灰の下の灯
灰の下で眠る炎は、やがて世界を焼くだろう。
ノクティスの静かな日常が、音もなく崩れ始める――。
歴史の鐘が鳴り響く。
だが、ノクティスの胸に安らぎは訪れなかった。
記憶の残響が、冷たい霧のように心にまとわりついて離れない。
「大丈夫?」
リラがそっと問いかける。
彼女、カエル、フィンの三人が、ノクティスを囲むように歩いていた。
「……問題ない。」
短く答える声は平静を装っていたが、その奥では小さな嵐が渦を巻いていた。
「顔、真っ白だよ。」
フィンが歩きながら軽く笑う。
「まるで幽霊でも見たみたいだ。」
(……幽霊じゃない。生きた悪魔だ。)
「もしかして腹減ってるだけじゃねぇか?」
カエルが陽気にノクティスの背中を叩いた。
「訓練して飯食えば、なんでも治るって!」
その無邪気さに、ノクティスの口元がわずかに緩む。
――そんな些細な温かさだけが、今の彼を現実に繋ぎとめていた。
✦
訓練場は広大だった。
青い魔力の光が空気を震わせ、学生たちの声が交錯する。
その中心に立つのは、傷跡の多い老戦士――マスター・ギデオン。
「今日の課題は破壊ではない!」
声が雷鳴のように響いた。
「力に飲まれる者は、力を持つ資格がない。
――お前たちの任務は、このマナ結晶を“安定”させることだ!」
◇
課題は単純に聞こえる。
だが、制御こそが最も難しい。
貴族のヴァレリウスが笑みを浮かべ、片手で結晶を浮かせる。
青白い光が爆ぜ、周囲がどよめいた。
――だがその輝きは、過剰で不安定だ。
「見ろ、これが本物の魔力だ!」
彼の声に、周囲の貴族たちが笑う。
一方、カエルの結晶は震え、フィンの結晶はちらちらと点滅していた。
リラだけが穏やかな光を保ち、杖を静かに支えている。
そして、ノクティスの番が来た。
彼は静かに右手を差し出す。
詠唱はない。光も、気配もない。
結晶が――ゆっくりと浮かんだ。
音もなく、揺らぎもなく。
まるで目に見えぬ棚の上に置かれたかのように、完璧な静止。
「……何だ、それは。」
ヴァレリウスが鼻で笑う。
「光りもしないのか? 貧弱だな、平民。」
ギデオンの目が細くなる。
――彼は知っていた。
この沈黙こそが、恐るべき制御の証だと。
無駄な魔力は一滴も漏れない。
それは、熟練の魔術師でも到達できぬ領域。
(……見せる必要はない。見せるのは、終わらせる時だ。)
❖ 燃え残った火は、灰の下で最も長く生きる。❖
◇
一時間後、授業が終わる。
カエルはまだ不満をこぼし、フィンは次の悪戯を考えていた。
ノクティスは無言のまま歩き、ふと耳にした。
「……下層地区で“浄化”があったらしい。」
「またアルブライト侯爵の差し金か?」
その名を聞いた瞬間、ノクティスの足が止まった。
胸の奥が、静かに疼く。
(アルブライト……あの犬め。)
視線を上げる。
学院の外、遠くに見える王都の尖塔が夕陽を受けて輝いていた。
その光の下に、腐った影が蠢いている。
唇がわずかに動いた。
「――夜が来る。」
風が吹き抜け、灰が舞う。
そして、少年は静かに歩き出した。
それは、影の名を持つ者――〈ニクス〉の始動だった。
❖ 日が沈み、復讐の灯が再び燃え上がる。❖
ご読了ありがとうございます。
本章では、ノクティスの冷静な才能と、影としての始まりを描きました。
次章では、“ニクス”としての最初の任務が語られます。
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