表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜街の何でも屋  作者: メイコノノ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話

リンと初めて会ったのは、夜街の外れだった。

朔の店を出て、なんとなく商店街の奥まで歩いてみたら、石畳が途切れる手前の暗がりに誰かがしゃがんでいた。


「あ、人間だ」


顔を上げたのは、若い男だった。二十歳前後に見える。砂色の髪が癖っ毛でぼさぼさで、着物の裾がよれている。


「……耳、出てますよ」


「あー」リンは頭を押さえた。


「戻んないんだよね、疲れてると。俺、リン。狐」


「桐島芽衣です」


「知ってる。朔のとこの」


またその言い方だ。芽衣はため息をついた。


「客です」


「同じようなもんじゃん」


おトキさんと同じことを言う。芽衣は観念して隣にしゃがんだ。リンは石畳の隙間から草が生えているのをぼんやり眺めていた。


「何してるんですか」


「暇つぶし。夜街って夜明けまで時間あるし、やることなくなるんだよね」


「働けばいいじゃないですか」


「やだ」


清々しいくらい即答だった。


芽衣は苦笑して、同じように石畳を眺めた。夜の空気が少し冷たい。でも不快じゃない。


「ねえ」リンが横を向いた。


「夜街のこと、どのくらい知ってる?」


「あんまり。朔さんに少し聞いただけで」


「じゃあ教えてあげる。俺、暇だし」


リンの話は、思ったより核心を突いていた。


「夜街に迷い込める人間って、ふたつ条件があるんだよね」


「条件?」


「ひとつは、人生の岐路に立ってること。なんか迷ってる人間が、夜の路地に引き寄せられる」


「もうひとつは?」


「妖の気配を感じ取れる素質があること」


リンが芽衣を見た。


「芽衣ちゃん、夜街に来る前から、なんか変な気配を感じたりしなかった?」


芽衣は少し考えた。


「……たまに、路地とかで誰かに見られてる感じがすることはあったけど」


「それだよ」リンが頷いた。


「ほとんどの人間は妖の気配なんて感じない。感じ取れる素質がある人間だけが、夜街に引き寄せられる」


「じゃあ私、もともとそういう素質があったってことですか」


「そう。で、迷いもあった。だから迷い込んだ」


「迷いがなくなったら?」


「来られなくなる」リンはあっさり言った。


「夜街って、迷いで動いてるようなとこだから。答えが出た人間には見えなくなる」


芽衣は少し黙った。


「じゃあ私、何に迷ってるんでしょう」


「知らない。自分のことでしょ」


「そりゃそうですけど」


「でも」リンが草の茎をつまんだ。


「迷ってる自覚がない人の方が、たいてい長く来るよ。自分が何に迷ってるかわかってる人は、答えが出るのも早いから」


芽衣は仕事のことを思った。好きでもない仕事をやっていた、という朔の言葉。

好きなことが、わからない。

どこに向かいたいのかが、わからない。

それが迷い、と言えるのかどうかも、わからない。


「朔さんは」芽衣は口を開いた。


「こういうこと、全部知ってるんですよね」


「当然。あいつ、何百年もここにいるし」


「私がいつか来られなくなることも」


リンが少し間を置いた。


「……知ってるんじゃない」


「そっか」


芽衣は膝を抱えた。夜風が吹いて、遠くで鈴の音がした。

知っていて、それでも茶を出して、話を聞いて——それからあのキスは、いったい何なんだろう。


妖魔の挨拶なのか。からかっているのか。それとも——考えかけて、やめた。わからないから余計に、心臓に悪い。


「あのさ」リンが立ち上がった。


「俺から言えることは一個だけ」


「何ですか」


「朔があんなふうに人間と関わるの、見たことない。何百年も一緒にいるけど」


それだけ言って、リンはぼさぼさの頭を掻いた。


「まあ、俺の話だから。信じなくていいけど」


何でも屋に戻ると、朔は縁側に出て夜空を見ていた。

芽衣が隣に座っても、特に何も言わなかった。しばらくふたりで黙って、同じ方向を見ていた。


「リンさんと話してた」


「見てた」


「見てたなら来ればよかったじゃないですか」


「邪魔したくなかった」


芽衣は朔の横顔を見た。夜の光の中で、白い髪が淡く透けている。綺麗だと思う。思うたびに少し、困る。


「ねえ」


「ん」


「私がいつか来られなくなるって、知ってますよね」


朔が、空を見たまま答えなかった。

沈黙が答えだった。


「……それでも、追い返さなかったんですね。最初の夜」


「うん」


「なんで」


朔がこちらを向いた。いつもの、感情の読めない目。でも今夜は、その奥に何かが揺れている気がした。

答えの代わりに、すっと手が伸びてきた。芽衣の髪に触れて、耳にかけて——そのまま頬に手が添えられた。


顔が近い。


「朔さん」


「もう少し、黙って」


額に口付けが落ちた。それから、こめかみに。頬に。

最後に唇に触れて、今度は少しだけ長かった。

離れた時、朔の髪の毛先が青白く光っていた。本人は気づいていない。


「……これって」芽衣は声が少し掠れた。


「どういう意味なんですか」


「さあ」


「さあって」


「あなたはどう思う?」


朔が静かに聞き返した。からかっている顔じゃない。真剣な顔でもない。ただ、静かに待っている。

芽衣は答えられなかった。

好意なのか、妖魔の習慣なのか、それとも全然別の何かなのか。わからないから余計に、頭の中がぐるぐるする。


「……わかんないです」


「そう」


「朔さんは、わかってるんですか」


朔が少し間を置いた。


「わかってる」


「教えてくれないんですか」


「もう少ししたら」


「もう少しって、いつですか」


「あなたが準備できた時」


芽衣は言葉に詰まった。準備って何だ。何の準備だ。

その時、遠くで鐘の音が鳴り始めた。

低くて、ゆっくりとした鐘の音。

朔が静かに言った。


「時間だ」


「え、もう——」


 言い終わる前に、足元の石畳が薄くなった。夜街の灯籠の光が遠くなる。朔の顔が、霞んでいく。


「また——」


声が途切れた。


気づいたら、路地裏に立っていた。

夜の空気が冷たい。灯籠も石畳も、何もない。ただの古い路地裏だった。

芽衣はしばらくその場に立っていた。朔の言葉が頭の中で繰り返されていた。

わかってる。

もう少ししたら。

あなたが準備できた時。

何の準備なのか、まだわからない。でも胸の奥が、妙にうるさかった。芽衣は歩き始めながら、自分の頬にそっと触れた。まだ、少し熱かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ