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甘さに酔いしれて

作者: 白崎なな

 優羽(ゆう)は昇進もしてしまい、なかなか会える時間がとれなくなった。喜ばしいことでもあるので、この寂しさは忘れることにした。それでも、彼は私を社内で見つけると近寄ってくる。その度にこの気持ちを露呈してしまいそうになり、グッとなんとか堪えた。



 今日も今日とて、彼は私のデスクにやってきた。忙しい彼は、今までのように同じデスクにいてくれない。だから、最近ではこうして私の方に来てくれる。



茉里(まり)、今日なら時間取れそうだけど……どう?」



 そう言って、私の肩に手をまわす。前のようにひた隠しにした関係ではなくなったことを良いことに、職場だというのに大胆だ。そんなことを思うのに、やはり嬉しさには勝てない。にやけそうになる口元に力を入れた。




「お昼の話?」



 まわされた手を払って、顔だけ優羽の方を向いた。冷たさを感じるかもしれないけど、今の私の取れる照れ隠しだった。



 わざわざ言いにくるってことは、お昼じゃないことぐらいわかっている。それでも、期待して違って傷つかないための先回り。それぐらい許してほしい。





 ふわっと笑みをこぼして、私の耳元に顔を寄せられた。その笑顔だけで、体温が上昇してしまいそうだ。

 軽く息を吸う音まで、しっかり拾う。ドキドキとしてしまい、平常心を保てない。そんな私の様子を楽しんでいるであろう、優羽はゆっくりと口を開いた。そして、私にしか聞こえない声になる。




「違うよ。ゆっくりディナーでも、どう?」




 なんだか、君に拒否権はない。そう言われているようにも感じる。どんな予定があっても、キャンセルにして優羽を優先したい。そう想ってしまうほど、彼不足。




 私は、首を縦に2回振った。




 今夜の約束を取り付けた優羽は、私から顔を離した。思わず、手で耳元を押さえてしまった。優羽のせいで、絶対的に顔が赤い。でも、こんなことを職場内でやられたらこうなる。




 ムッとした顔をして、優羽を追い払う。

 本当は、そんなことをしたくはない。名残惜しいし、もっと話をしたいと思っている。でも、なんといってもここは職場。目撃をした人によっては、嫌がられてしまう。

 そうでなくとも、揶揄われてしまうというのに。




 手をひらひらとさせて、この部屋を出て行った。私にこれを伝えにくるためだけに立ち寄った、そう感じさせるような出来事だった。

 空気を軽く吐いて、開いていたPCに目をむける。しかし、じっと見つめてくる視線に気がついて顔を上げた。




 その視線の犯人は、わかっている。先ほどの優羽とのやりとりを、つつきたくなっている人。




 予想的中。目の前に座る中の良い後輩なんてニヤニヤとしていた。私と目が合うと、顔に手を当てて首を振る。すぐに揶揄ってきた。





 背もたれに体を預けて、頬を膨らませて抗議をしておく。そんな反撃なんて、小さな子供が指でつっつく攻撃レベルに意味がないことはわかっている。

 だからと言って、何も反撃をしないわけにいかない。




 しかし、彼女も良い後輩。




『先輩のために、今日は私が残業しますからね!』




 あんな風にしてきたのに、わざわざ社内メールでこんな文面をおくってきた。最近会えていないことも、言ってなくても彼女は察している。クルクルに巻いた可愛らしい髪を今日は高い位置で結い上げている。本当に、彼女の女子力を見習いたい。




 真っ直ぐに降りた髪を、耳にかけるだけのシンプルさ。流石に髪を巻いたりはできないので、メイクだけはなおして今夜会いにいこう。




(さて、早く仕事を片付けよう)




 手を組んで腕を伸ばして、ストレッチをする。楽しみがあると、頑張れるものだ。





 * * * *




 そうこうしていたら、夕刻を知らせるチャイムが鳴る。ハッと時計をみるともう定刻。あと何時間後に……と持っていたはずなのに。本当にあっという間だ。




 そんなことを思っていたら、背後にゆらりと誰かが立つ。



 


「先輩〜! デートに行くんですよねっ!」



 こんな時間でも、彼女のキラキラさは失われていないらしい。眩しいぐらいの笑顔で、手を無言で差し出してきた。午前のあのメールのことだろう。こんなことで頼るなんて先輩失格なのだろうが、彼女ならよしとしてくれそうだ。




「ごめんね。お言葉に甘えて……」




 優先順位の高いものだけを託す。あとは、明日でもなんとかなる。そう思って、最低限のものを彼女の手にバトンタッチをした。



 キラキラを一瞬消した顔を近づけ、近い距離で目が合う。こういう時の彼女の迫力は、なかなかなものだ。




「代わりに、今日の話……聞かせてくださいね」

「は、はい……」




 離れていく彼女は、もうすでにいつも通りになっていた。行ってらっしゃい、と送り出してくれるかのように手を振った。私は、立ち上がって部屋を出る。





 部屋の目の前で、スマホを触っている優羽がいた。私に気がついたらしく、壁に持たれていた体を起こす。



「さ、行こう」



 手を差し出されて、おずおずとしながらその手に重ねる。指を絡まらせ、ぎゅっと握られる。前まで、こんなに甘くなかった。元は、体だけの関係からだったわけで。こんなことをする間柄じゃなかったということもある。

 しかしながら、離れる時間が長くなって一層糖度が増した。

 




 心臓に悪いほどの、甘い空気が流れる。




 チラッと見ると、優羽と目が合う。目があったことで何かを思い出したのか、優羽はポケットに空いた手を突っ込んだ。



 私たち以外に誰もいない、静かなエレベーターホール。重なるように鳴っていたふたりの足音が止まり、向き合う。




 繋いでいた手を離されて、代わりに硬いものが握らされた。リンと澄んだ音がホールの中をこだまする。手のひらを開いてみれば、家の鍵。




「え?」




 これは、彼の家の合鍵なのだろう。目を輝かせて、私は優羽を見つめる。




「いつでも来ていいよ」



 優羽のネクタイを引いて、私は目を閉じた。軽く重なる唇。うまく言葉にできなくて、行動にしてみた。きっと、優羽にならこの気持ちが届いているだろう。




 目を開きどちらからともなく、おでこをくっつけて笑った。




 どんなスイーツよりも甘い。でも、その甘さに酔ってしまうのもいいかもしれない。

 優羽となら、それも良い。そう思える。

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