【第3章】
曇天の下、あたしは北西へ向かう足を止めなかった。荒れたコンクリの大地を踏みしめるたび、首輪に揺れる小さなビーコンがカチャリと微かな音を立てる。拾ったフィルターや部品類を抱えたポーチがずっしり重く、背筋の筋肉を意識せざるを得ない。あたしは体格がでかいメス犬、筋肉がついてる分、ある程度の重量は平気だけど、長時間の歩行は地味に疲れる。
周囲は都市の廃墟が徐々にまばらになって、地平線には砂のような色の荒地が広がり始めていた。コンクリートと鉄骨の名残が消えかけ、かわりに砂混じりの土と、折れたパイプ、砕けたケーブルの切れ端みたいなものが散乱している。どうやらここは、かつて大型輸送車両が行き交っていた物流ターミナルの近辺らしい。データセンターを目指すなら、このまま北西へ抜けるには、かつての高架輸送路や貨物倉庫群を迂回する必要がある。
遠くには巨大なクレーンのアームのような骨組みが傾いているのが見える。きっと昔はあれでコンテナを積み降ろししてたんだろう。今じゃ、ただの鉄屑に等しいけど。
あたしは鼻先を上げ、風の匂いを嗅ぐ。乾いた空気の中に、淡い鉄錆とわずかなオゾン臭が混じっている。オゾン臭ということは、どこかでまだ通電している回路が放電したり、古い機械が稼働しているかもしれない。ドローンがいる可能性を考えると、緊張感が増す。
このあたりで一度、休憩を挟みたい。できれば、少しでも風雨を凌げる屋根の下がいい。探し回ると、半分崩壊した小型の倉庫跡があるのに気づいた。コンクリ壁が斜めに傾いて屋根の役割を果たしている。内部は空洞で、特に目ぼしいものはなさそうだが、休むには十分。
あたしはそこに身を収め、ポーチを外し、中身を確認する。給水プラントで手に入れたフィルター、ビーコン、マイクモジュール――まだ有効活用できてないけど、後でまとめて工夫するつもりだ。喉が渇いたが、水分はほとんどない。少し唾を飲み込み、落ち着く。
「もう少しで、あのデータセンターに近づくはずなんだけどね……」
自分に言い聞かせるように呟く。外を見ると、雲は厚く、日差しを感じない。時刻の目安が難しいが、そろそろ夕方に差し掛かってる気がする。ここで一夜を過ごしてもいいが、まだ明るいうちに前進した方がいいかもしれない。何せ、あのビーコンやフィルターを解析して、protoCROW計画の秘密を紐解くのが当面の目標だし、足止めは面倒だ。
休憩を終え、再び歩き出す。倉庫を出ると、何かの振動音が微かに地面から伝わってきた。鼻をひくつかせ耳を立てるが、風が吹くと音は流れてしまう。気のせいかと思い、そのまま前進すると、突然、バチッとした静電気的なパルス音が耳に届いた。
警戒して辺りを見回す。低い瓦礫の山、その向こうに、錆びついた鋼鉄のフレームで囲まれた空間がある。輸送路の一部か、大型プラットフォームかもしれない。あたしは慎重に近づき、物陰から観察する。
そこには、独特な形のドローンが転がっていた。キャタピラ式の底部に、アームが2本、上部にはセンサーアレイらしき球形部分。全長は1メートル強、あたしよりちょっと小さいが武装しているように見える。
壊れて止まってるのか、起動中なのか判断がつかない。LEDらしいランプは点いてないが、さっきの放電音が気になる。
あたしは頭を低くして一歩踏み出す。その瞬間、ドローンのセンサー球がわずかに回転し、金属音が響いた。
「ヤバ…」
反射的に身を引くが、ドローンは起き上がり、キャタピラで旋回し始める。あたしを発見したのか? 球体センサーに赤い瞳のような光点が灯る。
静寂を破ったのは、ブンッというエネルギーチャージ音だった。ドローンのアームの先端から眩い青白い光が一閃し、地面の砂埃を炸裂させる。衝撃で石片が飛び散り、あたしは慌てて瓦礫の裏へ飛び込む。
「ちょっ、いきなり撃ってくんなよ!」
そんな文句を言っても仕方ない。相手は自律警備ドローン。旧世代のプログラムで、侵入者を即排除するようになっているのかもしれない。
あたしは心拍数を上げながら周囲を見回し、使えるものを探す。背中のポーチには何も武器らしい武器はない。あるのは工作用ツールやフィルターだけ。だが、首輪に溶接して作った簡易スタンバトン代わりの棒がある。あれで直接殴っても通用するか? 相手は金属だぞ。
ドローンは早速もう一発エネルギー弾を放ってくる。ビシッと閃光が走り、あたしの隠れた瓦礫の縁が溶けるような焦げ臭い匂いがした。こりゃまともに食らったら痛いどころじゃないな。
直接突っ込むのは自殺行為。何かトリックを使わないとダメだ。
あたしは後ろ足で地面に転がってる鉄板を引き寄せる。薄い金属片だが、多少の反射くらいはできるかもしれない。次に、さっき拾ったビーコンに目を落とす。ビーコンは何らかの周波数を発信している装置だったが、配線次第でジャミング装置として使えないかな?
咄嗟のアイデアに任せ、ポーチから工具を口で取り出し、ビーコンのカバーをこじ開ける。基板が剥き出しになり、チカチカするLED。周波数発生用の小さな発振モジュールがある。これを強制的にオーバードライブさせれば、強い電磁ノイズが出るかもしれない。ただし故障覚悟だ。
ドローンが回り込もうとしている音が聞こえる。あたしは急いでビーコンの調整をする。噛むようにして基板の端子を歯で曲げ、工具で回路をショートさせる。ブツッという火花が散り、ビーコンが高周波なノイズを発し始めた。
「よし、いけ!」
ビーコンを瓦礫の山の上に放り投げると、チリチリした金属音が周囲に響く。ドローンが反応するか? センサーをノイズが攪乱してくれることを期待する。
すると、ドローンが一瞬迷ったように旋回を止め、センサー球を振った。赤い光が揺らめき、エネルギー兵器の照準が外れた一瞬を見逃さない。
あたしは低姿勢でドローンの背後に回り込み、首輪のスタンバトンで思い切りアーム部位を横から打ち据える。ガンッという手応え。鋼鉄の関節がずれるような嫌な音がした。ドローンは高周波の悲鳴を挙げ、姿勢を崩す。
もう一撃。今度はセンサー球だ。思い切りスタンバトンを振り下ろすと、バキッとセンサーアレイが砕け、赤い光が消えた。ドローンはわずかにキャタピラを回し、空撃ちのエネルギー弾を放とうとするが、ノイズと損傷で正常な狙いがつけられない。ビームは斜め上に逸れ、鉄骨を融解させてしまう。
この隙にドローン本体の制御ユニットへ止めを刺す。頭突きのように突進し、ドローンのボディを横転させる。でかい筋肉と体重が役立った。ドローンがひっくり返り、下側の回路が露出。そこに金属片で一撃加え、内部配線を引きちぎる。
「はぁ、はぁ……」
ドローンは動きを止めた。鋭いエネルギー兵器を積んだこいつは、あたしを一撃で消し飛ばすこともできただろう。危なかった。でも勝った。
あたしは荒い息を整え、ドローンをまじまじと見る。こいつの内部には使えるパーツがあるかもしれない。特にあのエネルギー兵器のパワーセルは貴重だろう。適度な電力源になるかもしれないし、簡易バッテリーとして利用できる。
ドローンのアーム部位を引き剥がし、内部を覗く。砕けたセンサー素子、溶融しかかった回路。だが、球根状のカプセルに収まった高密度エナジーセルがまだ無傷で残ってる。古いけど、こういうセルは一度充電されれば数十年は放電しているらしい。
あたしはセルを抜き取り、ポーチへ収納する。これは大きな戦果だ。ビーム兵器そのものを修理して再利用するのは難しいが、セルがあれば、後でレーザーカッターやEMP生成用の電源に流用できる。
戦いが終わり、辺りは静寂に包まれる。ビーコンはノイズを出しすぎてもう壊れたか、ぴたりと沈黙している。まあ、使い捨てになってしまったが仕方ない。
ただ、喉が痛む。戦闘中に舞い上がった粉塵を吸ったせいか、咳き込みそうになる。慎重に呼吸を整えて、周囲に新たな脅威がいないか確認する。大丈夫そうだ。ドローンは単独行動だったらしい。
あたしは背中の重量が増したポーチを背負い直し、再び歩き出す。戦闘後の疲労がじわじわと体に染みる。できれば今日は安全な隠れ家を見つけて寝たい。
少し先に、古い看板が倒れている。読めるか? 近づくと、錆びと苔でほとんど判読不能だが、大きな英字と数字、「TRANSIT HUB 17」とかそんな風に見える。ここはかつて17番目の輸送拠点だったんだろう。頭上には、倒壊した高架路が影を落としている。
その高架橋の下は比較的風が弱く、瓦礫が陰になっている。休めるかもしれない。あたしはその下に潜り込む。
足元は砂と小石だが、妙な骨のようなものが転がっている。動物の骨か? あるいは崩れたパイプか判別がつかないほど風化している。とりあえず蹴散らしてスペースを確保する。
今日はこれ以上進むのは無理だ。疲れた身体を休め、明日の朝、また出発しよう。あのデータセンターまではまだ距離があるが、エナジーセルを手に入れたことは大きい。これで解析装置や暗号解読用のコンピューティングユニットを起動できる可能性が高まる。
「protoCROW……」
その言葉をまた呟いてみる。何者だったんだろうね、あたしは。人間が作り上げた犬型サイバネティック生物、戦闘支援ユニット、もしくは特殊な調査犬か。記憶にはほとんどないが、データセンターで暗号化データを解読すれば、もっとはっきりするはずだ。
あたしは尻尾をゆるく振り、静かに横になる。空気は冷え、夜は近い。今は休むとき。
低く息を吐き、目を瞑る。
……夢のような映像が、不意に頭をよぎる。白いタイル張りの部屋、人間たちが何かの実験装置を囲んでいる。巨大なガラスチューブの中で、液体に満たされた中に横たわる生体組織。その横には文字が浮かぶ。「CROW_Prototype」「Canine Resource Operative Weapon」そんな具合の単語断片が点滅している。そして、笑う人間たち。
「あたしは、武器として生まれたの?」
誰に問いかけるでもなく、心の中で響く疑問。もしそうなら、あたしは今、ただ生き延びるためにパーツを集め、廃墟をさ迷っているだけ。だが、もともとそう設計されたとしても、今はあたしが自分で生き方を決められる。人間がもういないこの世界で、何が正しいかはあたし次第だ。
静寂が広がり、睡魔がゆっくりとあたしを包む。
遠くで風が唸る。鉄骨同士が擦れ、かすかな金属音を響かせる。ドローンは沈黙し、バイオメカネズミは見当たらない。あたしはただ一匹、荒野の陰で丸くなり、明日へのエネルギーを蓄える。
強い前脚、がっしりした胸板、そして首には加工ツールとパーツ。こうしてあたしは、筋肉と知恵を頼りに前へ進んでいく。この先、何があろうと。
夜が深まる。明日になったら、また歩き出す。protoCROWの真実に近づくため、データセンターを目指して――。
――第3章、了。