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夜街の何でも屋  作者: メイコノノ


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3/10

第3話

三度目になると、さすがに言い訳が思いつかなくなった。

偶然でも迷子でもない。ただ来たくて来ている。芽衣はそれを認めながら歩いた。夜の街は昼間とは別の顔をしている。古い建物が並ぶ路地に入ったら、甘い匂いにつられて足を止めた。


 〈甘味処 とき〉


小さな暖簾が出ている。前回は気づかなかった店だった。引き戸の隙間から、あんこの香りが漏れている。


「お嬢さん、初めてかい」


中から声がした。

暖簾をくぐると、小柄な老婆がいた。白髪を丸くまとめて、割烹着姿。目が細くて、笑うとそのまま線になる。でも目の奥が、なんとなく人間じゃない光り方をしていた。


「あの、通りかかっただけで——」


「まあ座りなさい。今ちょうど善哉ができたところ」


断れる雰囲気じゃなかった。芽衣は引き寄せられるように椅子に座った。

出てきた善哉は、見た目の素朴さに反して驚くほど美味しかった。甘いのに重くなくて、体の芯から温まる感じがする。


「美味しい」


「でしょう」老婆は向かいに座って、目を細めた。


「あたしはおトキ。よろしくね」


「桐島芽衣です。あの、ここって——」


「朔のとこの子かい」


「え、あ、客ですけど」


「同じようなもんだよ」


にこにこしている。なんなんだろうこの人、と思いながら、芽衣は善哉を一口食べた。


「おトキさんは、朔さんと知り合いなんですか」


「長いよ。あの子がまだ素直だった頃から」


「素直だった頃、があるんですね」


「あったよ。その後はひどかったけどね」


ひどかった、の方が気になった。


「どんなふうに」 


「人間に興味がなかった。文字通り、ひとっつもね」


おトキさんは湯呑みを両手で持った。


「迷い込んできた人間の話を聞いて、茶を出して、夜明けに送り返す。それだけを何百年も繰り返してた。楽しいとかそういう感情もあんまりなかったと思う」


芽衣は善哉を食べる手を止めた。


「それが、変わったんですか」


「さあ」おトキさんはとぼけた顔をした。


「あたしが知ってることを全部話したら、あの子に怒られるからね」


「教えてくれないんですか」


「自分で見つけなさいよ。その方が面白い」


意地悪だ。でも嫌いじゃない感じの意地悪だった。芽衣は苦笑して、また善哉を口に運んだ。


「……朔さん、変な人ですよね」


「変かい」


「距離感がわかんないというか。近いのか遠いのか」


「あの子はね」おトキさんが少し声を落とした。


「言葉が得意じゃないんだよ。何百年も生きてるくせに、肝心なことになると黙っちまう」


芽衣は額のことを思い出した。あの、あっという間の感触。


妖魔の話だから信じなくていい、と言っていた顔。


「……そういう生き物なんですかね」


「そういう生き物だね」おトキさんはにっこりした。


「だから、言葉以外を読んであげないといけない」


おトキさんの店を後にして何でも屋に寄った。


朔は帳簿らしきものを広げて何か書いていた。芽衣が入ってきても顔を上げない。


「おトキさんとこ行ってきました」


「善哉、美味しかったでしょ」


「美味しかったです。いろいろ話してくれて」


朔の手が一瞬止まった。


「……何を聞いたの」


「秘密です」


「そう」


また筆が動き始めた。芽衣は朔の斜め前に腰を下ろして、その横顔を眺めた。白い髪が垂れて、目元に影ができている。


「朔さんって、昔は人間に興味なかったんですか」


筆が、また止まった。

今度は少し長く止まった。


「おトキさんに聞いたの?」


「秘密です」


朔がこちらを見た。無表情だった。でも芽衣はもう、その無表情の中に何かがあることを知っていた。


「今は?」と聞いた。


「今も、興味ないですか」


朔は答えなかった。

答えない代わりに、すっと手を伸ばしてきた。芽衣の顎に触れて、少し上を向かせて——唇に、触れた。


前回の額より、ずっと近くて。

でも同じくらい短くて、あっという間に離れた。


「……どうしてキスするんですか」


「わかるでしょ」


朔は何事もなかったように帳簿に戻った。

耳が赤い。今度は見間違いじゃなかった。

芽衣はしばらく固まってから、自分の唇に触れた。心臓がうるさかった。こんなの、どうしろというんだ。


「……言葉で言ってください」


「それが一番難しい」


静かな声だった。

怒る気にもなれなくて、芽衣はため息をついた。朔の帳簿をのぞき込んだが文字が古くて読めない。


「何書いてるんですか」


「客の記録」


「私のことも書いてありますか」


「……さあ」


見せてくれなかった。でも朔の口元が、ほんの少し動いた気がした。

芽衣は黙って、その横顔をもう一度見た。

言葉以外を読んであげないといけない、とおトキさんは言っていた。

まだ全部はわからないけれど——嫌われてはいないんだと思う。たぶん。


帰り際、朔が出口まで送ってくれた。

石畳が途切れる手前で立ち止まって、芽衣が振り返ると、朔がいつもより少し近くに立っていた。


「始発まで時間あるけど」


「大丈夫です。お茶のおかげで全然眠くないので」


「そう」朔が静かに言った。


「無理はしないで」


「朔さんが言いますか、それ」


「俺が言うから意味がある」


芽衣は少し笑った。朔も口元だけで笑った。

出口をくぐって、路地裏に戻った。

芽衣は駅に向かって歩きながら、さっきの唇の感触をまだ考えていた。

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