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世直し鼬 雅寿丸  作者: Ryo
■月読
1/55

一 長いの、白いのと邂逅す

 一匹の獣が、山道を這っている。その胴は長い。鼬だ。それも、馬鹿に大きい。しかし、この鼬について真に言及すべきは、大きさなどではない。長い首と至極長い胴の間――つまり肩のあたりに、唐草模様の風呂敷包みを背負っているということに比べれば、体躯云々など瑣末な問題といえた。


 これはまず、まともな鼬ではない。化け物だ。まかり間違っても、退治してくれようなどと思ってはならぬ。なぜならば、見よ。口吻の左右からはみ出した牙は長く、極めて物騒である。短い四肢の先には、それぞれ五本の爪が小柄のようにまっすぐ伸びている。この化け物がその気になれば、人の手足を噛み千切るなど造作もないことであろうし、腹を引き裂くのもたやすかろう。


 さて、心中にいかなる思わくを秘めているのやら、大鼬の化け物は長い胴をくねらせながら、難儀そうに山道を進んだ。


 物の怪が足を止め、首を反らせて天を仰いだ。狸を思わせるひょうきんな隈取りの中に並ぶ目は、存外に澄んでいる。それがほうぼうを物珍しげに眺めやり、高麗鼠さながらによく動く。目の上には、殿上眉を思わせる白い毛のかたまりが二つ並んでおり、これまた滑稽であった。そうなると、唐草模様の風呂敷包みはもはや、どことなく楽しげにさえ見えてくるのだから妙だ。まるで、黄表紙から飛び出してきたかのようなたたずまいである。


 その大鼬の、桃色の斑入りの鼻先は、東を向いていた。五里ほど先には、小栞宿こじおりしゅくがある。あるにはあるが、この調子では、いつたどり着けるものやらわかったものではない。


 鼬はあるとき足を止め、長い首を仰のかせた。ぬばたまの双眸に映り込むのは、思わずため息をこぼしてしまうほど美しい望月。無数の星々を従えて夜空に君臨するさまは、妖しき色香にてこの国を支配する大妖「美玉びぎょく」を思わせる。


 一休みを終え、大鼬は再び尻を上げて東を目指した。鼻先をうごめかせながら進むさまは、どこか楽しげだ。ひとっ風呂浴びた上機嫌な町奴よろしく、鼻歌でも歌いだしそうに見えなくもない。喉の奥で「くく」と鳴くのは、笑っているようにも聞こえる。


 すすきを薙ぐ風に、夏の残り香と冬の気配を嗅ぎながら半刻ほど経ったころ。鼬は山道脇に鎮座する岩山の横で、不意に足を止めた。岩山のてっぺんに、白いものを見た気がしたのだ。


 雪に白鷺、死装束。世に白いものは数あれど、この時期この場所この時分となると、そうそうあるものではない。鼬とは、元来物見高い性分である。気になったからには、素通りするこそ極めて困難。体の脇へと流していたはずの長い髭は、すべて顔の前――岩山の頂上を向いている。那智黒の輝きには、ある決意めいたものがみなぎっていた。


 物の怪が無造作に伸ばした前足の爪は、岩のくぼみに引っかかった。爪の引っかかった場所、それ即ち足場である。鼬の所作には、ここならば心安いとか、こうすれば収まりがよいとか、そういった計らいがまるでない。単刀直入である。行き当たりばったりに爪をかけ、考えなしに長い体を持ち上げようとして、しくじる。


 それでも、鼬は転がり落ちることなくてっぺんにたどり着けた。というのもこの鼬、相当の力があるのか、踏み被ってあわや岩山から落ちそうになっても、爪一本だけで大きな図体を支えられたのである。また、指が思いの外長く、巧みに動いたのも幸いした。無論、猿のようにとまではゆかないが。


 湿った岩肌を這い登ったおかげで、鼬の毛並みはおどろに乱れている。あたりあたり濡れそぼり、ここかしこに妙な癖がついてしまっていた。腹側などはとかく、白い下毛がはみ出すことおびただしいが、そのような瑣末ごとをいちいち気にはしない。鼬は気にかかってしかたがない白いものの正体を見極めに、再び不束な足取りで岩場の直中を目指した。


 さて。


 それを目にした鼬はまず、月のかけらが落ちているのだと思った。たしかにそれは、まじりけのない白で、なおかつそれそのものが淡く輝いて見えたからである。

 さらに近づいて見れば、白いものは、一匹の獣であることがわかった。溶かした真珠で描かれたかのような、白い狐であった。吹けば飛びそうに細い体つきが、豊かな毛並みの尾をひときわ見事に引き立てている。尖った大きな耳から尾の先までひたすら白いが、俯いて何かを見つめている眼だけは、紅玉に劣らぬほど赤い。たいていの狐がそうであるように、この白狐も取り澄ました顔つきであったが、それだけではない何か――鼬の語彙にはない何かを秘めているように感じられた。


 癖なのか、単によろけているだけなのか、鼬は右へ左へ蛇行しながら白狐へとにじり寄った。考えなしという言葉に手足が生えて動きだしたならば、この鼬になるのだろう。足場が悪いのみならず、そこはすでに得体の知れぬ狐の間合いの内。食うか食われるかの畜生道、一事が万事この調子では、いくつ命があってもたりはすまい。


 一方、白狐もまた不可思議な挙動を見せる。己の倍はあろうかという大鼬が間合いを詰めても、端座したまま、動かざること置物の如し。気配を察したとたんに逃げるか、遅くとも相手の姿が目に入るころには身を潜めるのが、用心深く臆病な狐の正しい姿であろうに。


 大鼬が横で足を止めると、白狐は片耳をわずかに傾けてみせた。気づいているぞ、とほのめかしたのか。見ようによっては、「あっちへゆけ」との拒絶にも受け取れよう。いずれにせよ、そこに心安げなものは微塵も含まれていなかったのだが、鼬は無論、頓着しない。


 鼬は狐を無遠慮に見つめた。気がすむと、今度は狐の見つめる先に興味が移ったようである。赤い視線をたどってみれば、それは小さな水たまり。今朝方降った雨が、岩のくぼみに溜まったものであろう。わずかな風にさえさざなみ立つが、凪げば見事な水鏡。中天の星と望月が、そっくり沈んだ盃のよう。那智黒の目を輝かせ、鼬は狐と一緒になって水たまりに見入った。


 ――が、またたく間に飽きた。大鼬の目は、水たまりと白狐の間を行ったり来たりし始めた。それでもなお狐が動かぬと見るや、鼬は水たまりのほうにちょっかいを出すことに決めた。黒い毛に覆われた前足の、熊にも似た長い爪が、今にも水面に届くかというときである。

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