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病み憑き  作者: 雪鳴月彦
第四部:風岡夏純 ②
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第四部:風岡夏純 18

 振り返りライトを向けると、貴秀の姿をした化物が床を這いつくばりながら竜次を見上げて笑っていた。


 さらに、その頭上。


 天井には、秋本 夢美がトカゲのように貼り付きながら、今にも飛び掛からんという様子で睨んできている。


 ギリッ……と、己の歯が強く擦れる音を聞く。


 この状況で、自分はいったいどうすれば良いのか。


 もうまともには逃げられない。


(……クソったれが!)


 解決策が何も浮かばない。


 何がどうなってこんな非現実的な事態を引き起こしているかもわからないのだ。原因不明のままその打開策など思いつく方がおかしい。


「――っ!」


 衣擦れのような微かな音と共に、天井へ貼り付いていた夢美が竜次めがけて落下してきた。


 咄嗟に相手の襟首辺りを掴み、竜次は軌道を逸らすようにしてそのまま地面に叩きつける。


 ズシンという重い衝撃音が腕に伝わり、相手を無力化できたかと期待したが、考えが甘かった。


 かなり強く叩きつけたはずの夢美は、まるで何事もなかったかのように竜次の腕を掴み華奢な身体とは思えない力でギリギリと握り絞めてくる。


 その異様な握力の前に、竜次は顔を歪めて夢美の黒く濁った目を睨んだ。


「なん……なんだよ、てめぇは!」


 掴まれたままの腕をもう一度振り上げ、再度地面へ叩きつけるが全くもってダメージを受けている様子がない。


「この……っ」


 胸ぐらを引き寄せるかたちで引っ張り、渾身の力で顔面を殴る。


 ゴッ、ゴッと、くぐもった打撃音は響いても、殴られる本人は表情を変える気配もなく竜次を睨み、腕を掴む手の力を緩めようともしない。


(本気でバケモンか……!)


 足を這い上がる黒い粒は、太ももの付け根にまで到達しようとしている。


「なっ……」


 チラリと自分の足を確認しようと視線を下げたとき、竜次はたった今夢美を殴った己の拳に異変が生じていることに気がついた。


 拳の表面が、炭を擦り付けたときのように黒く汚れている。


 もはや片足を覆い尽くさんとしている黒い粒と瓜二つのそれは、布へ染み込む水同様にジワジワと広がり手の甲から手首、腕へと伸びていく。


 はっとして、もう片方の腕、夢美を掴まえている左腕に首を巡らすと、そちらも黒く変色が始まっていた。


(まさか、こいつは……)


 驚愕で身動きすることを忘れ、竜次は気がついてしまった最悪の事実に喉をひきつらせる。


(触れただけで、感染してんのか……?)


 だとすれば、防ぎようなんてない。


 性質や正体が不明瞭で、どこからにじみ出してくるかも知れない黒い粒のような何か。


 そして、それに汚染された貴秀と夢美。


 これらに対して抵抗はおろか、ただ触れるだけで感染するように伝播しこちらの身体を浸食していくと言うのなら。


(完全に逃げ切るしか、生き残る手段がねぇのか?)


 足、腕、そして拳。


 三ヶ所から浸食されていく身体にだめ押しをするかの如く、貴秀が跳ねるように飛びかかかり竜次へと抱きついてきた。


「ぐっ……貴秀……てめぇ……がっ!?」


 必死に振りほどこうと身を捩った竜次だったが、いきなり首に激痛が走り表情を強張らせる。


 しがみついてきた貴秀の黒い歯が、竜次の首に食い込んでいた。


 容赦なく突き立てられた歯は皮膚と肉を破り、血管を断裂させる。


「ぐ……ぅ……」


 吹き出した血がボタボタと地面へこぼれ土の中に染み込み、焼けるような熱さを感じたばかりの首に、ゾッとするほど冷たい冷気が混じりだす。


 黒くなった手足と同様の感覚に、竜次は自分の首がどのような状態になってしまっているのかを嫌でも理解した。


(ちくしょう…………!)


 自分はもう、生きて日常へは戻れない。


 訳のわからぬまま、ここで化物の仲間入りだ。


 その現実を突きつけられた意識が黒い淀みへ沈むまで、竜次は黒くなった血を流し続けながらその場に立ち尽くしていた。

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