第三部:風岡夏純 11
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新仲 晴樹のスマホへ電話がかかってきたのは、彼がちょうどコンビニに出かけようかと考えていたときだった。
時刻は九時四十二分。
画面に表示された相手の名前は、交際相手である箱沢 茜。
「もしもし、どうしたの?」
彼女がこの時間帯に電話をしてくることは特に珍しいことでもなんでもないため、新仲は浮かしかけていた腰を再び下ろすと鳴り続けるスマホの画面をタッチして通話に出た。
「ああ、晴樹。良かった、出てくれて……」
「ん?」
妙に安心したような彼女の声に、新仲は電話越しに首を傾げる。
いつも冷静な茜にしては、こういう風に感情を表に出して話してくるというのはなかなか珍しい。
「今、ちょっとおかしなことがあって……。あれ、何だったのかしら」
まるで大金の入った財布を落としたことに気づいた直後のような、混乱と戸惑いを滲ませる茜の声に晴樹は、
「落ち着きなよ」
と優しく声をかけた。
「いったい、何があったんだ? 茜が狼狽えるなんて珍しいじゃん」
「……狼狽えもするわよ」
そう呟いてくる直前に、茜が一度大きく息を吐くのが晴樹にはわかった。
「今、お風呂からあがって洗面台の前で髪を乾かしていたの。それで、そろそろ部屋に戻ろうかと思いながら窓の方を見たら、真っ黒い人影みたいなのがへばり付いてて……」
「え? 覗き?」
「違う。そういうのじゃない。なんて言うか、人の形をした別の何か……。私自身よくわからないから、そうとしか言い表しようがないわ」
「服装とかは? それも真っ黒なの?」
「ええ。そもそも服を着ている状態だったのかもわからない。両手を窓に押し付けるような恰好でくっ付いてて、それが突然、滑り落ちるようにして視界から消えてそのままいなくなったの。私、すぐに窓を開けて確認したけど、誰もいなかった。誰かの悪質な悪戯だったにしては何の形跡もなかったし……。ひょっとして、あれが幽霊ってやつなのかしら?」
「馬鹿馬鹿しい、そんなものいないよ」
突拍子もない恋人の言葉に、晴樹はつい苦笑を漏らしてしまった。
「目の錯覚とか、他の何かと見間違えたってことはないの?」
「そんなのあるわけないでしょ? かなりじっくり見ちゃったんだから。あれが錯覚なら、私の目がかなり異常ってことになっちゃうわ」
まともに相手をされていないと悟ったのか、茜は少しだけ不機嫌そうな含みを言葉に込めてくる。
「って言うか、晴樹は今どこにいるの? そこ、自分のアパートじゃないわよね?」
「は? いや、自分の部屋にいるけど、どうして?」
前触れなく変わった話題にきょとんとなりながら、晴樹は自分のいる部屋の中を見回す。
「だって、さっきからずっと側で誰か喋ってるでしょう? よく聞き取れないけど、ボソボソ声がしてるわよ。テレビでも買ったの?」
「いや、そんなの買ってないし、誰もいない。一人だよ」
晴樹が暮らすのは八階建てマンションの一室。
高校進学を期に、医者である両親の計らいで一人暮らしをさせてもらっている。
地方に建つマンションで古いため最新のセキュリティなどはないが、防音や部屋の広さ等普通のアパートと比較すればかなり恵まれた環境だと晴樹は考えていた。
晴樹の元に振り込まれる仕送り――と言うか小遣い――は月十万程度。
この中から光熱費と食費はまかなっているが、家賃は全額親が負担してくれているため生活が苦しいということはない。
が、それでも茜とデートをしたり他の友人たちとの付き合いを頻繁にしていれば出費は右肩上がりに増えるわけで、その足りない分を補うために晴樹は角田たちへ協力して真美への暴漢と金銭の搾取に加担していた。
角田がスマホに残していた、全裸にされ弄ばれる真美が写る画像。
あれが撮影された場所が、この部屋だった。
元々、秋本真美をいじめのターゲットに仕向けたのは電話の相手である箱沢茜だ。




