表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜街の何でも屋  作者: メイコノノ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/10

第7話

仕事で、初めて自分から手を挙げた。

新規事業の企画会議。誰も発言しない空気の中で、気づいたら手が上がっていた。自分でも驚いた。隣の鈴木さんが目を丸くしていた。

企画の内容は半分思いつきで、通るかどうかわからない。でも言いたかった。

それだけで、なんか、よかった。

夜街への道は、また少し遠くなっていた。

先週より遠い。芽衣はそれを自覚しながら石畳を歩いた。嬉しいような、寂しいような。両方が同時にある。


何でも屋の引き戸を開けると、朔がいなかった。

珍しい。芽衣は店の中を見回してから奥の台所へ向かった。朔が鍋の前に立っていた。今度は何を煮ているんだろう。


「いらっしゃい」


「何作ってるんですか今日は」


「飯」


「ご飯も作るんですね」


「食べる?」


「食べます」


当たり前みたいに返事をしてから、芽衣は自分に少し驚いた。すっかり慣れている。この場所に、この人に。

朔が作ったのは、野菜と何かよくわからない具材の入った汁物と、白いご飯だった。見た目は素朴だけど、一口食べたら体の奥から温まった。


「美味しい」


「よかった」


「朔さん、なんでもできるんですね」


「何でも屋だから」


「そりゃそうか」


向かい合って食べた。夜街の夜に、妖魔とご飯を食べている。状況は相変わらずおかしいのに、全然おかしい気がしなかった。


「今日、会議で手を挙げました」


「そう」


「新規事業の企画。思いつきみたいなやつ」


「通りそう?」


「わかんないです。でも言いたかったので」


朔が箸を置いて、こちらを見た。


「それでいい」


「え?」


「通るかどうかより、言いたいことが言えた方が重要でしょ」


芽衣は少し考えた。


「……そうですね」


「成長してる」


「上から目線ですね」


「事実を言っただけ」


いつもの返しだ。芽衣は笑った。朔も口元だけで笑った。

食後、縁側に出た。

並んで腰かけて、夜空を見ていた。朔が煙草を取り出したので、芽衣は少し驚いた。


「吸うんですか」


「たまに」


「妖魔も煙草吸うんですね」


「吸いたい気分の時がある」


「どんな時ですか」


「落ち着きたい時」


芽衣は朔の横顔を見た。


「今、落ち着きたい気分なんですか」


「少し」


「なんで」


「……あなたが来るから」


煙を吐きながらさらっと言う。前回「好き」と言ってから、朔は少し変わった気がした。言葉が、少しだけ素直になった。

芽衣は耳が熱くなるのを感じた。


「それ、嬉しいと思っていいですか」


「好きに思って」


「好きに思います」


朔が煙草を持ったまま、ちらっとこちらを見た。目が合った。


「今日、なんか顔が違う」


「違います?」


「いつもより、はっきりしてる」


芽衣は少し考えた。


「会議で手挙げたからですかね」


「かもね」


「褒めてます?」


「褒めてる」


また目が合った。朔が煙草を縁側の端に置いて、こちらに向き直った。距離が縮まる。


「ねえ」


「なに」


「さっき、成長してるって言いましたけど」


「言ったね」


「それって、来られなくなるのが近いってことですよね」


 朔が黙った。

 否定しなかった。


「……そっか」


芽衣は夜空を見た。


「でも、いいことですよね」


「あなたにとっては」


「また同じこと言う」


「だって俺にとっては——」


そこで止まった。

止まって、珍しく自分から続けた。


「嬉しくない」


静かな声だった。飄々とした朔が、初めてそういう顔をした。困ったような、それを認めたくないような、子どもみたいな顔。

芽衣はおかしくなった。笑いが出た。


「なんで笑うの」


「だって、そんな顔するんですね朔さんも」


「する」


「知らなかった」


「俺だって知らなかった」


朔が少し眉を寄せた。本当に、自分の感情を持て余している顔だった。

芽衣はその顔が好きだった。飄々として掴みどころがない朔より、こっちの方が、ずっと。


「じゃあ、来られなくなる前にたくさん来ます」


「……また迷いを増やすの?それ、本末転倒では」


「いいじゃないですか本末転倒で」


朔が少し目を細めた。

それから、声を出して笑った。

低くて短い笑い声。芽衣は少し驚いて、それからじわじわと嬉しくなった。


朔が芽衣の肩に手を置いた。そのまま引き寄せて、肩に額を乗せた。

重い、とは思わなかった。


「朔さん」


「ん」


「そっちから寄ってくるんですね」


「だめ?」


「全然」


朔の髪が頬に触れた。冷たくて、さらさらしていた。

芽衣は正面を向いたまま、静かに言った。


「ねえ、さっきの続き」


「さっきの?」


「嬉しくない、の続き」


朔が少し固まった。肩の上で、重みが変わった気がした。


「……続きはない」


「あります」


「ない」


長い沈黙があった。

夜風が吹いた。朔の髪の毛先が、青白く光った。


「来られなくなっても」


朔が静かに言った。


「なんとかする」


「なんとか、って」


「方法を探す。俺が外に出るとか」


「外に出られるんですか」


「わからない。でも考えてる」


芽衣は朔の顔を見た。横顔が真剣だった。飄々とした仮面の下に、ずっとこれがあったんだと思った。


「無理しなくていいですよ」


「したい」


「朔さんが?」


「俺が」


芽衣は少し黙った。

それから、朔の手を握った。


「じゃあ、一緒に考えます」


朔が顔を上げた。

いつもの目。でも今夜は、その奥がちゃんと揺れていた。


「……面倒な人間」


「どうも」


「嫌いじゃない」


「知ってます」


朔がゆっくり顔を近づけた。今夜は芽衣も目を逸らさなかった。

唇が重なった。

どのくらいそうしていたか、わからない。

気づいたら鐘の音が鳴っていた。


「……もう?」芽衣が顔を上げた。


「時間だ」


「早い」


「毎回そう言う」


朔が静かに笑った。


「また来い」


「来られたら」


「来い」


足元が薄くなる。灯籠が遠くなる。

朔の顔が霞む直前、その髪の毛先が青白く光っていた。


芽衣は路地裏に立ったまま、少し泣きそうになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ