞬間、鼓動が一回り大きい音でなったのは気のせいにしておき、地味に長い階段を上る。
「そっけないぞー?」
駿が私を!恥ずかしがる生徒に感想を述べる先生のような目をして、口に手を当てていた。
「いいじゃない別に......」
一日で仲が深まったというより、コミュニケーションが乏しいはずの私が、何気なく接していることに新たに驚いた。高校一年生の一学期ぶりだ......と思う。
「いつも......一緒なんだね。三人は」
特に疑問になど思っていなくて、ついうっかり口から出てきた。......癖なのかな。
「幼稚園から一緒だぜー!散々喧嘩したけどな!」
龍央くんはそう言うとガッハッハッハと、私からしたら意味の無い笑いを発した。やはり笑う時が私には理解できない......。私は変わってるなぁと時々思う。いや、あくまで普通の人間としてであって、多重人格を除いたらの話。
「いつも泣いてばっかりだったしなー」
駿が龍央くんに向かって悪戯する。龍央くんの笑いも止まり口元はへの字になって駿を睨む。
「そういうお前だって可愛がってた鶏が死んだ時泣いてたじゃないか」
「よくあるだろそういうのは。大切なものがなくなるってのは、辛いもんだぜ?」
「いやいや、泣く自体は別に変わりないけど泣き方がマジおもろすぎて!」
私は相変わらずの疑問符だらけだったけれど、駿の欠点について話していることを理解し、口が綻んだ。会話には到底入れそうにもないけれど、聞いていて楽しそうだなぁと思えてくる。駿は何のことだかわからずに困った様子だったけど、龍央くんや織華さんは納得した様子だった。
「泣き方がすげぇ他の子と違ってて、あん時は悲しいとか笑えるとかが入り混じってよくわからん雰囲気やったわ」
「あー、分かるー!笑ったら、その場の雰囲気がおかしくなりそうで堪えてたわー」
「はっ!?普通だろ?泣き方とかあんの!?」
「無いけど独特なんだよー」
────こういう素っ気ない会話でも盛り上がれるなんて、到底私にはできないし、理解できないけれど、聞いていてとても楽しくなっていくのは人間的本質というものなのかな?。他の人とは違う。大きな意味で捉えていたけれど、元々一人一人違っているし、合うはずのないのにこんなに噛み合っていることは、凄いなぁなんて思えてくる。何回も思ったことなのかもしれないけど今まで生きてきた中で一番自分が好きになった瞬間だと思う。
「────くるみん、なんかない?」
「......えっ?なにが?」
「高校の思い出とか」
「ないよ......。苛められていたし、高校なんて早く過ぎて欲しかったから」
私の表情からして無理をしているように見えたのか、織華は口を閉じた。と思ったが目を閉じて何かを決意したかのように目を強く開いた。
「じゃあ!今から思い出作っていこ!」
「......出来るかな?そんなこと」
「出来るよ!私の目標は、くるみんに時間の速さを教えることにする!」
「それってどういう?」
「楽しすぎてあっという間に時間が過ぎていくことよ!」
私の両肩を両手でガシッと掴んで目を交差させる。高校や中学で、そんなことを聞いたようなないようなと曖昧な記憶だったので......全部おいておこう。
「私も......織華さんの目標を守るよ」
「ダメ!織華ちゃんかおりかんって呼んで!」
「おりかんは俺が盗るから峰っちは織華ちゃんな!」
話の流れに沿っていくように織華さん......織華ちゃんの彼氏である龍央くんがいった。
「じゃあ、俺はいつも通りお前かコイツで」
「はぁ!?相変わらずひどいわね!」
目と目が電気を発したかのように真ん中でバチバチと鳴り龍央と私が止めに入る。
「もうそろそろ織華ぐらい言ってよね!」
「はぁ!?言うわけないだろ!くるみと違うんだから!」
「......」
「お?、どうした?」
「ついさっきから思ってたんだけど......」
織華ちゃんは怒り状態から一変し疑問符を浮かべて表情が和らいでいった。
「いつから呼び捨てになったの?」
「......へっ?」
どうでもいいことだが駿と私の声が一致した。
※※※※
「一日でそういう仲とかどういうことよ!」
とか
「まさか......もう付き合ってることなんてないよね!?」
など
様々な愚痴を聞き続け、身体共に疲労を覚えた。二日間で、かなり生活が変わってきている気がする。人格変動は変わらず学校以外で起きているものの、高校生活と比べたら、高校一年の一学期より良い出だしだ。さらに、このままの状態が続く確率が高いように思えたので、学校生活においての支障はなさそうだ。
畳の上で背伸びをしたり、足を伸ばして柔らかくする。大して意味の無い動作だなぁと思う。疲れすぎで感覚がないのか、それとも、今までほとんどしたことのない動作に、慣れてないだけなんだろうか。
────自分って何なんだろう。
中学の時から、どうでもいいことや真剣に考えた時にいつもこの結論にたどり着いて止まっている。単なる探究心からなる結論は、今日が初めてだけれど。メガネを外し、目の前においてある鏡を見る。目を大きく開けたり、駿達のやっていた変顔というものをしてみるが、考えは一向に変わらない。髪を三つ編みにしても前髪を後ろにしても、自分がなんなのか掴めない。そしてどうでもいいと思って終わる。
────とりあえず風呂に入ろうっと。
────風呂でくつろぎながらスマホを見る。一応防水なので何度か濡れても大丈夫だ。ニュースを調べていると一番最初に大きな見出しで興味深い文章が出てきた。
『十年経ったら呪われる!?多重人格の悲劇』
多重人格の人たちにとっては、一度目に通すだろうと思い自分もその意見に賛成し、タップした。接続が悪いのか途切れ途切れになりながらも、十秒ほどで全文が出てきた。えーと、何何?
※※※※
『十年経ったら呪われる!?多重人格の悲劇』
今朝起きたら、多重人格である妻が急に家の中を荒らしていました。どうした!?と声をかけると、鬼の形相でこちらに向かって、色々なものを投げつけたのです。老婆のような人格と、明るい男性の人格がある妻だったのですが、口調が二つの人格を行ったり来たりして、最終的には悪魔の呪詛のように唱えだして、自分で自分を殴りつけていました。すぐに止めて病院に搬送しましたが、数時間で死亡しました。
多重人格の方々、不安を募るわけではなかったんです。すいません。ですが妻のようになって欲しくないため、医学の進歩に期待しているのです。多重人格でない方も、あまり差別をしてはいけません。私の妻だって差別を受けていたので、死亡の原因かもしれないのです。今は医療関係の方々と警察の方が動いています。
スレ────
うわぁ、怖!関わらんのが一番やな!(二十代男性)
えっどうしよう!?十年目で起こるってことはそういう宿命!?
(三十代女性)
えー、今日未明Y.Yさんが十年目の人格変動をきっかけに死亡しました。死に方は上記の記事と全く一緒のようです。我々はこれを「人格異動」と名付けましたww(四十代男性)
人格異動とかやばくね?(笑)多重人格者さんおつー(笑) (非公開)
多重人格者です。わぁ明日で十年目だぁ!。さぁ来い!人格異動!ww
※※※※
これ以上見ても多重人格を遠回しに差別するものばかりだったので、スリープモードにした。今年で『九年目』を迎える私の余命は、この記事が本当ならばあと一年。正確には三百七十日。
未だ信じられないことに、体が小刻みに震えた。いつか死んでしまうと思って一点を意味もなく見つめ、目が泳ぐ。風呂の波紋も静かな小さなものに変わっていき、やがて溶け込んでいった。これを駿達は見ているのだろうか?。結構有名なサイトだし、一人ぐらいは見ているはずだ。これを見て何気なく別れを告げてくるかもしれない。二重に重なる怖さが、体を凍らせていく。やがて怖くなり、すぐに風呂場から抜け出した。暖房をつけるが明かりはつけず、薄暗い中布団にうずくまる。もう一度記事を見返しなぜそうなるのかと足りない頭で考える。が、記事以上のことは何もわからず、スレを見ても差別ばかりで心が霞んでいくばかりであった。
「......!!」
なんとも言い表せない感情がこみ上げてきて、唇を噛む。ゲームが途中で止まって、焦ってしまうようなそんな感情が渦巻いて、血流の流れと一緒に体中を駆け巡る。頭では考え込み、足はバタバタと泳いで、指は不規則に曲げて、と全身で感情表現をする。非現実的なことが書かれてある記事を、完全に鵜呑みにする訳では無いけれど、実際に起きているとも考えられるのでなお恐ろしい。
更新ボタンを、無駄とわかって連打していく。ページは変わらず表示され、苛立ちと焦りとが入り混じっていく。とその時、新たな記事が出てきた。すぐさま押して確認した。が、それは期待を裏切るものだった。
『一人だけでは無い。本当に呪われている!』
私は多重人格について研究しているものです。先ほどのスレで、軽く見ているあなた方に見てもらいたいものがあります。
その下には、いくつもの遺体が画像として貼られてあった。
これはすべて多重人格の十年目の末路です。研究の結果、多重人格者の十一年目の生存率は無に等しいです。これを聞いて甘く見られますか?
※疑うのなら個人で画像を送ります。
スレ────
えっ......すいませんでしたー!(十代男性)
可哀想......。頑張って(二十代女性)
疑って画像きたけどまぢだわ!こっわ。(四十代男性)
十一年目だお?......嘘ですうそですごめんなさい(五十代男性)
来年の私の末路が示されて、何も出来ずに表情が固まった。意識もなくぼーっとし、文字が重なって、幼稚園児が書いたような、グチャグチャな線を至るところに書いた絵が、目に写し出される。それと同時に、首に痛みが走り、そのまま思考が奪われた。
※※※※
目覚めると、至るところに紙が散らばっていた。
────子供の方か......。
当たり前の様に思って鏡を見た瞬間、今までにない驚愕が頭を駆け巡った。唇は紅く染まり、耳には煌めくイヤリング、さらには髪も見事にセットされていた。バックから財布が大雑把に出されていて、真新しいレシートがクシャクシャにされていた。メイクに使う品々がレシートに書いているのを見るに......
「連続に人格変動が起きた......?」
一度も起きたことのない出来事に、不安を覚えた。すぐ横にあったスマホには記事がいくつか増えていた。このことが関係しているかも......?と思い未読記事から目を通していく。
『人格異動の特徴とその考察』
人格異動の前に何があったのかを聞いたところ、多重人格同士が互いに入れ替わっていることがわかりました。今までは、中継地点に必ず戻ってくると言っていて、不安を感じたようです。なお、違う人格もその時は、『普段しないはずのこと』をするようで私はこの事が人格異動に繋がるのではないかと考えます。
スレ────
おー。多重人格について色々出てきてんじゃん(十代女性)
私その症状出たお?......嘘です嘘ですごめんなさい(五十代男性)
多重人格の皆さん、南無阿弥陀仏(笑)(三十代男性)
どうやって調べたんだろ?(三十代女性)
このスレ多重人格いるのかー?まぁいたらかわいそ
スレなんてどうでもいい。次の記事を押す。
『人格異動の前触れは夢で起きている!?』
研究者イニ・シャルさんの調べにより、人格異動の前に必ず夢で何かが起きているとわかったそうです。なお、うなされるのではなく、洗脳されるような形で静かに行われ、家族や同居している人は、訳の分からないまま狂った多重人格者に襲われるということです。
スレ────
誰?イニシャルって?(不明)
お前こそ誰だよww(三十代男性)
......
多重人格についての記事が、画面を埋め尽くしすべてに有益な情報が含まれていた。どんな風に死んでいくのかが明確になり、言葉を失いどうすればいいのか分からなくなっていた。
「......とりあえず......寝ようかな」
気持ちを落ち着かせるために早い時間ではあるものの寝ることにした。
その時、
ピンポーン。
呼び鈴の音がした。
※※※※
「よっ。くるみ」
訪ねてくる人なんて滅多にいないので少し驚いた表情を漏らす。
「ど、どーも」
「まさか別人じゃないよな?」
「......はい?何言ってんの?」
そっちから訪ねてきたのに会って早々違う人ですかってどういうことよ!
「峰本くるみですけど?」
「あっよかった。化粧してたからてっきり違う人なのかと......」
苦笑を漏らす彼と同時に、私も恥ずかしくなった。そういえば化粧したままだった......。
「綺麗だな......」
ぼそっと何か言うのが聞こえたので、慌てて聞き返した。
「えっ?なんて言ったの?」
「えっ、あっいや別に何も......?」
あからさまに顔が赤くなっている彼に向かって、もう一度問おうとしたけれどその前に彼の言葉が遮った。
「入っていいか?」
「え......ええ。」
そう言って部屋のドアを開けた彼は少しの間立ち尽くしていたけれどすぐに座り、なにか探すような仕草を見せた。
「何やって......って、あ!」
もう一つの人格がしていた事に気付き、慌てて彼の元へと急いだ。
「散らかってるよなー」
イタズラ心満載な彼に向かって顔が赤くなりながらも、表情を隠して無言で紙を一箇所にまとめる。
「化粧も違う人格がしたのか?」
「そ......そうだけど?」
「ふーん」
何か考えた表情を少し見せて、また普通の表情に戻った。
「二つの人格を行ったり来たりしている......か......」
小声でぼそっと出した答えに鼓動が一気に跳ね上がる。
もしかして......と思いあの記事について話す。
「────えっ!?うそ!知らねぇの?全国報道してるぜ?」
「......えっ?」
ニュースという名の掲示板だけの話かと思ったら、全国に報道されているなんて......。驚愕のあまり声が出なかった。
「おーい。生きてますかー」
一瞬意識が失いかけていたが、目の前で駿が手を振っているのが見え、我に返った。紙をゴミ箱へと捨て話を変える。
「そうい」
「なぁ。今日ここ泊まっていいか?」
「............へっ?」
※※※※
「いやー。いいお湯だなここの風呂は」
「あのー。家族にどうやって許可を得たんです?」
体育座りをして訝しそうに彼を見つめる。
「バイトが長引いて遅くなるから友達の家泊まるなー!って」
手をあげながら爽やかーな笑顔で、理由にもなってないただの言い訳を言った。
「友達の家イコール私の家ってどういうことなんですか!」
「いやいや、他の家全部忙しいって言うからさ」
「理由になってませんよ!」
言葉を借りると楽しいやりとりというのかな......じゃないじゃない。私の家に泊まるぐらいなら、自分の家に帰りなよ!
「ごめんごめん。本当はこっちさ」
そう言って彼は、ポケットからお守りのようなものを取り出し、私の手に添えるようにしておいた。
「これなに?」
「邪気を払うお守りさ。店に売ってたから買ってきた」
......邪気を払うというより、これはたんなる可愛い刺繍を施してあるただの装飾品に見えた。
「これってどう見ても邪気を払うよりかは子供向けのおもちゃじゃないんですか?」
「いやいや、ちゃんと店に書いてあったからさ。大丈夫だよ」
「大丈夫だよ......じゃないでしょ全然!どこが邪気を払うんですか!だいたい店で売ってるものはすべて偽物って決まってるのよ!」
彼がドジなのか、あるいは考えあってのことなのかは正直どうでもいいのでとりあえず気持ちを落ち着かせる。
「まぁまぁ、そんなに怒らなくても。はい、これが本当の本当の用件」
そう言って彼は教科書を差し出してきた。
「あっ、これ......」
数学と書かれた教科書を手に取り忘れ物をしていた事に気付いた。
「ありがとう」
感情を込めずに言ってみたものの、彼は少し止まっていた。
「あのー、大丈夫?」
彼の目の前で手を振った。すると彼は、意識が取り戻したかのようにハッとなり、大丈夫大丈夫と口にした。
「それより多重人格の件なんだけど......」
すっかり話題を変えて、深刻な話の予感がした。
「な、何?」
「俺が守ってやるからな」
深刻な話とは全く逆のわけのわからないフレーズに思わず口がへの字になる。
「えっちょっとな、何を急に......私まだ九年目だよ?まだ早いって」
「そうとは限らないかもよ?」
えっ?どういうこと?とわけのわからないまま彼は続けて言った。
「異例というのはいつ起こるかわからないからね」
もうすぐ寝る時間で、うとうとする意識の中で彼は何でも知っているかのように話した。多重人格と聞いて、なんとも思わなかったのも、もしかして関係しているのかな......と思いながら意識が遠のいていった。
※※※※
「私もいれてー!」
「お姉さんもするの?いいよー!」
子供のように走っていく私と、見覚えのある小学生達が映し出される。
「ねぇ、今日もしましょう?」
「またあんたか。いいぜ。じゃあ、いつものホテルでな」
色気を醸し出す私と、ガッチリとした男性が映し出される。
左右に映し出された二つの人格の記憶が、私の脳内に入っていく。甘い匂い、土の匂い、さらに生まれた時からの、現実である私の人格の記憶が重なり、三重音を奏でた。耳鳴りが起き、現実で目を覚ますようにして夢の中で起きた。夢では感じることのない痛みや感触も、はっきりと伝わってきて否応なく、嫌な感覚に襲われた。互いに近づいている二つの人格の記憶が、スライドショーのように頭に流れ込んできて、幼い頃の出来事も入って来る。
「あれで遊ぼ!」
「いいよー!遊ぼ!」
無邪気に駆け回る私と、それについていく女の子。
「今さっきの人って誰?」
「えっ?......なんのこと?」
人格変動が初めて起きて、戸惑う私と女の子。
「バイバイ」
「............」
縁を切った女と無言で離れる相手を見続ける私────
「いつまでも守ってやるよ!」
その時、幼い男の子の声が聞こえた気がしたが、すぐに記憶の波にかき消された。気が付くと二つの人格の記憶が、互いに重なり始めていた。二重三重に残像が見え始め建物や場所の風景などが霞んでいき不協和音が、心臓の奥から這い出でるようにして聞こえた。鷲掴みにされたように目も心も霞んでいくと同時に、どこからともなくやってきた巨大な槍が胸の真ん中を貫いた。大きな、先が見えない穴が作られ、口から鮮血が迸った。
「............くはっ!......はぁ......はぁう!」
夢では感じないはずの壮絶な痛みによって心が疲れ果てたように考えることをやめた。人格異動の始まりなのだろうと思ったが思考は放棄し、霞む風景を横目に、私はどうなってでもいいとおもった。同じ時に互いに重なる記憶が一致し、私は、悪魔の囁きに答えるようにして、我を忘れる。
※※※※
目が覚めた時には私は泣いていた。......目の前には、彼が抱きしめながら何かを喋りかけていた。下には足が隠れるぐらいの雪が積もっており、血で赤く染まっていた。何が起きているのかわからずに、ただただ、彼の言葉に耳を傾けていた。
※※※※
数日が立ち、駿が訪ねてきた。
「よっ。くるみ」
「おはよう、詩音くん」
清々しい笑顔で挨拶を交わし、部屋へと案内をした。前までは何も無かったただの空間が、今ではいかにも女子の部屋へと形を変え、溜まっていた気持ちも軽くなっている。
「......あれからはもう?」
「うん。出てこなくなったよ。」
あの日......【人格異動】が起きてからというもの、多重人格?なにそれ?と言えるほど、人格変動が起きていない。でも、今までの二つの人格の記憶は、残り続けていた。
「まさか、多重人格とは思ってもみなかったよ」
手を後ろで交差し彼に向かって語りかける。駿も多重人格者だったのは人格異動が起きた時にわかったことだ。
【人格異動】
夢から覚め目を開けると、至るところに敵がいる。そこに一人憎むべき何かがそこに立っていた。すぐに台所へと向かい器具室の中から鋭利な刃物を取り出す。驚いた表情を見せたやつに向かって言い放つ。
「殺してやる!!」
歯をかきたて目に殺意を込め、やつに向かって突進する。やつは何故か受け止めるようにして右に逸れただけだった。
ブスリッ。
刺さった瞬間意識が半分ほど回復し私は自分のした事に戸惑いを隠せなかった。目の前で痛みに耐えていたのは駿だったからだ。分かったように目を合わせた彼の表情は、少しだけ笑っていた。
「守ってやるって言っただろ?」
掠れ声で包丁を引き抜くと同時に、私の腕を掴んだ彼は外に飛び出した。 外へ出た瞬間、冷気のこもった風にあたり、体が小刻みに震えた。 庭の真ん中あたりで止まった彼は、右手で左の脇腹を押さえながら、何かを作り始めた。呆然と立ち尽くす私を前に、彼は再び立ち上がって、丸い形をした白いものを顔面に投げつけてきた。それは、ひんやりとした雪の塊だった。
「雪合戦をしたよな。幼稚園の頃に」
痛みに耐えながら彼はそう言った。
「たくさん当てられて悔しくて泣いてたよ」
話は続く。
「卒園式の時、お前は泣いていた。だから俺はいったんだ。いつまでも守ってやるよ!てな」
その時、何かの記憶が私の記憶に溶け込んで消えていった。
「未来永劫君の人格を愛し続ける」
言葉の流れが合わなかったけれどそれと同時に、もう一つの人格の記憶も溶け込んでいった。何かの反動なのか、雪を溶かしながらわたしの目から涙が溢れ出た。長年の苦痛が、多重人格の二つの人格ともに消え去ったように、とめどない涙が視界を遮った。
「こ......で............だ。お前の全てを俺が分かちあってやる!」
ぎゅっと抱きしめられ彼の温度が伝わっていった。意味がわからなかったフレーズだったけれど私も......
「私の方が......駿の何百倍も分かってやるんだから」
涙声で途切れ途切れに言った言葉を前に私たちは苦笑して雪がしんしんと降る中甘い口付けを交わした。
「俺の人格は元々多重人格のやつなんだ。小学生までの俺はとうに消えているよ」
「そうだとしても私は詩音ごと愛してあげるよ?」
「あんまりそういう事は言うなよな......恥ずかしい......じゃねえか」
自分自身の曖昧な記憶も、今では明確になっていて、昔卒園式の時に言ってくれた男の子のことも思い出している。
「そういえば、どうやって人格異動を乗り越えたの?」
赤くなって俯いている彼はこほんと咳払いし自慢そうに語った。
「それは企業秘密です」
「いつ企業立ち上げたのよ!」
これはちょっぴりほろ苦なプチ恋愛かつプチミステリーの【序章】である。
多分後で更新するであろう『恋の雪解け』も見ていただけたらいいな(●´ω`●)