第五話 いやーまいったね、これは…
話しは近藤孝雄実が村でエレオノーラと乳繰り合っている時まで遡る。この地域はブラスト辺境伯が治める地域である。オリマッテ・ロットロン男爵は彼より領地を与えられた陪臣貴族である。元は彼の御用商人をしていたがオリマッテの経営を見てブラストが貴族に取り立て領地を与えたのである。
「何っ!鬼が出ただと!!」
この日は特に来客が無いブラスト辺境伯は、のんびりと屋敷から領内の自然を眺めていた。彼自身が設計に加わり、町割りまで行った渾身の景観である。彼は何時見ても惚れ惚れとする思いになる。そこにブラスト辺境伯家の家令である、セバス・ポトエールが駆け込んで来たのだ。そして告げた言葉がそれであった。
「は、はい旦那様…既に被害が出ておりまして、早急な対応が必要となります」
詳細を聞けばオリマッテが治める方角から進行していると言う。目標はここ、ブラストルアイクであると言う。ブラスト辺境伯領の中では今彼が居る場所が最も人口が多い。鬼は何でも捕食する為に、一番此処が狙われるのだ。ブラストは心血を注いだこの街並みを簡単に破壊してしまう鬼には憎悪しかなかった。
「兵を集めろ。至急にだ!それと戦えるものは参加させる事。女子供は当家の馬車に乗せて避難を開始せよ!いいか、街は造り直せばいい、命を無駄にはさせるな!急げ!!」
ブラストはセバスにそう言い放ち、彼が室内を急いで出て行くと力無く椅子へと腰掛ける。
「な、なぜ此処なのだ…」
そう呟いたことは彼自身意識していなかった。
対策は直ちに行動へと移される。ブラスト家の常駐する兵士が避難誘導などを行い、別の兵士は急造の兵士を見繕う。やるべき事は決まっていた。その様な対策マニュアルが策定され、毎年のように訓練が為されていたからだ。
しかし、訓練と現実とでは大きな差がある。住民は蜂の巣を突いた様な慌てぶりである。だが確実に近づく恐怖に対象を考えれば無理なことである。
「これが全兵力か…」
ブラストの目の前には五千名の兵が整列している。緊急時とは言え、よくもこれほどの兵を集めたとセバスの能力を褒めてやりたかった。しかし、それは生きて帰ってきたらの話しである。
「みな危急の知らせに集まり感謝する。鬼は確実に此方へと向かっている!何がなんでもこの街へは入れさせん、出陣!」
そうブラストが声を上げると兵士は一様に声を張り上げる。何も対抗手段が無い訳ではない。必要と思われる兵器を用意させての出陣である。
レイバーグが軍を進めていると、前方から既に多くの住民が此方に逃げているのが分かる。冷静な者を捉まえて、逃げて来た方がどうなっているのかを尋ねながら、逃げ惑うものには指示を与えながら進む。さらには彼の家臣が軍勢を率いて勢力に加わる。必ず一家に決められた対鬼専用兵器を持たせていたことが幸いしたのだ。中には同じ貴族の者もいるがそれにはレイバーグ達の様な物は持っていなかった。爵位は男爵で在っても、レイバーグには裁量権が無い為にどうする事も出来なかった。
暫く軍の吸収を行いながら行軍していると遂に重要な情報がもたらされた。それは前方より来た商人である。彼はブラストの家紋が施された旗を見て一目散にやって来たのだ。
「ブラスト様!ブラスト辺境伯様ー」
商人は馬車に乗りながら、自身は御者席から前方に向かい声を張り上げながらやって来る。対してレイバーグも存在が分かるように道を開けさせるように指示を出し、彼の騎士団が命令を実行する。
「私は此処だ!」
その声に反応した商人は直ぐ近くで馬車を止める。そして馬車を降りると形式に沿った挨拶をしようとする。時が惜しいのにその様な事をされては堪らない。彼は直ぐに止めさせて話しをさせる。
「此処より二十キロ先でオリマッテ・ロットロン男爵が足止めを行っております!」
その言葉に周囲に居る陪臣貴族や貴族は感嘆の声を上げる。焼け石に水であるとは理解していても、危急の折には立ち向かう。それが貴族の務めである。彼は今それを行っているのだ。ブラストは商人に良く知らせたと褒美を与えて解放した。
「皆の者聞いたな。我が家臣、オリマッテ・ロットロン男爵が貴族の本懐を見せておる!我らも彼の者を見習い直ちに現場へと赴くぞ!!全速だ、続け!あ奴を殺させるには惜しい!」
ブラストはそう言うと乗っている馬の腹を蹴る。周囲にいた者は彼に遅れてはならぬと次々に駆け出す。少し離れて見たいた者たちはレイバーグの声に呼応していてワンテンポ遅れるが、当主に遅れてはならんと全員が駆けだした。これに領地持ち貴族も付いていく。気が付けば諸侯軍はブラスト軍へと変わっていた…
馬に乗る者は貴族と騎士団のみである。他は自分の足で走るのみである。それでも先程のブラストの言葉で刺激を受けたのか殆んど脱落することなく行軍が続けられている。前方では数多くの土煙や火災による煙が立ち昇っているのが見える。皆その中には多くの犠牲者がいることを知り、少しでも早くと言う思いが彼等を突き動かしていた。
ブラストは今もなお先頭を走り続けている。彼が乗る馬の性能が桁違いなのだ。だが待てと彼は走りながら考える。本来鬼とは三十メートルもの巨大な生物である。それがどうして煙の中で見えないのか、そう考えるようになっていた。
「速度を緩める!偵察、前方を調べろ!」
彼の言葉ですぐさま兵士は行動に移る。よく訓練されればこのような動きは朝飯前である。
「どうかなさいましたか旦那様?」
そう尋ねるのは彼の腹心アシュリ・ホルクス子爵である。
「鬼の姿が見えないのだ。此処まで近付けば暴れている姿は確認出来よう。それが見えないのがおかしい」
「たしかに…まさかオリマッテ男爵が倒したと?」
アシュリはそう言って、まさかと言った顔をする。当然ブラストもそうは考えては居ない。しかし、目の前の不可思議な答えを持っているのではと考えては居る。
暫く速度を落として行軍している。その間も住民は後を絶たずに逃げ込んでいる。
「報告!ほうこーく!辺境伯様、前方の様子が分かりました!」
偵察兵から報告を受けた家臣がブラストへと掛け寄る。彼は偵察部隊を指揮する貴族である。報告を受けるべく全軍を停止させる。
「何、鬼は倒されただと!?」
ブラストは報告している家臣に睨みつけるように確認する。
「は、はい。オリマッテ・ロットロン男爵と接触をした兵士からの報告を受けております。その…」
「よい、直ぐにその兵士を此処へ連れてまいれ!」
家臣は駆け足でその兵士のもとへと向かった。
「これがひと段落したら編成などを弄らねばならんな……」
今で言う人事異動を匂わせた。この場合の人事異動は単に部署が変わるなどでは無い。下手をすれば生死を分けるのである。ブラストに仕える貴族には戦慄が走る言葉である。
先程の家臣が急ぎ件の兵士を連れて戻って来た。そこで話されたのは驚きの言葉である。僅か六名にて見事鬼を討ち取ったというのだ。そして馬車を使用している為に此方へと向かうのが遅れるという。兵士が一言発する度に家臣や他の貴族らは歓声を上げる。レイバーグはそれが非常に耳障りであった。
「オリマッテ・ロットロン男爵が到着なさいました!」
兵士が告げるとその場の雰囲気に変化が現れる。簡易的に造られた会議場所はそれなりに設えてある。そこにはレイバーグを始め、領地持ちの貴族が優先的に出席を許され、余れば家臣の中から上位の者が出席する。
「うむ、通せ」
短く言うと兵士は幕を上げて彼等を入れさせる。オリマッテを先頭にロドム達が列をなして入る。そして最後は孝雄実である。二頭の虎の子供を抱えて…
「オリマッテ、話しは聞いたぞ。大変良くやってくれた!」
「閣下!」
レイバーグはそう言葉で労うと彼を抱きしめる。二人にはそうやってするだけの信頼関係があった。辺境伯と男爵とでは身分が違いすぎる。だが信頼と言う絆が二人を結んでいた。
「さあ、席に着いてくれ!」
レイバーグはそう言って彼等を促す。彼の前に椅子が六脚置かれている。貴族は左右に列をなして座っている。オリマッテが席に着くのに続いてロドムらも続いて座る。
「さて、詳しい話しを聞かせて貰いたい。何分我らは鬼が出現したとしか知らされずに此処まで来た。そして君等がその鬼を討ったと言う。そこまでは報告を受けている」
レイバーグの雰囲気は先程の親しげなものではない。今は広大な領地を治める辺境伯爵のそれである。場の雰囲気も一層締まったものへと変化した。これは孝雄実であろうとも感じるものがある。動じることが無いのは二頭の子虎であった。
「承知いたしました。先ずは経緯からお話しいたします。我らがブラスト辺境伯の住まうブラストルアイクを辞して領地へと戻る間の出来事です。此方に居るコンド・タカオミと言う青年に出会いました」
オリマッテは深い森を移動している時の話しを始める。そこでは思わぬ賊の襲撃によって命の危険さえあった事を話す。それには一同苦々しい顔をする。彼等もこの森を抜けなければブラストの元へは辿り着けないのだ。今の様に軍を編成していれば賊は襲ってくる事はない。だが少数で移動すれば襲撃してくる可能性が高くなるのだ。
「ふむ、あの森に住む賊は私も悩んでいる問題だ。諸君らも悩んでいるならば早急な対処が必要だな。それは後日必ず話し合うことにしよう。続けてくれオリマッテ」
「はっ、その時我らは僅かに六名でありました。賊の人数は十五人でした。防戦一方で打開策が無いままであった所、此方のコンドが助けてくれたのです」
オリマッテはそう言うと孝雄実を紹介する。彼はどうしていいのか分からず固まっていたが、隣に座るエレオノーラが肘で突いて促す。レイバーグを始め、目の鋭さが半端無い面々が彼を凝視している。
「こ、近藤!孝雄実です!!不作法者ですが、よろしくお願いします!」
声を張り上げればいいと言うものではない。しかし、その時はこれで問題なかった。折り目正しく九十度まで状態を曲げて頭を下げることが彼らには印象深かった。
「見た所この辺りの者では無い様だが…」
ブラストは彼の身に着ける見たことも無い服装から判断する。皆疑問にも思わなかったが彼は確かにおかしな服装であったのだ。彼は所謂ジャージを着ていたのだった。このジャージは部屋着として愛用している物で、彼が寝るときもこの衣装であったのだ。
「閣下、驚かずに聞いてください。コンドは『呼ばれた者』であると考えられます」
オリマッテの言葉に一同騒然とする。前の『呼ばれた者』は今から百年以上前、一世紀は出現していないのだ。彼等にとっても既に眉唾な話と考えているのだ。
「諸侯等静まるのだ!済まぬな、オリマッテ。何分私も信じられないのだが…… 君がそう思う根拠を示して貰いたい」
「お言葉を返すようで恐縮ですが、閣下『呼ばれた者』の特徴を御存じで在られますか?」
これは誰もが一度は耳にする話である。言葉には出さないまでも、馬鹿にしているのかと言う雰囲気を出す者さえいるほどだ。だが、オリマッテがそう言ってもレイバーグは一切その様な雰囲気にはならない。彼の目が真剣に自分に話し掛けていると感じているからだ。
「全てがそうとは言わないが、その者たちは必ず動物を使役していると聞くな… まさかその虎がそうだと言うのか?」
レイバーグがその様に言うと皆の目が再度、孝雄実と子虎へと注ぐ。それでも二頭の子虎は我関せずである。
「そうです。話しを続けます。賊の襲撃で防いでいる時でした。森の中は身を隠すのに最適です。コンドは茂みから矢を放ったのです。それと同時に二頭の虎が賊に襲い掛かりました。そこまでは偶然かと思われますが、矢は意思を持つように動きを変えて賊へと命中したのです。普通弓で放った矢はそうはなりません。であるならば考えられるのは一つ…」
「魔法であると言うのだな…」
レイバーグの魔法と言う単語でこれまた皆が驚き、どよめき起こる。今度は手で周囲の声を抑えたレイバーグはオリマッテに先を話させる。
「私も最初は疑いました。しかし、コンドの隣に居りますエレオノーラが魔法であると断定しました。彼女の事は閣下も御存じでありましょう。彼女の言葉で私は信じることにしました。そして鬼の出現で私も確信せざるを得ませんでした」
彼はそう言うと絶望的な鬼との遭遇を語り出した。僅か六名での防衛線を行うことに決めた。この事は前日彼が泊まった村へも何れ鬼は到達すると言う判断であった。オリマッテが補助魔法を掛け、必ずレイバーグが援軍を率いて来るその時まで、何とか踏ん張る心積もりであった。此処にもレイバーグへの信頼が垣間見える話しである。
「私とダン、そしてコンドは戦力外と計算し後方で待機をしておりました。その時です。コンドが攻撃しても良いのかと尋ねて参りました。最初は何を言っているのかが分かりませんでした。ダンも同様に彼に食って掛かっていました。何を言っているんだと、しかし、その時私は失念していたのです。彼が魔法を使用出来る事を…」
オリマッテが流暢に話す物語に周囲の者は耳を大きくして聞き入る。それだけ彼の話術は人を引き込むのだ。名前の出るたびに孝雄実は色々な表情を作るがそれがまた笑いを誘った。此の場の雰囲気は既にオリマッテの物である。気が付けばレイバーグも引き込まれている。
「コンドは自分の武器であるボウガン為る弓を構え出します。距離にして一・五キロは在りましょう。とてもではないが届く訳が無い。私とダンはそう考えておりました。しかしです、ボウガンを構えた孝雄実は突如淡い光を纏いだしました。矢が装填されていないものの、そこには矢がある様に思わせる何かが存在しました。そして子虎の存在です。コンドの淡い光は子虎へと繋がり、それがボウガンへと流れている様に見えました。魔法は本来詠唱して初めて使用出来るものです。しかし、コンドは詠唱しておりません。何かをブツブツ喋っては居るもののそれが詠唱とは思えませんでした。であるならば、彼はイメージを浮かべるだけ、そして子虎が実現させると考えなければ説明が付きません。最後は物凄い爆発音と衝撃を与え、鬼の左足全てを吹き飛ばしました。そこからは尋常では無い血が流れ出て暫くすると動きを止めました。以上です」
そこまで話すと場の空気は静まり返っていた。その誰もが嘗て一度は聞いた、御伽話の様な存在である『呼ばれた者』に酷似していたからだ。
その場は直ぐに論功行賞の場へと変わる。と言っても功があるのはオリマッテと数名である。レイバーグが報いる事が出来るのは家臣と彼等の下に集まった兵士だけである。諸侯に関しては報いることは王家に対して越権行為となる為行うことは出来ない。軍を動かす場合は当然多くのお金が掛かる。既に諸侯は鬼退治に参加した後の報奨金を当て込んで参加している。これには諸侯の打算が多分に含まれた参戦であった。しかし不幸にも掛けに失敗してしまった。だが、それではいそうですか、と言えないのが貴族である。それが分かるレイバーグであるから急遽新たな行動を行う。報いることは出来ないが彼にはその様に調和を設けることも役割であった。
それが深い森の山賊狩りであった……
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それでは次話で御会い致しましょう。
今野常春