四十二 かわいいの、茶人になる
「これはすまぬ、待たせたのう。その……」
「花江にございます」薄紅に染めた形のよい爪を美しく揃えて手をつき、まずは非の打ち所のない平伏をして見せる。「このたびは、清輝さまに無理なお願いを聞き届けて頂きまして、嬉しゅうございます」
小栞城御殿の東へ、新たに設えられた茶室である。
貴人口から脇息片手に現れた小栞侯北条清輝は、鼻の下を顎につくほど伸ばし、平伏した花江のうなじを見ていた。それはもう、貪るようにである。ここまであからさまに助平たらしい爺とは思っていなかったが、これより追儺仕込みの手管でなるだけ多くのことを聞き出そうと意気込む花江にとっては好都合であった。
慶吾に散々笑われたひどい猫訛りは、今のところ隠しおおせているものの、人の姿を得てまだ浅い。一日と経っていないのである。なにかの拍子に拙いことになっても、この爺が際限なく鼻の下を伸ばしたままでいてくれれば、ごまかしも利きやすいというもの。
そのせいもあり、脇に控えた家老と思しき老人がわざとらしい咳払いをするまで、花江は狒々爺にうなじを晒したままでいなければならなかった。
「うむ、うむ。面を上げて近う寄れ。そなたのような女人が茶を点ててくれると申すのだから、これを無下に返すわけにもゆくまいて」
「天にも昇る心地が致しますわ」
「はは、はは、ははは。然様か、まだ歳若い身でありながら、まことによくできた娘じゃのう。うむ、気に入ったぞ。幾つだ、ん?」
「年明けて十五になります」
内心では体中が粟立つほどの寒気を覚えつつ、顔に貼りつけた表情は気立てのよい娘そのもの。二つの顔を決して交えず、相手の望む人間になりきる術は、さすが猫である。
放っておけば、鼻の下が脇息に垂れるまで花江を眺めてすごしかねない主に、家老が進み出てなにごとかを耳打ちした。
「ほほう。仙人の拵えし茶釜とな。どれ、苦しゅうない、見せてたもれ」
「仰せのままに。こちらにございます」
旅慣れた娘姿の花江は、背に置いた木箱をもったいぶって前に押しやる。これも追儺の教えたとおり、床しい気持ちを煽るために、充分すぎる間を持たせてから蓋を取り除いた。
雅寿丸よりも辛抱のきかない性分なのか、今出るか今出るかと待ちきれずに体を揺らす清輝。花江の思わくどおり、その茶釜とやらを見たくて見たくてたまらなくなってきて、ついには甲羅から首を伸ばす亀のような顔つきになり、必死に箱の中を覗こうとする。
その様子を気のすむまで楽しんでから木箱の中身を取り出す花江。こういうところはやはり、本性が猫であることに因るのであろうか。つかみ出した風呂敷包みを恭しく解き、もう一度指を揃える。
「おお」
我慢がならなくなったか、清輝は脇息を倒して立ち上がり、手前座から転がる勢いで花江の前までくると、舐めるような目つきで茶釜を眺めた。同じ目つきで花江を見ることにも抜かりはない。
「これはこれは、なんともまぁ、見事な茶釜だの」
「玉鋼の真形釜にございます」
清輝はすぐさま黒光りする茶釜を手に取り、重い手応えを噛みしめながら撫で回した。性根から助平な質らしく、その手つきは絡みつくようでいやらしい。花江と家老の目がなければ頬擦りくらいはするであろう。否、舐め回しかねないとさえ花江は思う。
そうしながらも、いかにもその道を知り抜いている風情であれこれ問うてくる清輝に、花江は一々答えてやらねばならなかった。昨夜、座る際の所作を叩き込まれつつ繰り返し暗誦させられた文句が、その甲斐あって自然口から滑り出る。
「ええ、この茶釜は仙人が作ったものと伝え聞いております。――え? そうでございますねぇ、たしか追儺仙人とか。……はい、はい。それはそれは風流な仙人だそうで」
と調子よく答えていると、ふと清輝が首を捻ったので、花江は身を強張らせた。
「風流な仙人が作ったにしては、えらく……なんというか、飾り気のない茶釜だの。ふうむ、ま、これが寂というものじゃわい」
知った顔でご満悦なのを見、肩の力を抜く花江であった。
そうかと思いきや、さきほどから嫌というほど撫でまくられている茶釜が小さく「気色悪い」と囁いたものだから、花江、再び顔を引きつらせる。しかし幸いにも、このお殿様には己の猛々しい鼻息のせいで聞かれなかったようで、花江は今度こそ胸を撫で下ろす。
ようやく茶釜が解放されたのは、それから四半刻もすぎたころであった。
「それでは早速、茶を所望しようかの」
「はい」
あれだけ撫で回しておいて早速もないが、花江は追儺仕込みに薄く笑んで頭を垂れた。すぐさま炉に火が入れられ、仙人作玉鋼の茶釜の出番である。
花江は実に手際よく用意を整えた。追儺が舌を巻くほどの飲み込みの早さを、どう動いても様になる生来の気品が助け、素人である茶の作法を、付け焼刃とは見せないのだ。茶筅捌き、袱紗の扱いなどは特に巧みであった。
こうして滞りなく点てられた茶を、清輝は満足そうに飲み干す。器量のよい、若い娘の点てた茶であるゆえ、美味なことも十割増、とでも言いたげである。
「ときに、清輝さま」
「む、なんじゃ?」
とは、すっかり猫なで声のお殿様。
「小耳に挟んだ噂によれば、遥か西の国へ留学する娘をお集めになったそうですね」
「う、うむ」
鈴の転がるような声を耳で味わっていた清輝であったが、言葉の中に「留学」という一語を聞くや、たちまち落ち着きを無くした。
「わたくしも、西の国には些か興味がございます。封国の美である茶の湯のすばらしさを、異国の方にも知っていただきたいと思うのです。今からでもわたくしめを、西の国へゆく船に乗せてはいただけませんでしょうか?」
「そなたのような器量のよい娘が、なんと勿体無い」
「え」
「いや、そのう……」通人ぶるのも忘れ、懐をまさぐって扇をつかみ出すと、音のするほどの勢いで扇ぎ、早口でまくし立てた。「異人どもに見せてやるのは勿体無いからの」
「あら」
「ははは、ははは」
花江が笑って見せると、清輝は助け舟とばかりに一緒になって、硬い笑い声を上げた。
そんな折、矢庭に外が騒がしくなり、遠くで侍たちが叫び交わすのが聞こえてきた。
また娘が食い殺されたらしい、急いで小屋へ行け。荷車を忘れるな。
静かにしろ、今、客がきているという話だぞ。
すまん。それでなに、またか。風間殿か、それとも手下の者か?
わからん。しかしたまらぬな、これでもう、三十人はいったか。
少しは遠慮というものを弁えてもらわんことには……来月を待たずに、また娘狩をせねばならぬやもしれん。
化け猫である花江の耳は、一字一句漏らさず聞き取った。すぐに同輩の叱責が飛び、声が低められてしまったため、並の人であれば、「娘」とせいぜい「食い殺され」が聞き分けられるくらいであろうか。
花江の心中によぎったのは無論、妹分のお雪である。
はじめは猫と赤子のこと、反りの合うはずがなかった。耳がよい猫にとって、大音声で泣き喚く赤子は迷惑以外の何物でもなかったし、機嫌のよいときに上げる歓声も花江を苛立たせた。少し育って動き回るようになれば、今度は尻尾をつかまれたり首根っこを吊るされたりと散々な目に合わされた。それでも、同じ釜の飯を食い、同じ秋刀魚の身を分け合ったお雪は、花江の妹分なのだ。
漏らさず聞いたとあっては怪しまれよう。ならばと花江、
「あら、なにやら恐ろしげな話が聞こえたような……」
「あ、あれはな」清輝、羽織紐を忙しくもてあそびながら、器用に目を白黒させる。「風間というのはな、その……うむ、犬の名じゃ。少々気難しくて扱いづらいのでな、家臣どもはみな『風間殿』などと呼びよるのよ」
「人食い犬なのでしょうか? 娘を……」
「やや、いやいや、まささ……まさかそんなことはあるまいて」
いよいよ呂律まで怪しくなった主人へ、家老が素早くいざり寄って耳打ちする。その慌てようといったら、声を潜めることにまで気が回らないと見え、花江でなくとも話の筋が丸聞こえであっただろう。それでも家老の言葉へ一々頷きながら、清輝は多少落ち着きを取り戻したようであった。
「そう、娘というのはな、鳥のことよ。余は風流というものがなによりも好ましい。花鳥風月の中でもとりわけ鳥が好きでな、娘と呼んで可愛がっておる。大池に作らせた島の鳥小屋――あ、まぁとにかく鳥を多く飼っておるのだが、犬の風間殿が度々襲っては喰ろうてしまうのだ」
「気が合いますこと。わたくしも鳥が好き。雀を捕らえるのは、にゃにより楽しゅうございますわ」
「ほ、雀を捕らえるとな。はて……『にゃ』とは何だ?」




