オリマッテ・ロットロン領地開発記 その2
オリマッテ・ロットロン男爵がレイバーグ・コレスタント・ブラスト辺境伯へと伝書鳩高速便を使用し、きっちりと一日で届いた。最初は鳩を管理する使用人がロットロン男爵所有の鳩と家紋を確認し気が付く。使用人は直ちに家令のセバス・ポトエールへ報告を上げる。そこで初めて手紙を取り外す。使用人にはそれを行う権限がなかった。
セバスは家紋と名前を確認してレイバーグへと手紙を渡すのである。
「旦那様、お寛ぎのところ失礼致します。ロットロン男爵より高速便でお手紙が届きました」
この高速便で届けられた場合は、よっぽどの事でない限りは至急届ける決まりとなっている。即ち高速便が使用出来るケースが限られていると言う事だ。
「オリマッテから手紙だと。ふむ、此方へ」
レイバーグはその様に言うと、間を置くこと無くセバスは手紙とナイフを差し出す。レイバーグは再度オリマッテの家紋と筆跡を確認する。別にセバスを信用していない訳ではなく、自身の責任で開ける為である。
ナイフで器用に封を剥がすと中に収められている手紙を取り出し読み始める。今彼等は家族で団欒の時を過ごしている。その場には不釣り合いの内容に読んでいるレイバーグは怒りを何とか抑えようと努力をしている。
「セバス、至急アシュリを呼んでくれ。カミゲナ、済まないが私は執務室へと移る」
その様に声を掛けた相手は彼の妻である。分かった、と言う様に頷いたのを確認して彼は部屋を後にする。
「まったく!どうしてこの様な真似が出来る!!」
彼は執務室に入ると大声でその様に言葉を発する。確かに自分が認めた相手である。レイバーグはオリマッテの能力を信頼している。自身の目で見たから間違いないと太鼓判を押している。現に問題行動を起こす事は決してない。だが、手紙に書かれているその対象は違った。ブラスト辺境伯家の家臣となり、三百年の家柄を保つモノースル男爵家は数年前に当主となったグーテコバである。彼は所謂世襲によって男爵家を継いでいる。その家の家臣も優秀な人材が揃い、経験の浅い新当主を補佐できるものと考えられていた。
だが過去の功績から何から全てを受け継いだと勘違いしていたのだ。特にグーテコバが受け継ぐ事が出来たのも先代、ドロネン・モノースルが才能を発揮したからである。これはレイバーグはが認めるところであり、功績には確りと報いていると考えている。だが、グーテコバという人物は全くその片鱗が無い。どうしてあの親からこの子供が、と言いたくなるような出来であった。加えて陰湿な雰囲気のあるグーテコバをどうにも好きに成れなかった。
そう考えていると部屋をノックする音が聞こえる。
「入りたまえ」
「失礼いたします。お呼びと聞きまして参上いたしました」
アシュリは礼に則った挨拶を行う。
「まあ掛けてくれ…」
レイバーグは向かい合う様に設えられてある椅子を指した。二人はそちらへと移動して話しを始める。
「時間が余りないから単刀直入に話す。オリマッテがドロネンの倅に妨害を受けている。私はこの際あの家を取り潰す考えだ」
そう話すとオリマッテの手紙を彼に差し出す。読めと言う命令であると解釈し、手紙を読み始める。丁寧に色が付いた部分が在り、そこだけを読んで理解できるようにレイバーグが細工を施していた。
「成程、確かにあそこは新当主となってから良い話しは聞きませんからな。それにロットロン男爵は大規模な拡張工事を計画されておりましたな。その資材を止められていると?」
アシュリは彼の腹心である。大体の家臣の情報は頭の中に入っている。
「そうだ。数日は計画通りに工事が行えるそうだが、資材を使い切れば滞ると書いてある。移住者も移動を開始している為に工期を遅らせる訳にはいかないのだろう…」
アシュリにはこのように話すレイバーグの怒りと言うものが理解できている。貴族とは弱肉強食の世界である。隙を見せれば強者に食われてしまう。だが、そこには暗黙のルールが在る。あくまでも当の貴族が義務を怠り、行動しなかった場合に限ると言う前提が在る。
だがグーテコバはその行為を逸脱させている。ましてや気に食わないという理由で妨害工作をする様では貴族失格である。それに付き合わされる領民が可哀想であると思い、アシュリは大きく溜め息を吐く。
「まったく困りましたな… ドロネンは出来た人物で在りましたのに」
「そうだな。今も彼の死が重く圧し掛かるよ」
二人はセバスが用意したお茶を飲む。気の重く成る話しである為一度気分を切り替えるのだ。
「ですが仕方ありませんな。ここで何もしないのであればブラスト辺境伯家の名に傷が付きます。ドロネンには申し訳ないとしても断固たる処置を取るしかないでしょう。私は閣下のお考えに賛同いたします」
本来彼の考えに賛同者を求めずとも、このくらいは簡単に実行出来る。しかし、それを行うと家臣等の信頼を大きく失する為にレイバーグは相談して決めると言う形を執っている。
彼ら三人は歳の近い仲間である。初めから次期当主として育てられ、アシュリとドロネンは将来の腹心として育成されていた。その思惑通りに進みブラスト辺境伯家を盛りたてていた。アシュリは軍事でドロネンは政務で、レイバーグの両翼として活躍していた。しかし、そのドロネンが若くして亡くなり、片翼をもがれる形となる処にオリマッテと言う人物を見出した。
レイバーグは何れ自分の、若しくは息子の右腕に据えるつもりである。グーテコバがドロネンの様であれば問題無かったが、それは望むべくもない話しであった。
「それでは私は兵を準備いたします。どのくらい用意致しますか?」
「二百で良いだろう。全部騎兵で頼むぞ。移動時間を短縮したい」
「承知いたしました。それでは失礼いたします」
アシュリはそう述べると部屋を後にする。これで兵の準備が終わるのを待つだけである。
と、そこで忘れている事が在り急いで机に戻り何かを書いて、別の鳩に持たせると家から解き放った。
「ふん、貴様らがオリマッテの所に荷を運ぶ商人どもか!」
グーテコバは屋敷の敷地へと連行されて来た商人たちを忌々しい思いで睨みつける。この領地では彼が全てだ。どの様な理不尽な行為も受け入れなくてはならない。それが商人の脳裏を掠める。当然その様な行為をすれば上の貴族が黙っていないだろうが、それは後での話しだ。目の前に迫る危機を防ぐ事は出来ない。
「は、はい。モノースル男爵様…」
だが、商人も幾度となくこのような場面を乗り越えて来た経験が在る。その為に腹に力を込めて返答した。だがそれが余計に彼を怒らせる。
「ふざけるな!!」
その様に言葉を発すると拳を彼の頬に浴びせる。まさかの事態に周囲の者も驚きを隠せない。この様な事をするだけでもモノースル家は窮地に追い込まれるのだ。商人が来なければ物資の運搬が出来なくなる。そうなれば必要な物が手に入らなくなるばかりか、周辺の領地にまで被害が及ぶ。特にロットロン領は甚大な被害が予想される。
そう考えた時、多くの人間は悟った。グーテコバの全ての行動はオリマッテ憎くしで固まっている。商人も、モノースルに仕える人間達もその全てが出した答えは『狂っている』であった。だが、この場にいる彼等にはどうする事も出来ない。せいぜい諌める事であるが、それを行った者の末路を知るモノースル家側の人間は出来ない話しである。しかし、モノースル家に仕える人間は破滅である。間違いなくお家お取り潰しの上、仕える者達も同様の罪で流刑に等しい処罰が待っていると彼等は考えている。
「貴様等が!貴様等がそうやって甘やかすからあの野郎が調子に乗るんだ!!」
支離滅裂な事を話しているが、グーテコバから見るとそうではないのだ。例えば商人が運ぶ荷物において、オリマッテは嘗ての伝手を利用して多くの品を安く手に入れる独自のルートを作り上げている。それを知らない彼にしてみればそれが元商人仲間故の贔屓であると映る。さらにレイバーグとの関係だ。これも元御用商人である彼があの手この手で成りあがったと考えている。
全てを否定することはないが、多くは彼の都合の良い解釈である。オリマッテの人柄と自身の努力の結果が今の結果と為っている。それをグーテコバは認めようとはしない。
「お、お言葉を返すようですが男爵!我らはただ注文の品を届けに参るだけで御座います」
「ええい、それが気に食わんのだ!!」
とうとう彼は商人を蹴り始める。商人は意外にも体を鍛えていた為、殴られる程度ではどうってことは無かったが蹴られれば話は別だ。もんどり打って地面に倒れる。尚も必要に蹴り続けたところでモノースル家の兵士が止める。これ以上は死亡する可能性があるから。
「旦那様、お止め下さい。これ以上蹴り続ければ死亡してしまいます!!」
「ええい離せ、貴様!貴様も逆らうとどうなるか分かっているのだろうな!」
その対象を変えようとしたところで新たな報告が飛び込む。
「旦那様ー!ただいまロットロン男爵様が到着なさいました」
「何あの野郎が来ただと!随分と早い到着ではないか、まあいい命拾いしたな貴様等…」
グーテコバはその様に商人と止めに入った兵士に言葉を浴びせた。
この言葉で難を逃れた兵士であったが首の皮一枚が辛うじて残った様なものであった。
「お、お待ちください。ロットロン男爵様、旦那様のご命令でこれよりは入る事が叶いません。どうかお待ちください!」
全ての者を止めて検査している為に領地入り口では長蛇の列が出来ている。その大半はロットロン領へと向かう者たちだ。兵士らは理不尽な命令でも聞かなくてはならない。それを守らせるための恐怖である。その為に一歩たりとも中へ入れようとはしなかった。
「ならばモノースル男爵を此処へと連れてこい!理解しているのか、これは重大な違法行為だぞ」
兵士もオリマッテの言う事は理解できている。しかし、グーテコバと言う恐怖の対象が存在する限り、決して兵士らは首を縦には振らないだろう。
「ロットロン男爵殿…」
そう離れた場所から声がしてそちらの方角を見るとこの領地でよく知る人物を立っていた。埒が明かないと彼等はそちらへと移動する。その行動に兵士らは安堵の表情となる。
「アレバレル、お前が付いていながらどうしたと言うのだ!?なぜこのような行動に出る?」
アレバレルは先代ドロネン、先々代アレイル以来モノースル家に仕える生き字引である事を知るオリマッテだ。未だかつてこの様な事が無かっただけに問い詰める様に話しかける。
「申し訳ありせん男爵。既に私ではどうする事も出来ないのです」
彼は現在の自分の役職を包み隠さず話す。加えて今の状況に至った経緯もである。
「何と!切ってしまわれたのか!?なんて愚かな… それで今モノースル家を纏める者は?」
「居りません。全てはグーテコバの思いのままです。逆らえば殺されます。殺すのは兵士ですが、その兵士も恐怖によってやらざるを得ない状況に追い込まれております」
アレバレルは全てを諦めた様な、そんな目でオリマッテに話しかける。彼の頭の中ではモノースル家は既に終わりを迎えていたのだ。後はその滅んでいく姿を見るだけだと心に決めている。しかし、周辺の貴族に迷惑を掛けさせるわけにはいかないと考えてオリマッテの前に現れたのだ。
「ううむ。それほどまでとは、ドロネン様がいらっしゃった時とは雲泥の差ではないか…」
オリマッテも此処まで酷いとは思いもよらなかった。隣り合う領地とはいえ交流は無きに等しい。領民は行き交うが領主の交流は皆無である。一方的にグーテコバが毛嫌いし、憎んでいるのだがオリマッテは気にすることは無かった。それが余計に腹立たしいとグーテコバは考える。
数々の嫌がらせもオリマッテは堪える事はなく、別の方策を考えて対処する。最早嫌がらせが領主の責務だと考えているのではないかと彼は問いたくなる思いである。
「もう少し、我らの話しをお聞き下さればこの様な事態にはなりはしなかったと後悔しております。ドロネン様、アレイル様に何とお詫びをすればよいか…」
そう言ってアレバレルは肩を落とした。
「なんだ、こんな所に居たのか老いぼれ!それにオリマッテも一緒とは都合が良い」
その声の主はグーテコバである。後ろには完全武装した兵士三十人が付き従っている。
「グーテコバ…」
オリマッテは同じ家臣である為に名前で呼んだがそれが彼を怒らせる。
「元商人風情が私の名を呼ぶんじゃない!!」
「嘗ては商人であったが今は男爵位をブラスト辺境伯より戴いている。言わば私と貴様は同等だと言う事だ」
オリマッテの後ろにいるロドム達三人はハラハラしっぱなしである。腕に覚えがあろうとも三対三十は無理である。挑発を止めたいと考えてはいるがそれが出来る状況では無い。口を挟めば余計に火の粉は燃え上がるだろう。
「おやめ下さい、旦那様…」
だが、此処で口を挟める者が居る。アレバレルだ。彼ならばまだ僅かに希望が在る。何と言ってもモノースル家三代に渡り仕えて来た人物である。
「五月蠅いぞ、老いぼれ!お情けで家の使用人にしてやった恩を、この様な場所で返しおって!!」
だが、それも望み薄だなとロドムは思うのであった。
「まあいい、この場にいると言う事は好都合だ。死ね、お前たち全員死んでしまえ!!」
グーテコバはそう言って手を上げる。何時でも兵士が駆け出せる体勢を作る。ロドム達は不味いと前に出るが、場所的にも開けている為にますます不利である。
グーテコバは漸く宿願であるオリマッテを殺せることで悦に入っている。あの憎い男が自分の命令で死ぬ。さらに何かと五月蠅い事ばかりを並び立てていたアレバレルも葬る事が出来る。それだけを考えるだけで笑いが止まりそうも無かった……