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斜農

作者: 雨降セルナ

農業用語に、ロゼット状態と呼ばれるものがあるのは、御存知でしょうか。


いきなりそんなことを言う僕は、日本国内の本州の真ん中よりやや左の方に生まれました。場所は、中国地方と呼ばれているみたいです。僕は、農家です。


それで、その温暖で、災害も比較的少なく理想的、などとは、自分には良く分かりませんが、自分という人間には、割と理想的と思われるところで、細々と農業を営み続けています。あっ。すみません。書き忘れてました。その前述の条件も非常に大事で、一大案件ではあると思われますが、でも、理想と思われるからには、上記、だけの理由では弱い感じがされるかもしれません。なので、もう一つ付け加えさせて下さい。

黒土。

言わずもがな、農業の根幹を成すものの代表格が、土、と思われます。その土が、自分の目には、良さげに見えました。(まぁ、何が良いのかなんて、皆目見当も付かない阿呆の農家ではあるのですが。黒土は、一応、排水、保水、保肥性が比較的良いとされています。)


そして土からは離れ、良い条件をあげつらうことからも外れますが、その黒色の周りは純粋に緑。とは言えませんが、まぁ、精霊蝗虫ショウリョウバッタの背中のようなもので、檜や杉、所により松にかこまれて、都会ではあまり見かけないような、瓦屋根のちょっと昔の屋敷みたいな民家がちらほらと、あとは、全面トタン張りみたいな、そして錆と汚れが広がり、元の色味は消え失せた家などが散見されます。

そんな場所の住民は、そして、その黒色を管理している、ある民家の住人(男性)は、日のあるうちには、その黒色をいじり倒し、日が沈む頃には、いじるのに疲れ果て、その疲れた足取りで、車(ナンバープレートの端が少し歪んだ軽トラ)を慣れた、そして多少の荒さ(騒音に慣れた猫でも思わず驚き、飛び退くようなエンジン操作)で乗り付け、無言で帰り、汗を酷くかいていたので(もう乾いていそうですが)、入浴をさっと済ませ、テレビを軽く付けて、「ご飯。」と、そして漬物や味噌汁を野菜主体で、朝も昼もあまり変わらない、質素ではありますが、見ているこちらは、これが、あるべき姿だ。と、なるような食事を、家の人と摂り、「今日は何もなかった。」「…そうですか…。」そして、もう、ただ眠る。そんな毎日の、ある男性の、そして夫婦の古の風景。

この言葉は自分で言うと、なにやら卑屈の気配しか察せれないものですが、そんな長閑な田舎です。そして僕も、その黒色を弄ぶだけのただの農家です。


前置きが長くなり、遠言となってしまいましたが、冒頭に述べたロゼット状態とは、植物が基本的に寒さからその身を守るためにーーー冬を乗越えるために行う、人間で云う所のーーーありきたりな文言で恐縮ですが、眼前に突如閃光放たるーーー眼を即座に瞑る、その人間の防衛反応のように、来る、その植物が耐え得れない冷えに対し、とる反応(寒さに対応する為、本来なら上に育つはずが、生育を緩め、地に這う姿になる)のことです。


ところで、ロゼット状態の定義がそれであるなら、おそらくですが、自分は生を受けて以来、生粋のロゼットです。地球生命体ロゼッターと、自身を呼称したいまであるくらいです。なお、これを聞かれた方は、卑屈、安直、退屈と感じられると思います。ですが、そうなものはそうであるとしか言えないじゃないですか。(このノッペリーニな言い訳も…もう書きたくは無いのですけれど、つい、書かなければいけないような気になってしまう、そんな人間性なんです。)


話は変わりますが、植物には、生を続けていく為に不可欠な養分の三要素というものが存在しています。ですが、これは、自分には到底、断言できません。確かに要素が要るのは、わかるんです。確かに種々の要素が入った肥料を入れなかったら、植物が弱るのは見ました。でも、それでは何の要素が足りなかったのかはわかりません。

そうだと思われたから、土の分析などもしたりしてみました。結果、必要な三要素の一つが、ほぼほぼありませんでした。

このことで肥料は要るということが少しわかりましたが、ですが、枯れはしませんでした。肥料が無くても植物はなかなか枯れない。


これは、何でも良いですが、人間にとって都合の良い、発酵に至らせる事が出来ず、(この言葉は本来同義で有りますが)腐敗、をただ手に握り、撒き散らすような、実に、極に下らぬ発言を許してください。

植物に、「何が欲しい?」。ということを、人は訊く事は出来ないのだから、植物の持つ“欲望”(渇望も悪くないような気がします)について、その一切を解き明かすことは、金輪際できそうもないですし、比較実験も、完璧に同じ状態で比べることなど、できそうにないものだから、これは良い!などとは永遠にわからないような気がして、(さっきからずっと当たり前のことばかりいってしまいすみません)言っている人は、何やら詐欺師のように思われてきて、そして、そんなことを考え続ける自分は、そんな詐欺師より醜悪で傲慢で怠惰なように感じられています。


ところで、これは農業用語では無いですが、農家用語には“農家に栄光なし”なんていう言葉があります。

これは、そう思います。


栄光などという、非常に大きく目映過ぎる言葉は、自分には到底重すぎて、それを万が一、いや、京が一、食らったら、潰れます。焼けます。悶えます。そして一瞬、歓喜よろこぶことになると思います。(味わったことが無いのでわかりませんが)

ここまで読んでくださった方にはお分かりかと思いますが、自分は地味です。とにかく、やり切れない日々を無事でやり過ごしていきたいだけの、本当に無分別で、無気力な小作人です。


これは、少し前の話になりますが、


今まで、これまで長々と綴った思い達はずっとありました。農業を始める前にも。それ以前の思いは、地上の植物は違うかもしれませんが、地下の根は同質なモノと思われます。ですが、毛細根の量は違うかもしれません。でも、主根の形は同じだと思います。農家なので、やはり、こういう例えを多用してしまうのをお許しください。そして、


そして、ただ、もう、そんなことを考えて生き続けるのにもぐるぐる、疲れて、何やら、それでも、やはり、地べたを這うだけの生では、愚かな自分が思い付く限りの手を尽くすも、決して、実を付けること能わず、そして、ただそのままに枯れゆく栽培作物を傍観しているような気持ちになり、また、このままでは枯れると思いながらも、それもまた自分らしいな、などという醜悪な快感を得るといった、最低な思いを抱くことは日常茶飯事なのですが、たまには。

 たまには、越冬する植物のように晴れやかな、生を慈しめる姿で、春を迎えたい。というような欲が出て来て、そしてそれと同時に来る、何ともいえない現在の状況に、また、たまには。たまには、それを実行すれば、破滅に進みそうな気配はしているのだけども、それでも、無味無夢無名無文の現状にも耐えられない、そんな脆弱な精神性は、遂に、そのような精神を持ったが故の、必然辿り着からざる自傷的な衝動に駆られ、強引に、大して酒に強いわけでも無いですが、酒をグチャグチャに入れ、自分でも後で悔をするのは、言うまでもないことですが、そして、暴挙に暇がなくなることは、よくあることです。(そして下らないことをよく言ってしまうんです。それと人間失格を好んでいるので、ついそれに寄せてしまうのも情けない限りです。全然、寄せれてもなく、しょうもない文体で、構成で、美しいものは自分には書けないですけど。)


その暴挙とは、結論から書きますと、有言不実行となりますか。


誰の目に見ても、明らかにじぶん(他の凄い人ならそれを熟せると思われます)の許容を超えているのに、それをやってやる!と謎に息巻き、一応、実行するのですけど、やはり、できなくて、挫折し、というまぁ、よく、本当によく世の中にありふれた、ことですね…


そして、自分はこの平凡に、全くの相違はなく、悉く類似点しか見つける事が出来ません。それはもう、無意識にまで昇華された、例年通りに、春。田植機に乗り、ただ、矢継ぎ早その稲苗をただ植え付ける、その永年恒久動作、自分にとって、それとは真逆のように、借金をして、栽培施設を建て、トマトを作ることにしました。


そして、もう隠すことでもありませんが、貯金も信用も何も無かったので、お金を借りられるか不安では有りましたが、農業というものは、やはり、人の世に必要不可欠ということもあり、借りる事ができました。

まぁ実態は、お金を出してくれた所が、生産者を増やしたい、そして、そこに出荷をしなさい、という、イヤらしい呪いの鎖付きであるというのも、言うまでもないことかもしれませんが。


なにはともあれ、お金を借りられ、借りられた翌月には、無事に施設も立ち、その翌年(お金を借りたのが、秋。トマトを植えるのは基本的には、春。環境を制御できるような施設であれば、わりといつでも植えれます。自分が建てたのは、皆さんが見慣れてると思われる一般的なビニールハウスです。)の春に、トマトを植えるところまで、ようやくきました。このとき自分は20歳でした。


そして、頑張って、悩みながらの余剰動作で、かなりの時間が掛かりましたが、植えました。ハウス4棟分。(自分のハウスは、1棟が2・5㌃ほど、4棟なら10㌃くらい)トマトの本数は、約1500本ほど。

良くはわかりませんが、俗にいう、やれる人は、20㌃くらいはやれるそうですが、やったこともない人間が、いきなりやる量ではないと思われます。


それまで、幼少の頃から多少は農を、先人の、その過去の叡智の詰まったトマトの果実を、ちまりちまりと齧ってきたつもりではありました。


いや、齧るという言葉では駄目ですね。舐める。という言葉の方が、ありきたりで俗っぽいところも見事に、自分には当てはまります。なぜならその叡智のトマトは、幾年と人生を熟しながらも円満さと、善人さを兼ね備えた有名私立の理事長(本当にそんな人が居るかは知りませんが)みたいな、果実だからです。そんな素晴らしいモノを前にしながら、体内に入れることもせず、ただ、表面をぺろぺろ舐め回していた自分には、何一つモノが入ってきてはいない状態でした。


そう、まさになめていました。若いし何とかなるだろうと。植えるのは、多少、多くても、何とかなります。少し元気があれば、誰にでも出来ます。ですが、植え付けてからが、真の農業のはじまりであり、植物の恐ろしさ、いや、こんな大仰なことを書いてますが、わかりきっていることではあると思うんです。生き物を飼う、その重さ。言ってしまえば、それなんです。そして、それ、と向き合うことになるのでした。(こんなことを言ってますが、本当のことは全然わかっていません。何もわかりません。)


植物は恐ろしい。それは、そうです。わからない。人は、わからないものを恐れる性質が、やはりあるのだと、そしてそれを、植物に対しても抱くものなのだと知るのは、植えて、一ヶ月ほど経った頃でした。


その日は、その年は、雨の多い年でしたが、晴れてました。雲は、高くにあり、雨の懸念も無さそうな安全度の高そうな雲でした。


先にあやまっておきますが、天気を書きましたが、別にこれが気持ち、これからの展開、を反映するということはありません。


それで、その午前中に、いつものように植物の、ハウスに一ヶ月前に植えて、ある程度育ったトマトの様子を見に行きました。まぁ、毎日行ってますけども。


その日は嫌な予感がした。とかいうものを察知できるような、シックスセンスは自分は備えていないので、呑気な顔して、まぁ、畑にボコボコ、ハウスにぼっこぼっこ向かって行くわけですよ。


…ハウスに入りました。


なんだコレ。…実は昨日から、というか、少し前から、怪しいな、とは思ってたんですよ。他の人から言われたりもしてましたし。少し危険かなとは、思っていたのですが、見て見ぬふりをしていました。

しかし、今日は、見て見ぬふりをしていられないような



………悲惨な豪勢さを持ったトマトでした。例えるなら、以前は、どこにでもいるような高校生。即忘な印象しかなかったのにちょっと会わない内に上半身だけをちょっと鍛えて、謎の自信に満ち溢れているけど、全然もてない男を見ているかのような残念さ、そして、自分の先祖が墓場から、昔の人、特有の自慢の力で這い上がり蘇ってきたかのような異常さを覚えるトマトの姿でした。(茎が異常に太くなり、そしてその茎はサザエを貝殻から抜くときのようなうねりをあげ、通路には葉がもっさりで、普段は通路に日が差しているのですが、通路に日陰ができていました。)


農家の方は、トマトが暴れる、と、よく、そういう言葉を使います。ウリ科の野菜とかですと、ツルボケとか言ったりします。これは、窒素が効きすぎ、野菜が実をつけるのをやめ、樹だけが育ち過ぎる状態です。そして今、自分の眼前に広がる光景は、ハウス内の一面に、独活の大木が整然と列をなしているかのような、そして言い方を変えると、新築1年目で外観は絶景、内観、衣服、食器等が散乱し放題のお部屋、のような、そんなトマトハウスの中の、様子でした。


で、でも…でも、…まだ、大丈夫だ…。まだ、実をつけてくれるさ…。自分に言い聞かせます。そして、そんなトマトの一株一株を見てゆきます。


ですが、見たところで、なにもわかりません。…この状態が危険なんだよ。と。ただ、人から聞いていただけだったので。何処まで暴れたら、もう手遅れなのかがわかりませんでした。


こんなんじゃ、見ても、意味が無いじゃないか。自分には、本当に何もわからないんだから。(そう言うときに人に教えてもらうんだよ?という意見はありそうですが、自分はなかなか人に訊くとか頼るとかそういうのが苦手な気質だったのです。わざわざ自分の畑まで来て頂いて、何かをしてもらうのがとても心苦しかったのです。)それで、その日はもう何もする気が起こらず、というより、何をして良いのかも分からず、ただちょっとの間、ぼーっと眺めて、そのまま放置しました。


そして、翌日になりました。あまり、気は乗りませんが、午前、やはり、見にゆきます。…しかし、現実は変わりません。見た目にはあまり昨日と変わらないはずのトマトだったのですが、そして、おそらくですが、写真を撮って見比べたら、違いが分かる人はいない、と思われるほどには違い無い、と思われました。そうではありますが、ですが、悪化をしているように自分には、感じられました。こういうとき、自分はいつも、何かが良い方向にいくように信じられず、自分で勝手に穴を掘り続けていくのが基本思想の、やはり地べたの似合う僕です。

そして、その日も結局、手を打つことも無く、ただ独活の大木を決め込むだけの時間でした。


また翌日。















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