十二 長いの、白いのに叱られる
狩衣姿の雅男は、現れた男を見、とてつもなく苦々しい顔になったのだった。
水たまりを挟んで追儺の目の前にいるのは、西の彼方の渡来人と比べても見劣りしないであろう、六尺に迫る大男。生え際が白く、先へ向かって黒く色づく二色の髪は、蓬髪と呼ぶのさえおこがましい、ただのざんばら髪。それと同じ按配で、眉頭にも白い毛が雑じる。体つきは壮健極まりなく、腕や足、胸などは隆と盛り上がっている。それでも、飴をちらつかされた子供より輝く黒いつぶらな双眸と、笑みのかたちに持ち上がった口角は、雅寿丸以外の何者でもない。ただし、本人がいうように胴の長さはありきたりであった。
「おう。これは確かに、久方ぶりに見る、人の手、人の足だ! 重ねて礼をいうぞ、追儺」
「礼には及ばない。笑わないとは約束したけれど」追儺のこめかみが引きつる。「怒るよ? 着物も拵えず、人前に裸で出てくる奴があるか」
己が手をためつすがめつし、全裸のまま小躍りして喜ぶ雅寿丸へ這い登る、凍てついた声。名のとおった物の怪さえ竦ませる鋭利な声も、この男にはたいした力を持たなかった。雅寿丸は笑いながら追儺をしばし見つめたあと、あっけらかんとこう言った。
「そういえばおまえ、そのご大層な装束はどこから出したんだ?」
もっともである。
追儺は、今日でもう何度目かわからぬため息をつき、渋面を心持ち和らげた。わかっている、この男は図体ばかり大きいが、まだ小童なのである。悪気など微塵もないのだ。そう、微塵も。細切れに語られる過去から察するに、どうやら人に育てられた鎌鼬であるらしい。恐らく――と、追儺は小さく頷く――物の怪のいろはを誰にも教わらぬまま、世に放り出されたのだろう。
ひよっこに腹を立ててもはじまらぬ。
大妖怪と呼んで差し支えない狐は、己にそう言い聞かせた。
「衣も毛皮も、等しく身を守るという相をもっている。この相を用いて衣と成すわけさ。こつがいるけれど、慣れてしまえばどうということはない。それでは、こつを伝授しよう」
――半刻後。雅寿丸は、高く結い上げた二色の総髪に墨染めの袴姿、素足には履き古した草履という、浪人風の出で立ちに落ち着いた。
「ま、そんなものかな」
雅寿丸本人はあまり身なりに気が回らない質らしいのだが、追儺はそれを許さない。やれ顔立ちが幼いから月代を剃ると気色が悪いの、裾捌きが拙すぎて着流しなど目も当てられないのと散々に文句を並べ立て、やっとのことで妥協したのがこの姿というわけだ。
己の姿を水鏡に映し大いに満足したのか、雅寿丸はそれまでに輪をかけて大笑し、しきりに礼を述べた。
「かたじけない。これならば食い扶持が稼げる。町で飯を食うこともできるな。生の魚や鼠も、いい加減食い飽きていたから、うれしいなあ」
そして今、小高い岩山の上。狼士雅寿丸と仙狐追儺が、そろそろ高くなってきた十五夜の月に照らされて話している。
「ときに白いの」
「何だい長いの」
「当所も決まったことだし、休むか」
そして唐突に、勢いよく体を起こした雅寿丸。立ち上がりざま、その場でひとつとんぼ返りを決める。怪しげな音とともに立ち上った煙が晴れると、そこには再び大鼬の姿が。
あちらこちらの毛がほつれ、白い下毛がはみ出し放題だが、気にする雅寿丸ではない。転変術を上手く使えるようになったのがよほど嬉しいと見え、しきりに喉を鳴らしている。
「やはりすごい。教えてもらったとおりにしたら、こうも容易く姿を変えられるとは。おまえ、転変術の師匠になれるぞ」
「狐だからね」
いい加減な相槌を打ちながら、追儺も狩衣をはためかせつつ宙返りをし、白い狐の姿へ戻る。
月が高い。刻限は間もなく、九ツを数えるころか。
大鼬は白狐が寝支度を整えてしまうと、岩場を歩き回って手頃な窪みを探し出した。図体に対して小さい窪みであるのに構わず、強引に体を押し込んでしまう。胴を真っ二つに折り曲げられでもしたような、極めて難儀そうな格好だというのに、改めるつもりはなさそうである。
「白いの、また明日な」
「鼾をかいたら、ここから蹴り落とすからね」
くぐもった声が言うのに意地悪く答えてやる声があった。それきりしばしの間、街道脇の岩山には、虫とすすきの音ばかりが響いていた。