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プロローグ




――永遠の居場所を知っているか




どこまでも続く白い道。滑らかな床に降り積もっているのは雪だろうか。それは、やはりどこまでも続いている。その道の先は果てしなく、終わりはないように思えた。


白濁とした意識が現実に回帰するまでの僅かな時間、インディクスたちは夢を見る。


透明な人工羊水に抱かれながら、楓九朗は遠い記憶の奔流の中にいた。


流れ込んでくる意識。あるいは記憶。擬似的に他者を体感しながら、肉体から切り離した思考で自分を見つめる。


肉体と精神を完全に切り離してしまうと、身体を維持するために無意識に働いていた力が抜け、深層から浮き上がってくるもう一つの意識がある。青みがかった液体の中でたゆたいながら、楓は心地良い脱力感に身を任せた。


その意識を『もう一人の自分』と彼は呼んでいた。使い古された表現ではあるが、他に的確な言葉が浮かばない。自分の管理下におかれた意識でありながら、それは彼とはまったく別の人格を形成していた。



――人間とインディクスの明確な違いについて、我は正確な答えを要する。早急に。



わからない。楓は首を振り、肉体に意識を戻した。


この一瞬であるはずの時間に、『もう一人の自分』とやらは必ず一つの質問を投げて寄越す。


こぽこぽと、筒状の巨大な容器の下部から水泡が浮上してきた。頭上で鈍い水音。目の前を通り過ぎていく水泡。


純粋な金属を、それと同じ金属で叩いたような、伸びやかな高音が外側から響いた。羊水を震わせ、音が聞こえる。


肉体と精神が重なる感覚。虚構は終わり、夢は霧散して消えた。身体に五感が戻る。


まず感じたのは皮膚の痛みだった。


冷たい羊水に長時間浸かっていたせいで、身体は冷えきっていた。変色した皮膚は痺れ、痛みを訴える。


やがて水は抜かれ、浮遊していた足がしっかりと足場を掴む。撫でるように廃棄されていく水に、奇妙な不快感を感じた。


外気に触れたことで痛みは収まった。


(………ソラ……)


寒くて凍えそうだ。楓は骨の浮き出た肩を震わせ、ため息にも似た息を吐く。分厚いガラス板が上部に収納されていく。生暖かい空気が身体を包んだ。


生温い、濁った空気だった。薬品特有の刺激臭に息が詰まる。それに触れていると、生温いはずなのに熱を奪われた。


ソラ、ここはとても寒い。あの白い道はどこまで行っても同じ景色が続いている。まるで常闇だ。俺たちはまた道を間違えたのだろうか。


「検査は終了したわ。服を着なさい」


虚ろな眼差しの楓に、女は声をかけた。楓はゆっくりと緩慢な動作で顔を上げ、女の言葉に従って服を身に付けた。


無地の下着、室内服、白衣。どれも自分の物ではないが、それは大した問題ではないようだった。


女は楓に部屋をでるように言い、銀色のプレートを彼の首にかけた。表に何かの数字が刻まれている。歪な筆致。004。


女のことは知っていた。初めてここに来た日に、いろいろと説明をしてくれた医者の一人だった。司馬という名前だった気がする。



「第四医療区域で、戦闘が発生したわ。ソラがでたの。相手は四人……」


「……ソラ?」


向かい合う女の唇が緩やかな弧を描く。怪訝そうに眉を歪めながら、楓はその整った顔を見つめた。赤く塗られた薄い唇が、うっすらと開いている。


「相変わらずあの子は強い。ほとんど怪我はなかったけど、貴方と入れ違いで検査室に……」


それは、見ようによっては不敵な笑みにも見えただろう。だが、楓の目にそれは驚きを隠すためのただの強がりに見えた。


冷ややかに灰色の瞳を見返す。強張った無表情を緩め、笑顔のようなものを彼は浮かべた。


「……死神、だから……」


「――え?」


低く問いかける。


死神……彼女が……?


「ソラは負けない。負けという概念が存在しないから」


「だから死神? でも……」


楓は弱く首を振った。


「殺さない――ソラは誰も殺さない。インディクスは人間を殺せない。そんな程度の低い行為は、我らが絶対率が許さない」


内なる絶対率は、どこまでも彼らを縛り、どこまでも正しい場所に向かおうとする。


だが、楓の絶対率は半分だ。不完全なインディクスであり、不完全な人間。そして不完全な理想。


「まるで、すべてを知っているかのような口振りね、004?」


「……知らないよ。僕みたいな出来損ないにわかることなんて、何もない……」


呟きながら苦い顔をしていたが、やがて楓は弱く笑った。


「そうね。でも、そう悲観することでもないでしょう?」


女は自嘲して唇を歪めた。


「貴方は理想の先駆けとなったまがい物。それは誇りに値するわ。なぜそんなにひねくれてしまったのか分からないけど、もう少し……」


明るくなりなさい……。


その声は音になる前に消えた。


楓はその先を聞くこと無く、分厚い金属の扉に向かって踵を返す。


「ご忠告どうもありがとう」


「004?」


「その名前……血反吐を吐くほど嫌いだよ。二度と呼ぶな……」


別れの挨拶も無く、楓はその薬臭い部屋を出た。


部屋の外には何もない。ただ長い廊下が続いている。


白い道――世界を傲慢な理想へと続く長い道。


「………ソラ……」


その道の最初と最後に、僕らはいる。


君の背中だけを追いかけて、僕は生きる。








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