【第6章】
薄暗い地下通路をひたすら進み、あたしはようやくBasement Level 3あたりと思われる地点に差し掛かっていた。崩落や浸水で遠回りを余儀なくされ、疲労がじわりと脚に溜まる。筋肉質な身体はまだ余力があるが、精神的な緊張が続くとさすがに堪える。
暗がりの中、LEDライトを頼りに瓦礫を避け、かつてのケーブルダクトや配管室を抜ける。冷たい空気の中に、微かに電子機器が生きているようなオゾン臭が漂う瞬間があり、それはまだこのエリアのどこかに稼働中のシステムが残っていることを示唆していた。
あたしが目指すのは、Basement Level 4にあるエレベーターシャフトだ。そこからタワー上部へ抜ければ、最終ノードが手に入る……はずだった。
だが、先ほど拾ったインターフェースカードをもう一度端末に接続し、検証してみた結果、どうやら最終ノードはオフライン状態でロックされている可能性が高いことが判明した。つまり、最終ノードへ到達できたとしても、中身を開くには特定の外部キーが必要らしい。そのキーは、地上の通信衛星ネットワークと連動している可能性が示唆されていた。
「衛星ネットワークか……」
人間が消えたこの世界で、上空の衛星がまだ残っているのだろうか? 何百年も前の衛星なんて、もう軌道上で漂う宇宙ゴミかもしれない。でも、もしそれが生きているか、あるいは復元可能なら、最終ノードはそこからの鍵データを待っているのかもしれない。
奥の暗闇を進んでいくと、濁った水たまりにぶつかった。地下水が溜まっているらしい。仕方なく遠回りをする。微かな傾斜を辿ると、狭い側路が見えてきた。そこには「Maintenance Exit →」と書かれた消えかけの標識がある。
エレベーターシャフトに直接行くには水没区画を通るしかなさそうだが、水没は厄介だ。そこで、あたしは一旦地上へ戻ることを考える。メインタワーへ直行するのではなく、衛星ネットワーク再起動の手掛かりを探さなければ無意味だ。地下で彷徨うより、地上で衛星制御キーや発射施設の残骸を探したほうが早いかもしれない。
「一度引き返そう……」
低くつぶやく。人間のいない世界で独り言を言う癖は、今さら止められない。
標識に従って進むと、斜めに傾いた非常用梯子があり、それを登れば地上近くへ出られそうだ。
頭上から微かな光が差し込む穴を発見し、前脚と後脚を踏ん張ってよじ登る。こういう垂直運動は苦手だけど、筋力でゴリ押しするしかない。
何度か金属片が落ちてきたが、無事に地上へ這い出た。
出た先は、ひび割れたアスファルトが延々と広がる空間だった。周囲は低層の施設跡が点在し、かつての工業区画かもしれない。データセンターに近づくにつれ、一帯は研究所や発電所、テスト施設などが密集していたようだ。
ここで衛星ネットワークを起動するには何が必要だ? 衛星との通信には高出力アンテナや制御コードが要る。もし衛星が軌道上で休眠状態なら、それを起動する信号を送らなきゃならない。
「このあたりに……ロケット発射施設か、アンテナ群があったはず……」
メモリスティックの古い地図データを思い出す。人間は衛星打ち上げやメンテナンス用の小規模ロケットをこの都市近郊から送っていたらしい。そこには通信制御センターがあり、衛星に向けたコマンドを発行できたとファイルに断片的に記されていた。
つまり、タワーに登る前に、その発射施設や通信コントロール室を見つけ、衛星への起動信号を送る必要がある。最終ノードは衛星からの認証応答を受けて初めてアンロックされる仕組みなのだろう。
あたしは気合いを入れ直し、北西部をさらに外側に向かって探索する決断をした。遠回りになるが、これしかない。
クレーターのように凹んだ広場を横切り、倒れた鉄骨をまたぐ。風が吹き、砂混じりの埃が鼻先をかすめる。舌先で鼻を湿らせ、匂いを探ると、金属臭とわずかなオゾン臭に混じり、微妙な化学薬品の香りが漂っている。発射施設に使われる推進剤の残滓かもしれない。
30分ほど歩くと、荒れ果てたフェンスと倒れた看板が目に入る。かろうじて文字が読める看板には「Launch Facility Sector 2」と書かれていた。
「ここだ……」
タワーから離れた一角でロケットの打ち上げが行われていたのか。通信衛星を打ち上げる拠点だったとすれば、制御キーやコマンド端末が残っている可能性がある。
フェンスの内側へ潜り込み、コンクリートの台座と錆びたガントリークレーンらしき骨格が立つスペースを探る。地面には溶けた金属と、ひしゃげたタンクが残っている。推進剤タンクだろうか。
辺りを進むうち、低い建物が半ば地中に埋まっているのを発見する。ドアには警告マークが残る。おそらく発射管制室に通じる地下施設だろう。
ドアを無理やりこじ開けると、中は暗闇と腐食した空気が充満している。LEDライトで照らすと、階段を下る通路が出現。地上は風が強くドローンに目をつけられやすいが、地下は静かだ。
慎重に降り、コンクリ壁に囲まれた小さな制御室に入る。パネル類は埃をかぶり、ほとんどが機能していないようだが、メインコンソールと思われる装置が中央に鎮座している。
コンソールは完全に死んでいるか? あたしはポータブル端末とエナジーセルを取り出し、周囲を確認する。制御室には外部電源接続用のジャックがありそうだ。
ケーブルを噛み合わせ、エナジーセルからコンソールへわずかな電力を送り込むと、かすかにインジケータが点滅する。まだ生きている回路があるらしい。奇跡だ。
数分試行錯誤すると、コンソールの一部メニューを引き出せた。文字は乱れ、エラーメッセージばかりだが、断片的に「Satellite Control」「Comm Link Uplink」という言葉が見えた。
しかし、コマンドを実行しようとすると、認証キーを求められる。「Authentication Required: Insert Launch Key Module」
ランチキーモジュール? 発射キーや衛星コントロールキーが必要ってことか。
辺りの収納棚や床に散らばる残骸を漁る。金属の箱、溶けたプラスチック、配線の山。その中で、片隅に転がる小型の円柱型デバイスに目が留まる。まるで金属のUSBメモリみたいな形状だ。
拾い上げて匂いを嗅ぐ。焦げ臭いが、破損は少ないようだ。表面には「SAT-CONTROL KEY」の刻印がうっすら残っている。
「こいつだな……」
あたしはキーをコンソールのスロットらしき部分に挿し込む。すると画面がちらつき、薄暗いホログラムが浮かび上がる。
“Satellite link initializing… Searching satellites…”
数十秒経過。画面は“Satellite 1… Offline / Satellite 2… Semi-Responsive / Satellite 3… No signal”といったステータスを表示する。
どうやら複数の衛星があったが、ほとんどが死んでいるか応答なし。唯一「Satellite 2」が半応答状態らしい。再起動コマンドを送るには、追加のパワーが必要だ。
あたしはエナジーセルの出力を最大にしてコンソールへ供給する。ファンの軋み音が地下室に響く。
“Attempting Satellite 2 reboot. Please wait…”
この間、外で小さな振動音を感じた。耳を立てる。遠くでモーターが回るような響き。ドローンだ。地上で活動中のドローンが、発射施設跡に興味を示しているのかもしれない。
早く終わってくれ。
“Reboot signal sent. Awaiting response…”
しばらくして、画面に変化があった。
“Satellite 2 partial boot confirmed. System key updated.”
そこから鍵データが端末に流れ込む。これで最終ノードのロックを解くための衛星キーは得られたかもしれない。
ほっと息をつく暇もない。階段から「ピッ…ピッ…」という電子音が聞こえる。絶対ドローンが侵入してきた。
あたしはポーチを急いで閉じ、キーを回収し、コンソールからケーブルを外す。
武器らしい武器はないが、スタンバトン代わりのツールがある。先にドローンを仕留めた時のエナジーセルはもうコンソールに使っちゃったが、少しは残量がある。
階段の上から赤いLEDライトが揺れ、ドローンが降下してくる。そいつは前回よりも武装が強そうな気配。アームが二本ではなく四本あり、その先端に何か銃口のようなパーツが並ぶ。
「やっかいね……」
ここは狭いから迂闊に動けないが、逆に近接戦ならあたしの筋肉で対抗できる可能性がある。
ドローンがこちらを発見したかのように、アラート音を鳴らす。
ブシュッ!と圧縮ガスを噴く音。金属弾かスパイク弾を発射する武器かもしれない。あたしは即座に横に飛び、コンクリ壁に体を押し付けて弾道を避ける。弾が壁を抉る鋭い音が響く。
近寄ってくるドローンに向かい、ツールを構える。喉から低く唸る声を出して威嚇するが、機械にそんなもの効かない。ただ、自分自身に気合いを入れるためだ。
ドローンが狙い直そうとアームを回転させた瞬間、あたしは足で床を蹴り、体当たりするように飛び込む。
ガンッという衝撃。ドローンは浮遊しながら後退するが、キャタピラ式ではなくホバリングタイプらしい。アームがブンと振られ、何かが首元を掠める。痛みはないが、毛がむしられたっぽい。
次の瞬間、あたしはスタンバトンもどきのツールを振り下ろし、ドローンのセンサー部分を叩き潰そうとする。
だが、相手は予想以上に俊敏で、アームでツールを弾き返してきた。キーッと金属音が耳を刺す。
焦ってはいけない。この狭い室内での戦闘は相手にも制約がある。ドローンはホバリングを維持しつつ、天井や壁にぶつからないよう制御しているはず。
あたしはわざとコンソールの反対側へ回り込み、ドローンがこちらを狙おうとした瞬間、天井に突き出た鉄筋の下へ誘導する。
やっぱり天井が低い。ドローンが上昇して距離を取ろうとした瞬間、鉄筋にアームが引っかかり、姿勢が乱れる。
「今だ!」
あたしは一気に懐へ飛び込み、センサーアレイへ牙を突き立てる。金属の味が口に広がり、火花が散る。苦い。だがドローンは制御不能になり、アームが空回りする。
ツールで内部配線を引きちぎり、ようやくドローンは力を失って床に落ちる。
ハァ、ハァと荒い息を吐く。火花で鼻が痛い。
とりあえずドローンを倒したが、これが一機だけとは限らない。長居は無用だ。
あたしは階段を駆け上がり、再び地上へ。フェンスを潜り抜け、瓦礫越しに発射施設を後にする。
衛星キーを手に入れた今、あたしは最終ノードを解放する条件を揃えつつある。あとは、タワー地下4階にあるエレベーターシャフトから上層階へ登り、最終ノードに直接アクセスするだけだ。
ただし、ドローンはますます手強くなっている。中央タワー周辺では、さらに強力な防衛メカが待ち受けているかもしれない。装備を強化する必要があるだろう。
ポーチを揺らし、フィルターや光通信モジュール、ポータブル端末を確認する。何か防御策は立てられないだろうか。たとえば、エナジーセルを使って簡易的なEMPを起こせば、ドローンの電子系統を一瞬麻痺させることができるかもしれない。
だが、考えるのは後だ。まずは安全な場所で一息つきたい。
周囲を見渡し、半倒壊した小さな建物へ身を潜める。今日はこれでもう充分危険を冒した。衛星キーを手に入れたのは大きな前進。
最終ノードで、protoCROWの全貌が明らかになる。その瞬間、あたしは自分が何者なのか、何をするべきなのかを理解できるはず。それが不都合な真実であろうと、あたしは真っ向から受け止めるつもりだ。
夜の訪れを待つ間、あたしは唸るような低い呼吸を整え、外の風音を聞く。世界は相変わらず乾いて冷たいが、目的を持つことで、孤独な歩みは意味を帯びてくる。
明日、再び地下へ潜り、タワーを目指す。その先で待ち受ける戦いに備え、あたしは頭の中で作戦を練る。頑丈な首筋と強力な脚力が、必ず生き延びる助けになってくれるはずだ。
――第6章、了。