Chapter:2 殻の中の胎仔
その日弥刀矩とタツオは延べ5人のクライアントと会い、各々の殻を軽トラの荷台に積み込んでいった。
問題が起きたのは3軒めの時だった。突如、殻の彼の父親と思われる男が現れ、難癖をつけ始めたのだ。
「おかしいやろ、何で、うちのせがれがこんな狭苦しい殻ん中閉じ込められなあかんねん。こんなん、死なすようなもんやろ、なあ、わかっとんのか?」
「しかし、息子さんは検査に合格しており、永眠の権限があるものと、こちらでは…」
「知らんわんなもん!帰れ帰れ」
当の彼は狼狽え気味に父の激昂を眺めていた。その後も父親は頑として耳を貸さず、あまりの態度の横暴さに次第に弥刀矩もいらついてきていた。
「仕方ない、おいタツオ」
弥刀矩は軽トラで待機しているタツオを呼んだ。
タツオは面倒臭げに読んでいた古本を投げ出すと、サイドドアを開いて座席から飛び降りた。父親はタツオの巨漢に少々慄いたような態度をとったが、すぐに虚勢を張って怒鳴り散らし始めた。
「何や、お前。手え出すつもりか、ああ?やれるもんならやってみんかい、こら!」
タツオは黙ってその場に佇んでいる。
「な、何やお前は、喋れんのかいな」
威勢のよかった父親も、無言で立ち尽くすタツオに底知れぬ恐怖を感じたのか、次第に声が小さくなってきた。終いにとうとう諦めたのか、勝手にせえや馬鹿息子、と怒鳴り散らし、立ち去っていった。
「強面ってのはこういう時に役に立つな」
タツオは既に興味を失ったのか、ふらふらと軽トラへと歩いていった。
「おい、手伝えよ!」
タツオは耳を貸さなかった。
弥刀矩が舌打ちしながら準備に取り掛かり始めた時、それまで黙っていた彼が口を開いた。
「親父のいうことも、わかってあげてください。ただ、僕が大事なだけなんです」
永眠準備は滞りなく進み、やがて彼は殻の中で永久の眠りについた。
彼の放った最後の一言は、一日中弥刀矩の心の中に纏わりついて消えなかった。
長く暗いトンネルを抜け、いつもの永眠室に着いた。
広大なホールに並ぶ棚には、隙間なくぎっしりと殻が詰め込まれている。
弥刀矩は荷台の紐を解き、殻を床に降ろした。ずっしりと重いので、タツオに手伝って貰わなければとても棚まで持ち上げられない。高い脚立に登り、せーの、と声をかけて腰に力を入れた時、誤って殻を落としてしまった。
がらんがらんという音がホールに反響した。弥刀矩はちっと舌打ちし、脚立から降りると殻に顔を近付けて損傷がないかどうか調べ始めた。
最初に気付いたのはタツオの方だった。
タツオは殻の蓋縁の辺りを見て、ぎょっとしたように顔を背けた。
「どうした?」
彼は気味の悪そうな顔で殻を見つめている。
「おい、どうしたってんだよ」弥刀矩は不審に思い、自分も目を向けてみた。
そして、慄然とした。
僅かに開いた蓋の仄暗い隙間に、それはいた。
大きさは小指ほどにも満たないだろうか、ピンク色の皮膚に覆われた身体には手も足もなく、辛うじてつるりとした卵のような頭部と胴体、そこから伸びる尻尾の如きものが確認できた。
それは数えきれないほどの管で殻の内膜に繋がっており、内部をなみなみと満たす半透明のどろりとした液体が縁から僅かにこぼれようとしていた。
何か、見てはいけないものに触れてしまったような気がして、弥刀矩はとっさに蓋を上から押さえつけた。隙間はぴったりと閉じ、それの姿は視界から消えた。
気付けば冷汗をかき、荒い息を吐いていた。忘れよう、忘れるんだ。そう思い、仕事に戻った。殻を棚に詰め終わり軽トラに戻るまで、弥刀矩はタツオと一言も口を聞かなかった。
帰路の途中、弥刀矩の心にはむくむくと疑問が湧き上がってきた。
そう、あれは間違いなく、人間の胎児、それも妊娠3~4週くらいの姿形をしていた。
(一体、どういうことなんだ…)
弥刀矩は痛む頭を振りながら、運転席のタツオを見やった。彼はこの問題に一切関わる気がないようだった。それなら、弥刀矩は思った。
(俺一人でだって、やってやる。必ず真相を突き止めるんだ)
軽トラは旧新宿区に入った。
いつもの如く、腐セルオイル灯の明かりと、切れかけた電光看板のちかちかとした光が目に飛び込んでくる。