四十一 かわいいの、白いのに師事す
物の怪三匹に気取られることなく近づける者は誰ぞと、各々が身構えつつ障子を振り返った。月明かりに照らされ、障子には小さな影が浮かび上がっている。すいと障子が開けばそこに、三毛猫花江が品よく座っているのであった。
「お、おんしは……」
「お陰さまで、魔道に落ちずにすんだけど、それでもあたし、このままでは引き下がれにゃい。だから、あたしを本物にょ化け猫にして」
両前足を揃えてつき、頭を低く垂れる三毛猫。
三人は黙りこんだ。雅寿丸が慶吾に目で問うと、慶吾は首を横に振って追儺を見た。花江の不可思議な色合いの目もまた、追儺の白い姿に注がれる。
「元より妖として生まれついたのであればいざ知らず」六つの眼に強いられるようにして、追儺は口を開いた。「歳経てようやくその下地を得ようとするおまえが、すぐさま転変術を操れるわけがないだろう」
「でもあたし……」すっかり打ちひしがれた様子を見せつけてから、「久兵衛さんが殺されるところを、こにょ目で見た。犬さえいなければ、あたしが八つ裂きにしてやったにょに。城壁の向こうで、あの侍気取りにょ妖怪が……」
金とも緑ともつかない眼に剣呑な光を宿したまま、三毛猫は続く言葉を飲み込む。
その姿にいたたまれず、真っ先に落ち着きを無くしたのは乞食坊主の慶吾である。あぐらのまま体を前後に揺すっているだけだったのも束の間、痒いわけでもない体のあちこちをやたらと掻きだすものだから、寝間はたちまちその音で満ちる。聞いているほうが痒くなりそうだ。
座っていてさえ大きな体を丸め、雅寿丸は花江を見つめていた。目線の先の三毛猫が、ただでさえない肩を落として小さくなると、それをよく見ようとしてか、大男もいっそう体を丸める。繰り返すうち、雅寿丸はあぐらのまま顎だけが畳につきそうな格好になってしまっていた。これ以上は小さくなれぬと悟ると、雅寿丸は体を起こして横の追儺を見、「なあなあ」と薄墨の指貫の膝をつつく。
「……わかったよ」ため息混じりに追儺「まろが手助けすれば、できないこともない」
「お願いします」
伸っ退きならなくなって渋々引き受けたあの役目、この三毛猫が代わってくれるというのであればそれに越したことはない、というわけである。
「手間ではないけれど、とても難しいことをしなければならないよ」
「そ、それはいったい……」
いかなる試練が与えられるのかと身構える三毛猫とはべつに、大男一人を挟んだ向こう――ようやく体を掻き毟るのをやめた男が、緊張から喉を鳴らした。
「好物断ちさ」
小さく口を開いた花江の髭が、見る間に萎れてゆくのがわかる。
「好物……ええと、あたしは〈あわ雪〉で育ったから、乳料理がにゃにより好き」
「ふうん。わかるけれど、それだけでは少したりないかな。江戸や上方にならあるかもしれないけれど、乳料理を出す店はまだそうあるわけではないからね」
「ううみゅ……」
「断ちものというのは、己の最も執着するものを捨てなければならない。常に身の回りにあって心を惑わすものをこそ断たなければ、通力は得られないよ」
花江は懸命に考えた挙句、明らかに気の進まない小声で言った。
「みゅう……それにゃら、鼠獲りも」
「よかろう」仙狐追儺は一つ咳いてはただでさえ正しい居住まいをなお正し、改まった面持ちで三毛猫花江を見た。「たしかに聞いたよ。乳料理と鼠獲りを金輪際断つと。こればかりは女だろうと百姓だろうと、二言はないと誓わなければならない。できるかい?」
「誓います」
そう言って生真面目に見上げてくるのへ頷き、追儺は側に寄って座るように花江に命じた。一も二もなく三毛猫が従うと、狩衣姿の自称楽士はなにごとかを口の中で呟きつつ、何度か猫の小さな額に触れた。それがすむと、やおら花江の首根っこを捕まえ、有無を言わさず梁の高さにまで放り投げた。
「ギャッ」
と叫びはしたものの、それでもどこかの鼬や狸のように不様には転がらず、華麗に身を翻して畳へ降り立つ。
白黒茶の色合いが絶妙な按配で混じる三毛の髪。金と緑の間を取った玄妙な瞳は、小さな顔から零れ落ちそうなほど大きい。体つきは細いが若竹のようにしなやかで、とりわけ手指の美しさは目を惹いた。大きな目のせいで二十を過ぎては見えないが、ふとした拍子に残り香の如き色気が醸されるため、十五より下とは思われないだろう。美人と呼ぶには何かがたりぬ。しかし、可愛らしさということであればどこからも文句は上がるまい。花江の姿は、紛うかたなき人間の娘のものであった。
大物なのか鈍いのかまったく動じぬ墨染め袴の横で、僧形の男は一人大変な騒ぎであった。素っ裸で現れた娘姿の花江から必死に目を引き剥がし、「着る物を借りてくる」というようなことを言い置いて、倒けつ転びつ寝間から出て行った。
花江が自らの身に起こったことを飲み込めたころ、慶吾が着物を一揃い携えて戻ってきた。「えへんえへん」と馬鹿に大きく咳きながら障子を開けて、尻から入ってくるという念の入れようである。行李に残っていたお雪の小袖を、お園から借り受けてきたらしい。
着物は、雅寿丸の手を経て花江の手元へ届けられた。東雲色の地に大きな芍薬の花をいくつもあしらった小袖と紅梅の帯の一式は、仕立て直しをする間もなくお雪が召し上げられてしまったため、持ってゆきそびれたものだという。その小袖を、つい今まで猫であった娘は、誰の手も借りずに慣れた仕草で身に着けた。とてもではないが、初めて着物に触る者とは思えない、鮮やかな手際であった。それも、ただ型どおりに身に着けるのではなしに、襟や帯など小粋に見せる工夫を凝らしているのがなんとも憎い。
「いつもお雪が着ているのを、いいにゃあと思いにゃがら見ていたから」
そういうことらしい。聞けば身づくろいのみならず、店の仕込みに針仕事、手習いで教わる程度の読み書きは、見よう見まねで覚えたのだというのだから、大したものである。
これならば必ずや首尾よく娘らの居場所を聞きだせるであろうと、追儺も満足げに頷き、隣の寝間へ花江と共に篭ってしまった。なんでも、一夜漬けでできる限り、追儺が幼きころより叩き込まれた手練手管を伝授するのだという。
物見高い鎌鼬はなにが行なわれるのかと知りたがったが、追儺は「引っ込み禿三十年のまろに、任せておきなよ」とわけのわからないことを言って障子を閉めてしまった。




