五十五 四匹、いずこの旅空へ
「本当に、ありがとうございました」
出立の夕暮れである。木戸門の外まで見送りにきたお園が、幾度も幾度も頭を下げた。
松並木の街道には、唐草模様の大きな風呂敷包みを背負った鼬を真ん中にして、輝く毛並みに赤目の映える白狐と、薄汚れて禿げ散らかった狸が、行儀よく座っていた。少し離れ、毛艶のよい器量良しの三毛猫もいる。
「花江も、ありがとうね」
姉貴分の飼い猫へ、お雪も小さく頭を下げた。なにやら照れ臭いのである。
花江にとってもそれは同じであったようで、「みゅふ」と笑って応えただけであった。
〈あわ雪〉からここまでの道すがら、幾度もきっかけを探したのだが、いまだそれを得ていないお雪。しかし、見送りもここで終い。あとは互いに背を向けて、別々の道を歩きはじめることがわかっている。
ここまで待っても好機は得られなかったので、お雪は唐突に言い出す羽目になった。
「これ、あげる」朝顔作りの裾をはためかせて小走りに三毛猫へ駆け寄り、しゃがみ込む。「妹のお下がりなんて変だけど、持っててね」
言って花江の首へ、端切れを縫い合わせて拵えた首輪をかける。首輪にはお雪の気に入りの、水鳥の羽根をあしらった簪が挿してあった。
「これ……あたしがずっと狙ってたって、知ってたにょ?」
そよ風にもふうわり揺れる小さな簪を、三毛猫はこれまでずっと、うらやましく見ていた。さりげなく目で追っていたつもりだが、お雪にはお見とおしだったようで、
「知ってたわよ。目が細くなって、笑っちゃうくらい真剣なんだもの」
「みゅう、そんにゃに物欲しそうな顔をしていたとは、抜かったにゃ……」
「だから、あげる。あたしにはお父っつぁんが買ってくれたのがあるから」そう言うお雪の南蛮髷には、銀の房簪が揺れている。「それをあたしだと思ってね。離れていても、いつも花江の無事を願っているから」
「うみゅ。お雪も達者でね」
柔らかな毛並みを一撫でしてから、お雪は足早にお園の横へ戻った。
鳥獣狼士たちはたった三日間――慶吾はもう少々長いが――の逗留だったが、今ではずっと昔から知り合いであったような気さえする。もはや他人の気がしない。
せめて行く先の方角でも知っていれば、その旅の空へ無事を願うことができよう。そうお園は思った。
「みなさまは、これからどちらへ行かれるんですか?」
「おれは、そうだなあ」乾いた風が髭を撫でるのへ、雅寿丸は気持ちよさそうに那智黒の目を細め、「まずは、殺生石のかけらとやらを、紀伊に届けにゆかんとな。いや待て、白いのの里に、石を取り戻したと知らせるのが先か」それから右を向いて朗らかに問う。「なあなあ、紀伊と愛宕山ってのは、どっちだ?」
「西だよ、どちらもね」
赤い目の狐が澄まして答えた。内心では、鼬のお人好し加減にあきれている。
「それでは西だな。いずれにせよ」
雅寿丸の風呂敷包みの中には吉勝楽喜丸のほか、悪しき気を封じ込めた殺生石と、母子が持たせてくれた四人分の破子が入っていた。そのため鎌鼬の佇まいはまるで、泥棒鼬のようである。
「慶吾はこれから、どうするんだ?」
「儂ゃずっとここにおりたいと思うんだがな」
「お雪にゃら大丈夫よ」
「ばっ……こら、お花ッ。儂はそんなことを言っとるんじゃないわい。喜左衛門様より、殺生石にへばりつけときつく言われておる。こん狐めが妙な動きを見せたなら、すぐに御注進に及ばにゃならん。こやつらについてゆくしかあるまい」
丸い体を膨らませ、ちぎれた尾を落ち着かなげに振って喚く慶吾に、花江は妖しく輝く目を細めて呟く。
「次の町でも、またいい娘が見つかるといいにゃ」
「だからッ。そがいなつもりじゃあないと……」
猫と狸は、昨夜からずっとこの調子である。
「お花坊も、おれたちと来るんだろう?」
雅寿丸に問われ、花江はまず狐を見、次に鼬と狸を見て、わざとらしいため息を零す。
「先に言っておくけれど、あたしはお師匠について行くんであって、鼬公や狸公についていくわけじゃにゃいから」
花江の同行が色濃くなってきたと見るや、慶吾が親切ごかして口を挟む。
「無理についてくることはないぞ。お雪殿らは女所帯になってしまうんじゃから、おんしのようながさつな化け猫がおったほうがええんじゃないか?」
「それにゃら心配無用。にゃんたって、お雪には弥助さんがいるもんね」笑みを含んだ物言いで、顔を赤くするお雪を眺めて楽しむ。「もちろん、こにょ界隈の猫に、〈あわ雪〉を守るよう言いつけてあるから」
そういって、花江はもう一度、木戸門の向こう――〈あわ雪〉があるほうを見やった。
母娘に別れを告げて、西へと鼻先を向ける大鼬が口を開いた。
「尋常な勝負で、風隼村を襲った下手人を討ち果たせた。皆にも礼を言わんとな。ありがとう、弟たちも喜んでいる」
すると化け狸、丸い体を反らせて居丈高に言う。
「まあ、貸しにしといてやるわい。次の――砂浦宿についたら、何かうまい物を食わせてもらうかのう」
「あたしはお互い様ってところが大きいし、礼には及ばにゃい。でも、そうだにゃあ……」金と緑の狭間の眼で、瞳だけが引き絞られる。「あにょ後に思いついた技を試させてもらっても、いいにょよ」
物騒なことを言いはじめた弟子子を、しかし師である追儺は止めない。
「いいんじゃない。あれから一晩で腹の穴を塞いでしまった、節操のない鼬だもの。殺さなければいくらでも試して平気だよ」
「うはは! 任せろ、受けて立つぞ」
半殺しの算段をされても、どこ吹く風の鎌鼬。重たげな唐草模様の風呂敷包みをものともせずに跳ね歩いていたが、不意に真顔になってつぶやいた。
「しかし、風間甚蔵を追ったおかげで、こうも楽しい道連れに恵まれたのだからなあ。あいつにも感謝しないとならんな」
「……あれには感謝しなくていいんだよ」
雅寿丸は、もはや何度めかわからぬ絶句を追儺に強いたのだった。
「さて、日も沈んで物の怪道中らしくなってきたぞ。そろそろゆくか」
乾いた秋風が吹き、雅寿丸の髭を揺らす。白い小鼻ごと髭をうごめかせれば、微かに夕日の匂いがした。
唐草模様の風呂敷包みは重たいが、心は軽い。心軽ければ喉を鳴らし、くく、と言いながら跳ね回りたくなる。
「なあなあ。おれが『長いの』で、追儺が『白いの』だろう。慶吾はなにがいいだろうな。『丸い』なんてどうだ?」
「丸いて何じゃ。おんしは真顔で無礼なことを言いよる鼬じゃの」
「それなら『汚いの』でもよさそうだね」
「この花魁狐めェ」
「じゃ、『長いにょ』にゃんてどう?」
「ああ、いいね」
「おう、そりゃあいいな。長いの、白いの、短いの。もひとつおまけにかわいいの」
今度こそ物の怪四匹は、小栞城下に別れを告げた。母子の見守るその先で、月の見下ろす並木を抜けて、次の宿場の砂浦へ。仲がよいのか悪いのか、じゃれて蹴られて突っ返されて、楽しげな物の怪四匹、西の彼方へ消えていった。 <了>




