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23時、バックヤードにて

作者: 笑顔猫
掲載日:2026/05/26



「藤原さん、お疲れ様でした〜」


「おう、保坂さん。今日もありがとな。お疲れさんでした」


 閉店と同時に帰宅をする従業員達を見送って俺は一人、バックヤードに残って作業をする。



 俺の世界に、大きな幸せは無かった。

 あるのは酒とタバコ、あと女だけ。


 でも、これだけあればよかったんだ。

 別に困ることなんて何もねえ。


 就きたくもない仕事に就き、無理した笑顔で毎日接客してた。

 そんな俺は、スーパーの副店長という立場に収まってる。


 新卒で入った会社だ。

 もう二十九になる歳だが、出世はそこそこ早かった。


 別にやりたい仕事でも無かったが、内定貰ったのがここだけだったんだ。

 大手だったし、まぁいいかとここに決めた。


 新卒って事もあって、周囲からの見る目は甘かった。そこそこ優秀だった俺は上司の覚えもよくて、副店長への推薦をしてくれた。


 だがな、俺は仕事以外する事が無かったんだよ。

 早朝六時から笑顔で出勤して、大した実りのないミーティングをして、馬鹿みたいな客の相手をして、サボる従業員を叱って。


 そんで、クタクタになって気づけば夜九時。

 まだ仕事は残ってる。

 残業しまくったから残業代は貰えるが、三・六協定とやらで残業する事自体は褒められなくなっちまった。


 残業代が貰えるのは月の上限の三十時間だけ。

 それ以上は俺の素晴らしい大出血サービス残業だ。


 まぁ、血反吐くらい吐いてもいい。

 心配してくれる奴なんか、一人もいやしない。


 家に帰れば無が俺を歓迎してくれる。

 おかえり、と聞こえもしない声に「ただいま」と返すだけ。



 そんな日々が続いてたんだ。



 昼勤の日もある俺は、今日は昼の十二時に出勤した。

 定時は夜の九時だが、恐らく日付が変わるくらいまでは残業する事になるだろう。


 通勤は自家用車だから終電に困ることは無い。

 それが余計に残業時間を増やすんだ。


「俺も懲りねえな……」


 全くもって無駄な残業だ。

 金は貰えないし、寝不足になる。

 せっかく健康な体に産んでくれた両親に謝らなきゃいけねえくらい無理してる。


 だが、やらないと明日の従業員が困る。


 保坂さんから体調不良の連絡がきたんだ。

 調整しないと明日の昼ピーク時のレジ係が足りない。


「あれ、藤原さんまだ仕事してんの?」


 うちの店の店長だ。

 歳は四十五歳。

 いい歳のおっさんだが、こいつは糞だ。


「えぇ、まぁ。もうお帰りで?」


「うん。家族が待ってるからね。藤原さんも結婚したら?」


 ことある毎に結婚しろと勧めてくる。

 今のご時世セクハラになりそうだが、社内コンプライアンスに通報するほど嫌なわけじゃない。


 こいつは、俺に仕事を半分以上任せてる。

 残業の元凶だ。


「自分にはまだはえーっすよ。お疲れ様です」


 店長は軽い会釈をして帰宅する。

 俺に自分の仕事を押し付けて、あまり残業できない理由を言い放つ。


 俺から「手伝ってください」と言われるのが相当嫌なんだろう。

 だから、糞だ。

 人の良心につけ込んで、仕事の断り文句を言って帰る。


 俺の喉はもうカラカラだ。


 気づけばもう夜九時。

 今から欠員した明日の昼のレジ係を探すのはかなり厳しい時間帯だろう。


 希望は明日の朝の従業員に残業をお願いする事か。


 そう頭を悩ませていると、続々と従業員達が帰宅し始めた。


「副店長、おつかれーす」


「おう、お疲れさん!」


 俺はいつものように無理した笑顔で挨拶を返す。


 本来、俺の性格じゃ接客やら親しいコミュニケーションやらは向いてない。

 この挨拶一つでさえストレスだ。


 なんでこんな仕事してんだろうな。


 悩みの種が一つ増えそうになった時、最後に残った従業員が一人いた。


「藤原さん、大丈夫?」


 俺に声をかけてきたのは、学生アルバイトの楠見(くすみ)さんだ。

 確か……地元の女子大に通ってるんだったか。


 見た目は、地雷系女子だ。

 俺は怖いからあんまプライベートじゃ近寄らないタイプだが、仕事する上ではあまり関係が無い。


 意外と愛嬌があって可愛いと評判だ。

 パートのおばちゃん達からも仕事の引き継ぎが上手いと気に入られてる。


 俺はいつものように疲れた笑みをこぼした。


「おぉ、楠見(くすみ)さんお疲れさま。いや〜今日()さすがに疲れたよ。アラサーの俺には腰がな……」


 今日()と言うだけで、いつもは大丈夫だと強がる言葉。

 俺がよく使う手法だ。


 心配するな、俺は大丈夫だ、強がっちゃいない。


 そう周囲にアピールする事で、仕事が出来る人間を装ってる。

 本当は仕事なんかできないんだ。


 毎日毎日、強がってるだけ。

 俺程度の人間なんか、腐るほどいるんだ。


「そうなの? 藤原さん、副店長なのに店長より遅くまで残ってるし。あたし手伝ってあげよっか?」


 て、手伝う?

 そんなもの無理に決まってるだろう。


 俺は従業員一人一人の個人情報や、社外秘の情報をたくさん取り扱っている。

 アルバイトを深夜まで残して、無給で見せてはいけない個人情報資料を見せるなど俺の首が飛んでしまう。


「気持ちは嬉しいんだけどな。俺がやるべき事なんだよ、これはさ」


 苦笑いをわざと浮かべる。

 表情を取り繕うのは上手なんだ。


 ほら、困ってる感じに見えるだろ?



「あはは、冗談だよ冗談。じゃあ話し相手になってあげる!」



 唐突だった。

 華の女子大生が、くたびれた二十九歳の社会人の話に付き合うなんて。

 何の実りもありはしない。


 楠見さんの時間を奪ってしまうだけだ。


「いやいや、早く帰んなよ。ご両親が心配するんじゃないか?」


 大人として当然の事を言ったつもりだったが。


「いや……」


 苦笑いで返されてしまった。


 しまった。

 地雷系女子の本物の地雷を踏んでしまったか。


 だから怖いんだよ。

 何処に地雷が隠されているのか分かんねえんだ。


「でもそうだな、うん。分かった。ムカつく店長の愚痴、聞いてくれるか?」


 俺は慌ててフォローする。


「よし! そうこなくっちゃ」


 楠見さんの笑顔が弾けた。



 ◇◇



 それから楠見さんとは長話をしてしまった。

 その間、勿論仕事をサボってた訳じゃない。


 体調不良の出た欠員を埋めるために、複数人にメールをしたんだ。

 俺はその返信待ちという(てい)で、楠見さんとのお喋りを継続してしまった。


 店長が如何に使えないかとか、名前を伏せた従業員の愚痴、書類仕事の多さ、同期が結婚した話。

 様々な話を楠見さんにしたんだ。


 勘違いしてはいけない。

 俺が楽しんでいた訳じゃない。

 楠見さんがそう望んでいそうだったんだ。


 多分、俺を励ましてくれようとしていたんだろう。

 不器用な優しさだ。



「私、彼氏と別れたんですよ」


 話が一段落した後、楠見さんはそう答えた。

 俺だって別に童貞な訳じゃない。

 学生時代はそこそこモテたし、女に困ることも無かった。

 だから、楠見さんがどうして二十三時まで残って俺と話をしてくれたのか、ようやく見当がついた。


 きっと、同じような人生を歩んでる俺を哀れに思ったんだ。


「何かあったのか?」


 無理してる顔で強がっている俺を、楠見さんは見抜いてたんだ。

 普通じゃ気づけない行動や言葉で、なんとなく察していたんだろう。  


 だから俺も礼儀として聞かねばならない。


「あたしのお母さんがね、自殺しちゃったの。それで病んじゃって、彼氏に当たって、フラれちゃった」


 ……重過ぎんだろ。

 バイト先の社員に気軽に話す内容じゃねえよ。


「ごめんね、こんな話して」


 全くだ。

 どうやってフォローするべきか、脳みそを酷使し過ぎて爆発しちまいそうだ。


「楠見さん、そんなの気に病んで当たり前だ。今まで無理して働いてただろう。バイトなんて休んでいい。心の回復ってすぐには難しいんだ。今から俺に休みたいって言えばいい」


 大人として、言うべき事は言ってやる。


「でも、藤原さんも辛そうだよ。身体壊しちゃうよ?」


 ……。

 やっぱ、見抜かれてんなぁ。


 ()()だ。

 楠見さんと俺は、似てる。


 俺と似たような人間ってのは、見つからないんだ。

 社会に向いてないくせに、高度に擬態してるからな。


 社会不適合者なのに、仕事ができてしまうんだ。


 俺と楠見さんは、()()

 社会的擬態能力が高くて、それでいて社会不適合者。


 他人には気づかれない心の病を抱えてる。



「同じだね、藤原さん」



 怖い。

 俺は怖くなった。


 心の内を全てさらけ出してしまうんじゃないか。

 必死に隠してた内心を、この子には全て見抜かれてしまうんじゃないか。


 俺は、もうこの会社で擬態できなくなるんじゃないか。


 ()()

 俺を襲ったその感情は、皮肉にも相手からの言葉で失われた。


「大丈夫だよ。私も怖いよ。だって、こんな事喋ったの初めてだし」


 そう、か。

 お前も、怖いよな。


 俺が高機能な社会不適合者だということを、楠見さんは理解した。

 楠見さんの内心を理解できる存在が、俺だという事だ。


 まぁそんな立派な特技でも無いんだが。


「……はぁ。今までの話に嘘はついてない。隠してるようなことも無いぞ」


「ふふふ。うん、知ってる」


 俺は両手を挙げて降参のポーズを取る。


 現時刻は二十三時十九分。

 暗くなったスーパーの、唯一明るい場所。

 聞こえるのは、静まり返った売り場の冷蔵庫の駆動音だけ。


 だが、今日は賑やかに過ごせた。


 家で待ってる『無』も、今日は返事を返してくれるかもしれない。


 苦笑しながらも、そんな事を思った。


 

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