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病み憑き  作者: 雪鳴月彦
第三部:風岡夏純 ①
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第三部:風岡夏純 18

 煙草から立ち上る煙が、空気を少しずつ白く染めていく。


 短くなった煙草を灰皿代わりの空き缶へ放り込みぐるりと首を回しかけたとき、コツンッと硬い物がぶつかる音が聞こえ、竜次は首の向きをそちらへ軌道修正した。


 外は暗く、夜闇しか見えない。


「……?」


 竜次は不審そうに立ち上がり窓際へ向かうと、躊躇することなく窓を全開にして外へ身を乗り出す。


 目に映る範囲に、これといって気になるものはない。


 家の前に伸びる道路に街灯はあるものの、その明かりが照らす中には無秩序に飛び回る蛾の姿があるのみ。


(気のせいか……?)


 湿り気を含む蒸した空気の中へ、室内を漂っていた紫煙が流れて行き消えていく。


 虫でもぶつかったかと適当な結論を下し、開け放った窓を閉めようかとした瞬間。


 今度は、パキンッという薄いアルミが潰れるのに似た音が背後で響き、竜次は咄嗟に振り返った。


 室内には誰もいない。


「…………」


 それにも関わらず、部屋の真ん中では小さな異変が起こっていた。


 ほんの数十秒前、立ち上がる直前に煙草を入れた空き缶がいつの間にかひしゃげている。


 まるで、飲み終えた缶を適当に握り潰したというような、そんな状態でテーブルの上に転がっていた。


(何だ?)


 警戒するように眉をひそめ、竜次は静かに窓を閉めて周囲を見回す。


 弟でも入ってきて悪戯でもしたかと真っ先に考てみたが、そんなことは百パーセントあり得ない。


 缶がひしゃげる音が聞こえ、竜次が振り向くまでの時間など一秒にも満たないものだった。


 気配を殺して部屋に入るまでは可能でも、缶を潰してどこかに隠れる暇など皆無なはず。


 それこそ、透明人間でもない限り不可能な芸当だ。


 竜次は念のためにと、人が隠れられそうなクローゼットを開き中を確かめ、ベッドの下も覗いてみたがネズミ一匹見つけることができない。


(どうなってんだこりゃあ。何にもいねぇのに、いきなり缶が潰れるわけが……)


 浮かび上がる疑問を脳内で吟味していると、視界の端で何かが動いたような気がして反射的にそちらへ眼球を動かす。


「――!」


 そして同時に、息を飲んだ。


 部屋の壁に掛けてある青いTシャツ。その後ろ。


 シャツと壁の隙間から、真っ黒い炭のような人間の手が伸びてきていた。


 それはまるで、探し物でもしているかのような動作でうねうねと周囲の壁をまさぐると、身の危険を感じた魚のような速さでシャツの裏へと引っ込み、その姿を消してしまう。


(……何だ今のは?)


 言葉にできないような不可思議な感覚に襲われつつ、竜次は屈んだままだった身体を起こし立ち上がる。


 そのままずかずかと壁際まで歩み寄り、怯む気配を見せることなく掛けられていたシャツを取り外した。


「…………」


 しかし、そこにあるのはただの壁。


 見慣れすぎて面白くもない白い壁が蛍光灯に晒され現れるも、そこに黒い腕は存在しない。


 手に掴むシャツも調べてみるが、特に異常はなく。


 見間違い等では決してない。それは竜次本人がよくわかっている。


 確実に今、ここに何か得体の知れないモノがいた。


<私、昨日おかしなものを見たの。窓の外に真っ黒い人の形をした何かが貼り付いてて――>


 日中聞いた茜の言葉が頭に響く。


 幽霊という曖昧な存在をイメージし、即座に鼻を鳴らして振り払う。


「馬鹿馬鹿しい」


 吐き捨てるように呻いて、竜次は外したシャツを元に戻すとベッドの上に座り込む。


(幽霊なんざ、いるわけがねぇ)


 それから暫くの間、じっと室内の気配を探るように神経を澄まして壁の一点を凝視し続けた。

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