全裸の魔道士
ネットゲーム『ツンダーク』には色々な謎や都市伝説があるが、そのひとつに「時間経過」がある。
どういう事かというと、ツンダーク中の時間経過とリアルの時間経過がプレイヤーによりバラバラだというのだ。平均するとだいたいツンダークの一日がリアルの三時間程度とも言われているが、リアルと同速度という者もいて一定しない。
一応、この事は大脳生理学的な説明がなされていて錯覚の一種というのが公式見解となっている。
だが、あまりに不思議であるし、それでは説明がつかない事象も多々ある。ゆえに様々な憶測が飛び交っており、一部は参考情報としてwikiにも書かれている。
たとえばツンダーク異世界論者に言わせれば「世界間接続なので、渡航中の時間経過についてはプレイヤーひとりひとりの状況や主観次第でズレこむのではないか?」という感じだ。
しかし、クロウ本人としてはどうでもいい事だった。。
彼はただ、ツンダークとリアルの二重生活をうまく両立させるようタイムスケジュールを調整できればいい、それだけだった。
それは彼がツンダークに没入するばするほど顕著になり、やがて……。
いや、それは今語る事ではないだろう。
今はただ、彼がどういう道を進んでいったか、それだけを語りたい。
◆ ◆ ◆
不思議な夢をみた。とても幸せで、とても安らかな夢だった。
窓も何もない、白い部屋だった。床はまるでベッドの上のようにフカフカで、空気は暖かい。そのままコテンと寝転がって爆睡したくなる、そんな心地よい部屋だった。
そして。
俺の目の前には、見た事あるような、そして、一度も見たことのないような、不思議な女がいた。
女は一糸も身につけていない。隠すべきところだけは辛うじて俺の目線から隠しているようだけど、どちらかというと俺の反応を伺うために隠しているだけのように見えた。束ねられていない、栗色の長い髪がシーツの上に無造作に広がっていて、その栗色とシーツの白、そして女の素肌が、この場の非現実さに拍車をかけていた。
「……」
女は何も言わない。ただ、もぞもぞと脚を動かした。
まるで恥じらい、隠れるかのように。
そして同時に、おいでと俺を誘うかのように。
俺は誘われるままに女に近寄り、そして、女の体を開いた。
「……」
わずかな抵抗があった。でもそれは強いものではなかった。
男の劣情をそそりたてるには十二分で、そして女が身を守るには全然足りない。
そんな絶妙の力加減を体現するような、そんな、ごく小さな抵抗。
「……」
俺は誘われるまま、女にむしゃぶりついた。
むさぼるように。
そして、甘えるように。
「……夢?」
目覚めた時に俺の口から出たのは、その言葉だった。
「よりによってエロ夢かよ。まったく……あら?」
ケータイがどこにもない。おかしいな。
急速に覚醒してくる頭をふり、そして、その意味を悟る。
「ああ……そうか。ツンダークの中で寝ちまったのか」
こういうのも寝起きっていうのかな?
いやぁ、満点の星空の下でブランカっていう生きた毛布まであってさ。で、自分自身も毛皮に包まれてるだろ?
流星雨みたいな感じになってて、それを見ているうちに寝ちまったらしいな。
しかし気持ちいい朝だな、リアルの気だるさとは大違いだぞ。身体が違うとこうも違うもんなんだなぁ。
いや、それだけじゃないか。
満天の星空の下で寝て、自然の夜明けで起きたんだ。これがきっと、この気持ちよさの原動力に違いない。
いやぁ、素晴らしい。思わずニヤついてみたり。
「……」
「よう、おはよう……ブランカ?」
なんだろう?
ブランカを見た瞬間、なんともいえない違和感があったんだが。
「ブランカ、おまえ……なんかいい事でもあったのか?」
「?」
ブランカは不思議そうに首をかしげるだけだった。
どうやら俺の気のせいらしい。ま、そりゃそうだよな。
さて。
朝を迎えたって事でわかると思うけど、村を出てから一日過ぎた。
村人総出の、だけどちょっぴり微妙な見送りを受けて旅の空。俺は今、大陸沿岸部に向かっている。
人の多い土地に行こうと思うなら水辺、それも河口を目指すものというのがセオリーだ。ネコットは自然の地形というよりも霊脈の方が重要みたいだったけど、それはむしろ特殊な例。普通はやっぱり水辺に集まるものだろう。そこを目指すつもりだ。
そう。
俺は仕切り直しをするんだ。
ちょっとアホなオチがついたとはいえ、人助け……人じゃないけどな……をして、しかも感謝までされた。それ自体は満足だし、気を使った神様が相棒のパワーアップまでしてくれたわけで。個人的には、満点とは言わないけど、そこそこはいい感じだと思うんだ。
……まぁ、あのご立派様問題のおかげで、どうにも「コレジャナイ」感が漂っちまってるのも事実だけどな。
だからこそ、俺は仕切り直さなくちゃいけない。
で、手始めにコボルトだけじゃなくて他の民にも関わろうと思うんだよ。
コボルトはちっちゃくて可愛い。
だけど、だからこそ、全力戦闘して衣服を燃やしちまった俺には鬼門なんだよな。こう、すっくと立ち上がると彼らが俺を見る目線がなぁ。ただ立ってるだけで自然と目線がへその下になっちまうんだからな。
もちろん、彼らを助けた事は正しいと思っているし、これからだって何かあれば助ける。
だけど、俺はコボルトだけでなく、他の民とも関わらなくちゃならない。
でないと、いつまでたっても、なんかドン引きされるご立派様扱いから逃れられないわけだし。
それにだ。
「他の種族って、どんな連中がいるんだろうな?」
そういう興味もあるわけで。
「?」
「ああすまん、こっちの事。楽しみだなってな!」
いきなりコボルトにオークだったからな。しかも話をしたり戦ったり。
うん、はじまりの町で普通にスタートしていたら絶対味わえない時間だよな。それは間違いない。
そんな事を考えていたせいだろうか。
「……おや?」
ふと、遠くに何か動いてるのに気づいた。
あれは何だ?
「もしかして馬車か?」
なんとなくだが馬車、それも二頭立てってやつじゃないんだろうか。馬が二頭見えてるしな。
ふむ、と周囲を見てみる。
なるほど、ボロボロの砂利道だけど、確かに道みたいなのがあった。
少し解説しよう。
砂漠のど真ん中なんかにある道路の中には、ただの地面に印をつけているだけ、みたいな道がある。定期的に目印になるものが建てられていて、なるほど、ここが道路なんだなとわかるってヤツだ。地球でもアフリカ北部の砂漠地帯なんかにいくと、そんな、舗装のほの字もない原始的な道が今もたくさんあったりする。
ここにいるのも、そういう『印だけ』に限りなく近い道だった。ただ交通量皆無ではないのか、ほんのわずかに整備した跡や轍の痕跡があって、「言われてみれば確かに……ここは道路なのかな?」というレベルでなら、確かに道路っぽく見えている。
そしてたぶん……あの「何か」はこの『道』を辿ってきているみたいだ。
さて、どうするかな?
こんな荒野のど真ん中で出会う相手だ。プレイヤーもこのあたりにはいないようだし、善意の第三者かどうかはわからないだろう。最悪、強盗が乗っている可能性だってある。
「ふむ」
少し考えたが、まぁ、知らんぷりをして街道から少し離れ、そこを歩き続ける事にした。
相手がこっちに興味ないなら、そのまま通り過ぎるだろう。善悪は別にして関心をもったなら、勝手に近づいてくるだろう。
「……クゥン」
ブランカは俺の意図を悟ったらしい。俺の前を歩くポジションに戻ると、知らん顔で進み始めた。……耳が時々動いていて、馬車の音に警戒しているのが後ろからもよくわかったが。
馬車はゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。
ああ。人間が乗っているタイプの馬車みたいだ。
御者は……あれはウサギか?
普通の農家のおっさんみたいな格好したウサギが御者席に座っていて馬車を操っている。
鞭は持ってないな。もしかしたら馬は家畜ではなく、ちゃんと何らかの取引で馬車を引いてもらっているのかもしれないな。
時折、中からだろう視線を感じる。あきらかにこっちを気にしている。
やばいやばい、知らんぷり知らんぷり。
だけど。
「……?」
ふと、その馬車を横目に見ていて奇妙な違和感に気づいた。
なんか、妙にカーゴ部分が高くないか?
良くないと思いつつも、気になってまじまじと見てしまった。
「なに?」
その馬車の土台部分を見てしまった俺は、思わずつぶやいてしまった。
「……もしかして、サスペンションついてるのか?」
かなり原始的だが、確かにサスペンションだった。
へえ。ツンダークの馬車ってサスペンションついてるのか。
そんな事を考えていると。
「!」
しまった。
馬車の中の誰かが合図をしたっぽい。馬車がゆっくりと止まったぞ。
あー……こういう場合ってアレだよな。間違いなく厄介事の予感だよな。お約束ってやつだよな。
うん、知らんぷり知らんぷり。
「おお、これは素晴らしき魔力であるな。久方ぶりに勇者が現れたという噂は真であったか」
さてブランカ。やっぱりアレかな、街道を外れてのんびり行くべきだよな。トラブルは避けたいもんなお互いに。
「ふふふ、もう遅いわ。それで勇者どの、いつまで現実逃避しておるつもりかな?」
「……あの、勇者って誰なんすか?悪いけど、俺は旅の異世界人で正直よくわかんないんだけど?」
「ほうほう、そうか。コボルトの村にご立派様が現れたと、大層な噂になっておるのはそなたの事じゃろう?」
「いえいえ、それはすごく誤解ですから、ええ……!?」
すぐ横までやってきた声の方に振り向いた俺は、一瞬だがフリーズした。
「!!」
いや、ちょっと考えてほしい。
君が何かをやっていて、ふと視線を感じて後ろを振り向いたら、人間サイズのウサギの顔がドーンと目の前にドアップだったらどう思う?
ああ、つまりそういう事だ。つまりビックリしちまったのさ。仕方ないだろ?
「……なんじゃ、わらわの顔に何かついておるかえ?」
わ、わらわと来ましたか。何者?
「いや、何度も言うようで悪いけど、俺異世界人なんで。ウサギの人ってはじめて見たんで」
「ああ、そういう事か」
ふむふむとウサギ女は頷いた。
「わらわはマリスカ・ヴェレスと云う。古きディートリ王国貴族の末裔でな。まぁ、といっても残っておるのは名前と伝統、あとは古文書くらいじゃが」
「……すまん、今、名前なんていった?」
「マリスカ・ヴェレスじゃが?ヴェレス家を知らんのか……そうか、異世界人か。なるほど知るわけがないわなぁ、ふふふ。これは、わらわのミスじゃ。では今から覚えておくがよいぞ」
なんか自嘲気味に笑ってますよウサギさんが。
てか、その名前って地球人的にはちょっと困るんですが、ええ。70年代の洋楽好きな人間としてはですね、その。
で、その、猫と紅茶とケーキを愛した天性のロック歌手(故人)と同じ名前のウサギさんは、朗らかに笑いまして。
「ふむ、異世界の歌姫と同じ名前とな。ふむふむ、さぞかし美しき娘なのであろうな。前歯の長さはどのくらいかな?」
「いや、ウサギでなく人族なんで。前歯の長さはお察しかと」
「そうか。それは残念じゃ」
そうですか。こっちは、わけわかんねえっす。
ところで、さっきからこのウサギさんは俺の思考を読んでるっぽい。魔道士か何かなのかな?
「うむ、魔道にはいささかの心得がある。さすがに勇者どのほどの魔力は持っておらぬがな」
「いや、だから勇者じゃないって言いましたよね?そこんとこ大事なんで、ええ」
「おや、そうかの?しかしその莫大な魔力は明らかに勇者の器ぞ?」
「異世界人ですから」
「しかも、コボルトの臭いをプンプンさせておるし」
「異世界人ですから」
「お連れの狼はラーマ神様の祝福を受けておるようだし」
「異世界人ですから」
「なんでも異世界人で誤魔化す気かの?」
「異世界人ですから」
「はぁ。困ったもんじゃて」
クックックッと、20世紀の歌姫と同じ名のウサギ女は笑う。
「これでも、困っておるとの噂を聞きつけて駆けつけたんじゃぞ。これでも魔道の専門家であるし、今代の勇者どの、いや、まだ候補なのであったか?とりあえずその勇者どのは、ご立派様がご立派すぎてコボルトの娘たちが近づけず、そばに仕えておるのが草原の狼一頭だけという話であったからの」
「……そうなのかい?」
うむ、と、今度は笑いを消して、まじめな顔で返答してきた。……ウサギだけどな。
「我らは兎人族。狼人族が狼の魔獣と精霊の混ざりものであるように、我らは高位に進化したウサギと精霊の混ざりものじゃ。どちらも同じく精霊要素が入っておるのでな、特に魔力の質が似ておるんじゃよ。
加えて、我らの先祖は先代勇者に仕えておったのでな、当時の資料もある。
その魔力の感じからして、そなたも空想魔術師なのであろう?」
「……そうだけど」
「うむ、そうか。ならば我ら一族の知識、そなたに役立てる事ができようぞ。ありがたい事じゃ」
それだけ言うと、ウサギ女……マリスカは俺の前にきて、そして、片膝をついた。
「勇者どの」
「違うンスけど」
「わかっておる、候補または器なのじゃろう?あくまでこれは儀式上の呼称じゃ、気にするな」
「はぁ……」
「では再開するぞ」
そう言うとマリスカは膝をつきなおした。
「勇者どの。わらわは東のゴンドルの一角を賜りし魔道の一族ヴェレスが末裔、マリスカにございます。このたびの降臨の噂を聞き、矢も盾もたまらず、未だ候補である御身の事を思いやる事なく、問答無用で馳せ参じてしまった事をここにお詫びいたしまする。
そしてお詫びの上、お願い申し上げる。
我が身、我が知識。ぜひとも貴方様のお役に立てていただきたい。わらわとその一族は、貴方様の目となり耳となり、手となり足となり、必ずや、必ずやお役に立ちまする。
何とぞ、何とぞ……」
そこまで言ったかと思うと、今度は土下座に移行した。
……参った。
いや、だってさ。
俺、自分の人生の中で、ウサギに土下座された事なんてねえよ……ってそれは当たり前か。
そうじゃなくて、その……こんな、誠心誠意がバリバリ伝わってくるように土下座なんて、一度もされた事がないんだよ。当たり前だけどさ。
……むむむ。
「なぁ、ヴェレスさん?」
「マリスカでどうぞ。さんづけはいりませぬ」
「そ、そうか。じゃあマリスカさ……」
「……」
そ、そんな怖い目で見ないでくれよぅ。
「……じゃあマリスカ。顔をあげてほしい」
「よろしいのですか?」
「もちろん、むしろ頼むよ。ひとに命令するのは慣れてないんだ」
「……承知」
よかった。顔をあげてくれたよ。
「で、マリスカにひとつ聞きたいんだけど」
「はい、なんなりと」
「俺、空想魔法っていっても独学なんだが。これは問題ないんだよな?」
「ええ、ありませぬな。
そもそも空想魔法とは、考えた通りに事を為すものといえば間違いないもの。発動自体を間違えていなければ、特に独学で問題はありませぬ」
「ああ、やっぱりか了解。
じゃあ……あとはアイデアくらいって事か」
「アイデア?」
「うん」
マリスカが首をかしげた。お、なんかちょっと可愛いかも。
「昔の勇者たちも空想魔法の使い手だったんだろ?だったら、昔の勇者がどういう戦い方をしたかがわかれば」
「新しい技の参考にする、という事で?なるほど」
ふむ、とマリスカは何かを考えた。
「ならば、我らが図書館を一度ご覧になるのがよいかもしれませぬな」
「図書館があるの?」
「旧王国の遺物でございますが。今も研究書などを追加しつつ、保守につとめておりますれば」
「なるほど参考になりそうだな……あ、でもそれって古書って事だよね。異世界人の俺に読めるかな?」
「基本的に第五期のものでございまするが、第五期の文字は言葉と違い、今のものに近ぅございますれば。まぁ最悪、わらわがお読みいたしましょうぞ」
「そうか。それはありがたいな」
うんうんとマリスカは頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「では勇者どの」
「あー、クロウって呼んでくれないかな。読みにくければ……」
「承知、ではクロウ殿。あと、お連れの草原の狼殿は」
ここでマリスカは興味深い行動をとった。わざわざ、しゃがみこむとブランカに目線をあわせたんだ。
「クロウ殿の従者どの、お名前をうかがってもよろしいか?」
「……クゥン」
「ほう。ブランカと申されるか。わらわはマリスカじゃ、迷惑をかけると思うがよろしく頼むぞ」
「え……マリスカ、君、ブランカと話せるの?」
「む?獣族ならば、多少は片言になったり訛りがあっても話せると……ああ、クロウ殿は異世界人であられたのう」
なるほどとマリスカはうなずいた。
「承知した。そのへんも含めて、全力を尽くしてお役に立つ事を約束いたしまする」
「そうか。うん、すまない、お世話になるよ」
「こちらこそ。承知いただき光栄の至りでござりまする」
そう言うとマリスカは馬車に戻っていき、
「おふたりとも、こちらへ。道中もいくらでも質問、うかがいますゆえに」
「悪いな。世話になる」
「いえいえ、とんでもない」
マリスカの招きに従い、俺たちは馬車に乗り込んだ。
「御者よ。我らが里に戻るがよい。急ぐ事はない、安全を優先して快適速度での」
「は、了解いたしました」
◆ ◆ ◆
こうして、ご立派様、または全裸魔道士としてその名も高い魔道士クロウの冒険は始まった。
彼はその能力の高さもさることながら、全裸で股間をおったてて戦う事の方で有名になった。東大陸の活動がほとんどなので実態は一般プレイヤーにはあまり知られず終いだったが、東大陸にコボルトやオークが多いと聞いて遠征を企み、クロウに皆殺しにされたプレイヤーたちの口から「異様に強い獣人の魔道士がいる。フルチンで戦うとかフザけた野郎だが、化け物のように強いから気をつけろ」という話が脚色され、全裸で獣人の美少女を侍らせ戦う色男の勇者という噂がでっちあげられ、やがて『全裸魔道士』の都市伝説として、生産組やツンダーク埋没組のプレイヤーの間に、静かに広がっていく事となった。
そんな彼のその後の活躍は。
また別の機会に、ゆっくりと語らせてほしいと思う。
(おわり)




