カノン
この世界は僕と機械しかいない。
黒く壊れかけの機械。
とりあえず名前はつけた。カノン。それが僕がこの機械につけた名前だ。
カノンはいつも話しかけても動かない。
でもそれだけで僕は満足だった。
毎日毎日、僕は話した。
ある時ぽろり、ネジが外れた。
拾って機械につけてみる。
あれ、違う。
こうかな。
んー。多分こうだろう。
なんか違うけど、うまくいった気がする。
起きた。あれ?
カノンいない。どうして?
探し回った。いない。どこにいったのだろう。
みつけた。
カノンがいた。
僕が声をかけるとカノンは振り向いた。
どうやら僕のせいでカノンは起きてしまったらしい。
カチカチとカノンの駆動音がなる。
ああ、でもよかった。このままいなくなってしまったらどうしようかと。
ねえどこにもいかないで。
カチカチ。
カノンが返事をしたそんな気がした。
カノンの音は落ち着く。でも最近どんどん音が小さくなっているのを感じた。
見つけてから、僕はカノンのそばを離れなかった。
またどこかへ行ってしまわないように、冷たくて重い鉄の手を、ずっと自分の小さな手で握りしめていた。
あのときつけたネジが、だんだん緩んできている。
「直さなきゃ」
僕の手で、あのときとは違う場所を締めてみる。
ぎこ、とカノンが身じろぎした。
違う、そうじゃない。僕の手つきじゃ、うまく直せない。
「ごめん、カノン。もう少しだから……」
泣きそうになりながら声をかけると、カノンはまたかすかに「カチ」と音を返してくれた。
ねえ、笑ってよ、なんて無理な願いを心の中で呟く。
どうすればいいんだろう。
僕の手のひらに伝わってくる音が、どんどん失われていくのがわかる。
カチカチ。
カノンの動きが緩慢になる。止まらないで。
お願いだから、まだ僕を置いていかないで。
つないだ手に力を込めても、カノンはもうほとんど動かなくなっていた。
空から、冷たいものが落ちてきた。
白くて、柔らかくて、すぐに溶けてしまうもの。
雪が降った。今までこんなこと初めて。
カノンの黒い肩に、白い雪の結晶が積もっていく。
それが冷たくて、カノンを余計に冷やしてしまう気がして、僕は自分の袖で必死に拭い続けた。
カチカチ。
音が、ひとつ、またひとつと途切れていく。
ああ、この世界が終わるんだ。なんとなくわかった。
カチ。
僕の手のなかで、カノンは完全にただの機械に戻った。
雪だけが、静かに世界を白く染めていく。
それでも僕は、その冷たくなった手を、まだしばらく離せなかった。




