Chapter:1 烟る闇
底知れぬ闇の中に響くのは、己のたてる足音だけ。
弥刀矩はゴム銃のひしゃげた銃把を握り締め、太く息を漏らした。口の端から吹き出した白い靄息が、薄まりながら上へと昇っていった。
もう一度、ぎゅっとゴム銃を握る手に力を入れた。この銃が破損しておりもう用を成さないことは、弥刀矩自身も無論承知していた。けれども、彼は銃把から手を離す気はなかった。辺り一面に広がる真っ暗な世界において、その銃だけが自分を守ってくれるような気がしていた。
ふいに、くねる一筋の光が弥刀矩の姿を照らし出した。タツオの乗る軽トラから放たれたセルオイル灯のサーチライトは、弥刀矩を認めるとその動きを止めた。
「ハロー、ミトガネ」
タツオは軽トラのサイドウィンドから顔を出して言った。弥刀矩は無言で頷くと、サーチライトに照らされた荷台を見やった。述べ6つの《殻》が括りつけられている。殻の表面には岩礁のごとく細かな凹凸が走っており、得体の知れない貝類や苔らしきものも付着していた。
「悪い、運転代わってくれないか」
タツオは返事を待たずに、助手席に移動した。弥刀矩は渋々頷くとドアハンドルに手をかけ、腐セルオイルの醸す生温かい臭気の充満する車内に乗り込んだ。黒光りするクラッチを踏み込み、チェンジレバーを動かしながらアクセルに足をかける。車体がゆっくりと動き出した。クラッチから左足を離し、ふうと一息ついた。
「今日は6人か。多いな」
弥刀矩は呟くように言った。
後方で、殻ががたがたと音をたてて揺れている。
この殻を地下層の永眠室まで運ぶのが弥刀矩とタツオの仕事だった。弥刀矩もはじめの内は、揺れる殻の中に生きた人間が詰まっていると思うと悍ましさに震えたものだが、今は別にどうとも思わなくなっていた。
きっと、慣れというものなのだろうと弥刀矩は思っていた。
「それだけ殻の需要が高まってきてるってことだ」
タツオは丸刈り頭をがりがりと掻き毟り、言った。
窓の外には瓦礫の海と倒壊したビルの残骸が際限なく続いており、時折こそこそと動く影も見受けられた。
「なんだありゃ」
葉巻を咥えたタツオが興味深げにその人影を指差した。
「大方、九州から流れてきた物拾いだろう。」弥刀矩は続けた。「近頃増えてるんだ。旧東京から資源を持ち帰って売り捌こうとする輩。誰が流した噂か知らないが、ここにはもう大したもんなんて残ってないさ」
やがて弥刀矩の運転する軽トラは地下へと続くトンネルへ姿を消した。
先の核戦争により焦土と化した地球に異常生物が徘徊するようになったのはつい数十年前のことだと弥刀矩は聞いている。またその一種でもある《殻》が発見されたのは未だにA級民間人立入厳禁汚染地域に指定されているエトロフという島でのことらしく、持ち帰られた殻はその生命現象と生態をくまなく研究され、最終的に驚くべき効能が見つかったとのことだった。
そして、今に至る。
社会機構が軒並み消失したことにより、経済体制が台頭した現在の日本において殻は切っても切れない存在へと変貌していた。
通常、この国の人間は成人になると簡単な身体検査や生い立ちのチェックを受け、合格すれば殻の中に入り《永眠》することになる。また内部に人間を詰め込んだ殻は、元々核シェルターとして使われていた地下施設へと運び入れられ、そこに安置される。
この制度が始まったのはちょうど20年前、弥刀矩が26歳の頃だったので彼は検査を受ける資格を所持していなかった。殻の一括管理を執り行っている機関によれば、永眠に入った人間は死ぬことも病気になることもなく、殻の中で夢を見続けるのだという。当初は制度に対する反発も大きかったが、倫理などとっくに崩壊しているこの世界において、不死という単語は輝かしい響きを持って人々の心を掴んだのだと聞く。
弥刀矩は自身の後ろに束ねた髪を弄びながら、ブロックハウスの窓外に目を向けてみた。
見渡す限りの純白の砂漠は太陽の光を浴びてぎらぎらと輝いており、およそ生きているものの姿は見られなかった。
ここは昔東京湾と呼ばれており、漁業の要であったそうだが、核戦争後の急激な地殻変動により今は白い海底が覗くばかりになっている。
「弥刀矩、仕事だ。行くぞ」
ハウスの階下から、タツオのよく通る声が響いた。
弥刀矩はああ、今行くと返し、椅子から腰をあげた。
弥刀矩自身も、殻を巡る体制については少なからず疑問を抱いていた。
しかしそのような問いも、軽トラで廃墟の街を周っている間にいつの間にか消えてなくなってしまうのだ。