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鈍色キャロル  作者: 太郎
2/5

その男、睥睨する

 受付のお姉さんが言うには、中に入るには七千円ほどかかるらしい。当の田中は既に中へと入って行ってしまっているので渋々代金を支払って俺も入場する。中に入るとすぐにサンタクロースの格好をしたキャラクターが目についた。


「まさか、この期に及んでここが病院だなんて言うまいな?」


 随所に奇天烈な構造をした建造物が屹立している。


「当たり前だろう」


ゲホッ


「......ここは病院だ」


呆れ果てたやつだ。果てというものを知らない。


「......そうだな」


「こっちだ」


 そう言うと、田中は入り口に入ってすぐのところにある扉に近づいて行った。扉の上には「FIRST AID」と書かれたプレートが貼られている。おそらく医務室かなんかだろう。


「少し待っていてくれ」


 ここで待機するように言い渡した後、田中は扉を開けて中に入って行った。サンタクロースの格好をしたよえた位の知れないキャラクターを尻目にぼんやりとしながら壁にもたれて立っていると中から、すごい熱ですね、すぐにお帰りください、大きな病院で診てもらってください、一人で帰れますか、などと聞こえてきた。診察は難航しているらしい。しばらく経つと扉が開き、田中が出てきた。


「大丈夫なのか?」


「ああ。別の診療科に行こう」


 そう言うと田中は若干フラフラしながらそそくさと歩いて行った。診療科って。まだ続けるのか、このロールプレイを。

 しばらく歩くと鉄製のレールが空中でグニャグニャと張り巡らされているのが目に入った。その上だか下だか分からないところで列を成した乗り物がもの凄い速さで蛇行しており、時折黄色い歓声が聞こえてくる。


「なあ、もしかしてあれって」


「あれに乗るぞ」


「え?」


「あれに乗ろう」


 聞き間違いではなかったようだ。


「あれはジェットコースターというものだ」


「そんなことは分かってる。馬鹿にするな」


「……正気か?」


「ああ。あれに乗れば俺の病状も少しはよくなるかもしれない、まずは熱を冷まさないと、ゴホッ」


 俺は田中を見据える。田中は衰弱した肉体に鞭を打ってそこに立っている。その目には一点の曇りもなく、田中を構成する信念と矜持と覚悟といった、何だか得体の知れないものが渦巻いているような気がした。その片隅で好奇心がキラリと光っている。

 コイツ、本気だ。こうなってしまっては誰も田中を止められない。


「......分かった、ここはお前に委ねよう」


「かたじけない。持つべきものは友だな」


ああ、殴りたい。


 話がまとまったので俺と田中は順番待ちの列の最後尾に加わり、小一時間程待つことになった。

 列に並んで待っている最中、目の前のカップルが体を密着させてイチャイチャし始めた。彼らは愛を囁き合い、時に抱擁や口付けを交わしながら公共の場であるにも関わらずプライベートという名の不可侵領域をまざまざと惜しみなく展開し、酔って痴れている。しばらく彼らの様子を傍観していると、次第に胃がキリキリと悲鳴を上げていくような心地がして目眩を覚えた。

 しかし、目を離してなるものか。何故彼らが赤面必至な戯れを衆目も憚らずに披露することができるのか。それは自分たちの相愛度合いをアピールしたいからに他ならない。おそらく。ましてや誰かに見られるかもしれないというスリルたっぷりなシチュエーションに身を投じることに興奮を覚えているのならば自業自得だ。何故、俺が幸福オーラぷんぷんの彼らを見て、己の孤独な境遇を嘆き、一方的に精神衛生を乱さなければならないのか。見せられる側には彼らの密事を冷やかす権利が与えられて然るべきだ。

 あの男は俺だ。

 あの男の代わりに俺が彼女と乳繰り合う様子を想像することで己の内に押し寄せる孤独の波をなんとか相殺させる。

 この世界では誰もが愛を声高に叫び、その喜びを享受しているような気さえしてくる。しかし、ゆめゆめ忘れてはならない。そんな世界の片隅で愛に飢えた魍魎たちが跳梁し、人知れず慟哭していることを。

 カップルを正面に見据えた後、田中を一瞥する。彼も俺と同じ心境らしい。病身であることを忘れ、眉間に皺を寄せながら有り余る怒気を総身に纏っている。こうなれば百人力だ。俺たちは互いに頷き合い、決して彼らから目を離さないという不退転の誓いを無言で取り交わした。

 男が女の腰に手を回す。田中がゴホゴホと咳を浴びせかける。女が胸を押し付ける。俺が視線で女の胸部を焦がす。男が女の頭を撫でる。田中がゴホゴホと咳を浴びせかける。女が男の胸に顔を埋める。俺は視線で女の臀部を焦がす。男と女が見つめ合う。俺と田中はギチギチと歯軋りする。男と女が唇を近づける。俺と田中は身悶える。そして、唇と唇が触れ合ったその瞬間、俺は女の方と目が合った。俺と、絶賛接吻中の女の視線が交錯する。ここは多くの場合、俺の方が折れて目を逸らす局面なのだろう。しかし、そうは問屋が下ろさない。先ほどの不退転の誓いを胸に俺は女を凝視した。女はギョッと目を見開き、唇を男に預けたまま目だけを動かして俺の方を見た。男の方は気付かないままだ。一瞬ではあるが女の注意を男から奪ってやったという事実を前に少しばかり胸が躍る。なおも見る。田中も見る。見る、見る、見る。そしてとどめの、スマイル!


「それでは次のお客様、前の方へとお進みください」


 俺たちのボルテージが最高潮に達したかけたところで停車場内に軽快なアナウンスが鳴り響いた。いつの間にか随分と前に来ていたらしい。女は男の手を引き、逃げるように停車している車両の方へ早足で歩いていった。どうやら俺たちの前で区切られてしまったらしく、次の番まで待つことになった。男と女は何やら怪訝顔になり、俺たちの方を見て何やら話し込んでいる。ようやく車両がゆっくりと発進したところで俺と田中は空虚な勝利の余韻を噛み締め、固い握手を交わした。

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