1-1 真駒内演習場
--真駒内演習場.1--
昨夜から降り続いた雨は明け方には止んでいたが、空は未だ厚い雨雲に覆われていた。
「せっかくの新型機の試験だっていうのに生憎の空模様ですね」
薄汚れた整備服に身を包んだ若い男は、やれやれといった感じで上を見上げる。
彼の目に映る空は灰色一色で、そこには晴れ間が射すような兆候などどこにも見られなかった。
「ぼやいていても始まらんよ。雨が上がっただけ儲けものだ」
年配の整備士が大したことではないと言いたげに応える。
「そんな事より、機体の整備を万全にやることだ。噂じゃ今日の特別演習には党のお偉いさんも出席するって話だ。もしも連中の前で機体に不備が出てみろ。整備不良が原因と決め付けられて俺達は全員、収容所送りになっちまうぞ」
「脅かさないでくださいよ。ただでさえこいつに係わっているせいで色々と面倒なのに」
男は顔に苦い笑みを浮かべながらそっと手を伸ばし、それを軽く叩く。
整備用の皮手袋の上からでも伝わる冷気と硬い金属の感触に彼は満足そうに口元を緩ませた。
男が触れた物、それは巨人だった。
全身を強固な装甲板で覆われた鋼鉄の巨人。
人の形を模して作られ、二度にわたる大戦によって飛躍的に進化し、従来の戦争を一変させた陸の王者。
機動兵器・駆動甲冑。今や戦車に代わり、歩兵と共に陸上戦力の中核を成す主力兵器だ。
「もしもこいつが大戦中に開発されていれば、戦争には負けなかった。そんな気がしませんか?」
若い整備士は感嘆の篭った瞳で目の前の機体を見上げた。
深い濃緑色に塗装された機体は、威圧的ともいえる程の存在感を示している。
整備士として数多くの駆動甲冑を整備してきた彼の眼から見ても、この機体は異色の存在だった。
高い全高、広い操縦室、見た目で判断できるほどの厚い装甲、そしてこれらを支える重厚なフレームと高出力エンジン。
機動力を重視するために小型で軽量化されたものが多かった旧軍の機体とは明らかに異なるコンセプトで開発されたものだ。
試製「五十三式重駆動甲冑」
それがこの機体につけられた名前だ。
ソビエト連邦からの大規模な技術援助を受けて開発された本機は試製の名が示すとおり、データ取得を目的として作られた実験機と呼ばれる機体だった。
今の共和国陸軍が保有する機体は全て宗主国であるソビエト連邦から供与されたものだ。
特務部隊や親衛隊など特に党に忠誠が厚いとされている部隊には、T-34やIS-2といった現役主力機が配備されていたが、共和国陸軍の中枢は先の大戦で使用された旧式機が過半を占めているのが現状だった。
しかし平地の多い欧州での使用を前提に設計されたソビエト製の機体は、丘陵や山岳の多い日本では行動に制約を受けることが多く、運用面での問題も無視できない状態であったため、日本の地理条件に適した機体を開発するという名目の下、今回の実験機の開発に繋がったのだった。
熱に浮かされたような若者の横顔を苦い表情で見ていた年配の整備員は、額に浮いた汗を首から下げていた汚れた布で無造作に拭った。
「馬鹿なこと言うんじゃねえ。そんなこと他で口外してみろ、本当に反共主義者にされて収容所に送られちまうぞ。場合によっちゃあその場で撃ち殺される事だってあるんだ。連中にはその権限があるんだからな」
年配の整備員は若い整備員をたしなめるとその視線を演習場の先へと移す。
そこには濃緑色を基調とした党の制服に身を包み、腕に赤い腕章をした男達が周囲に目を光らせていた。
共和国唯一にして最大の政党、日本共産党の政治委員達だ。
「すいません。ただの冗談ですよ。あまりにもいい機体なんで少し言ってみたくなっただけです」
「それならいいがよ。何にしても言葉には気をつけることだ。これからもこの国で生きていたいなら尚更、な」
年配の整備員はお喋りはここまでだ、という風に手にしていた整備用の工具を金属製の箱に入れると他の機体の様子を見るために立ち上がった。
若い整備員は付いて行こうとはしない。年配の整備員がこの場を立ち去ったということは、彼に後を任せるという暗黙の了解があったからだ。彼は年若い青年だったが、優秀な整備員でもあった。でなければ極秘裏に開発された新型機の整備など任されるはずはないからだ。
だが若い整備員はその場を動こうとはせず、何かに執り付かれた様に目の前の巨人をいつまでも見つめ続けた。