【5】
(よもや、これまでか)
自分の義理の娘にあたるラミアを庇いながら、リュークは自分の最期が訪れる瞬間を待った。
老いた。
そう、実感せざるえなかった。昔の自分なら、こんなドラゴン等、何匹束になったとしても簡単に討伐できたというのに。
魔具を使って、息子夫婦共々城へと避難するのが、王として正しい行動なのは分かっていた。
命に貴賤は無いという。だが現実問題、数多くの人間の人生に影響を与えかねない王族の命は、せいぜい死の影響が家族に及ぶ程度の一般庶民に比べて、明らかに重い。リュークはその場から一刻も早く逃れることが、王として正しい行動だった。
だけど、リュークは頭ではそう理解していても、逃げることは出来なかった。
『いかなる時も、英雄たれ』
それが、リュークの中の消せぬ信念として、存在していた。
その信念を裏切るなら、死んだ方がましだ。
リュークは今でこそ勇猛果敢な賢王として名を馳せているが、元々は下級貴族出身の、一兵士に過ぎなかった。
教養もなく、気の利いた会話や、社交会では必須とされているダンスも下手だ。
頭を使う作業は苦手で、考えるよりも先に手足が動く、そんな不作法な男だった。
しかし、リュークは剣の腕と、勇猛さという点は天賦の才を持っていた。
その剣の腕で魔王討伐を成しえた結果、リュークはその功績から圧倒的多数の民衆による支持を受けて、王位を継承することになった。
民衆の前に見せた悠然とした態度とは裏腹に、リュークの内心は不安に満ちていた。
自分はただの戦士だ。王の器などではない。リュークはそれを誰よりも理解していた。
リュークは、政治は有能で忠実な家臣に任せて、お飾りの王になることを早々に決意した。
お飾りの王なら頭はいらない。民衆の心を掌握するカリスマ性があればいい。
そしてカリスマ性を維持する為には、リュークは英雄であり続ける必要があった。
どんな危険な戦いでも、リュークは常に最前線で指揮を執り、功績をあげた。民を第一に考え、それに則った行動をとった。
為政者として、何かを切り捨てねばならない場面では周囲の意見を詳細に至るまで聞き、状況を詳細に至るまで把握した上で決断を下した。
リュークは頭の回転は早くないが、素直で実直な男だった。何かを切り捨てる決断をした時にはいつも、その厳めしい顔に似合わぬ涙を滝のように流した。その上で、その咎を自身で全て背負った。
家臣は、民は、そんなリュークを愛し、支えてくれた。
愛してくれるものに支えられたからこそ、リュークは賢王として生きてこれた。
(私ほど、幸せな王はいまい)
リュークは、自分の人生に心から満足していた。
リュークは、恐怖に震え、蒼白な面持ちの息子に視線をやる。
手には移動魔法の魔具を掴んでいるが、焦るあまり起動手順が間違っている。
心残りは、遅くに授かった息子リーシェルのことだ。
生まれつき病弱なリーシェルは、戦場にでたことは愚か、まともに剣すら握ったこともない。
かといって、学問や教養に秀でているわけでもなく、総じて凡庸。
突出した美点は、亡き妃によく似た女性的な端正で繊細な顔立ちのみ。
そんなリーシェルが、リュークが数十年かけて英雄崇拝を浸透させたグレーヒエルの民を纏めることが出来るのだろうか。
(せめて特別に武勇に優れた側近がいれば…)
家臣たちは頭脳面では優秀であるし、兵士たちもそれなりの武勇を馳せているものも少なくないのだが、いかんせんリュークが培った英雄像と比較すると見劣りする。
国民の間で話題になるのは、リュークのことばかりで、格別に名を知られた人物がいない。
(私の英雄像を引き継いでくれた上で、リーシェルを支えて共に国政を担ってくれる人物がいてくれれば、安心して死ぬことが出来るのだが…)
それはあまりにも都合が良すぎる願いであろうか。
リュークは迫りくるドラゴンの牙を視界に入れながら、そんな人物がリーシェルの前に現れてくれることを天に祈った。
「先王陛下…っ!!」
血なまぐさいその場には似合わない、澄んだ乙女の声が突然響いた。
(!?ドラゴンが…)
リュークに迫っていたドラゴンが空中で瞬時に凍りついて停止した。
ぴきりという音と共に表面にひびが入り、たちまち氷塊となってはじけ飛ぶ様を、リュークは唖然と眺めていた。
こんなこと、どんな魔具をもってしても成しえることではない。
数百年前に失われた、古代魔法でも使用しない限りは。
声の方向にすぐさま視線をやると、ローブを纏った人物…おそらく女性だ…が自分の方向に手をかざしていた。
深くかぶったフードで顔の造作も分からないのに、思わず息を飲んでしまう程、その立ち姿は美しい。
女性の白い手が、まるで音楽でも紡ぐように軽やかに動く。
次の瞬間、手の方向にいたドラゴンは、先程のドラゴンと同じように凍り付いて行く。
女性を「敵」と判断したドラゴンが複数で人物に襲い掛かるが、女性が両手を前にかざした瞬間に手のひらから発せられた、冷気による風圧でたちまち吹き飛ばされる。
女性に恐れをなしたドラゴン達は、ひと声甲高い鳴き声を上げると、西の空へ向かって逃げるように飛び去っていった。
まるで物語の一幕のような光景。
リュークはその女性に、自分の後継者たる、否、それ以上の偉業を成すことが出来る、次代の英雄の姿を見出した。