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【第10章】

 薄曇りの空が再び視界に広がる頃、あたしはタワーの最上層近くのバルコニーに立っていた。強烈な戦いを潜り抜け、地下や廃墟の迷路を渡り、ついに最終ノードを制したあと、コア内部の制御コンソールからドローンたちを指示して通電ルートを復旧し、塔の一部エレベーターを短時間だけ動かすことに成功した。

 それで上がってきた先が、この高所のバルコニーだ。かつては人間たちが眺望を楽しみ、都市を見渡していたのかもしれない。今はただ、灰色のビル群の骸が地平線まで続く風景が広がるだけだ。


 風が耳元で低く鳴る。眼下には、さっき再プログラムしたドローンたちが律儀にパトロールを開始し、攻撃モードを解除して徘徊している。あたしが与えた新しい指令は、「資源回収」と「基礎インフラの修復」だ。実用的な機械部品を集め、倒壊しそうな建造物を少しでも安定させ、汚れた水をろ過し、再利用可能な素材を倉庫に集める。単純なタスクだけど、一歩ずつやるしかない。


 protoCROW計画は、本来なら人間の帰還を支援するためのものだったのかもしれない。だが人間はいない。もう戻ってこないかもしれない。その代わり、あたしには大量の知識が残された。気候制御施設や発電所、データセンター間通信といった技術的概要を理解した。もちろん、全部を復旧するには想像を絶する時間と労力がかかるだろうけど、可能性はゼロじゃない。


 「よし、やるしかないね…」

 小声でつぶやく。大きな体を少しほぐし、尻尾を軽く振る。痛む肩や、焦げた毛はまだ完治しないが、そのうち休息と治療で回復する。あたしは頑丈に作られているし、ここのラボで簡易的な医療設備を起動できるかもしれない。


 バルコニーを後にし、内部のフロアへ戻る。データコアレベルには、いくつかのバックアップ端末が並んでいる。それらを利用して、衛星ネットワークから気象データや地図情報を得ることができる。すでに衛星キーは取得済みで、一基の衛星は半ば生きている状態だ。この衛星を介して、辺りの地形をスキャンし、どこで資源が採れるか、どこの水が汚染度が低いかなど、調べられそうだ。


 あたしは前脚で端末のスイッチを押し、ホログラムマップを浮かべる。灰色と茶色の大地が広がり、点在する廃墟がマッピングされていく。汚染度の数値、風力タービンの損傷状況、太陽光パネルの残骸が少しは残っている場所の座標。これらをドローンに渡せば、収集と再利用が進むはずだ。


 犬がこういう知的なことをするなんて、かつての人間は想像しただろうか? いや、人間はまさにそれを狙って、あたしを含むprotoCROWユニットを生み出したんだ。高知能と強靭な身体を併せ持ち、対処不可能な環境で自律的に行動できる生体兵器… でも今や、兵器というより「管理者」や「開拓者」に近い存在になっている。


 ドローンへの指令を端末経由で送信する。

 “Resource Pickup: Sector 3, re-route power lines.”

 文字がホログラムに走り、あたしは舌で唇を舐める。妙な満足感がある。任務を与えることで、この死寂な世界にわずかながら秩序が宿り始める。


 それでも、この計画がどこまでうまくいくかはわからない。長年放置された機械がどこまで復元可能なのか、自然環境がどう変化しているのか、未知の生物がいるのか…すべて謎だ。

 だが、あたしは孤独じゃない。今はドローンがいるし、いつか同種の改造生物に巡り会えるかもしれない。最終ノードには、protoCROW計画に類似した試作品データが多く残っていた。別の都市に、似たような計画があったのかもしれない。


 あたしはデータを検索し、「関連計画一覧」を開く。

 “Proto-LUPUS (Wolf-based unit) - status unknown”

 “FELIS-Scout (Feline reconnaissance) - status unknown”

 “Urso-Defender (Bear-based heavy unit) - status unknown”

 同系統の改造生物が、他都市や遠隔施設に投入されていたようだ。彼らもまだ生存しているなら、いつか遭遇する可能性はある。

 その時までにこの地域を少しでも整え、安定した小さな生態系を構築しておくと、彼らと協力できるかもしれない。孤立した都市の一角で、生き残った生物同士が手を組み、より良い環境を作る――そんな未来像が頭をよぎる。


 床に座り込み、首輪の工具を点検し、ポーチの中身を整理する。今後はあまり無謀な戦闘はしたくない。ドローンを再プログラムして守りではなく生産的な活動をさせることで、危険な対立は減らせる。EMPトラップやジャミング装置は今後、ドローン同士やシステム同士の調整に使えるかもしれない。暴走したサブシステムをコントロールする手段として、攻撃用より管理用ツールに発想を切り替える。


 外には風が唸る。都市の向こうには、傾いた通信タワーがまだ残っている。そこには追加のデータが保管されているらしい。時間が経てば、あたしはそこまでドローンを派遣し、通信モジュールを回収させることもできる。

 ゆっくりと数日、数週間かけて、情報網を再生できれば、気候制御施設へのアクセスも夢じゃないかもしれない。そうすれば、植物の自生地域を拡大し、水質を改善し、ほんの少しずつでもこの死んだ世界を再生の軌道に乗せられるかもしれない。


 それは途方もない計画だ。あたし一匹で、できるか? だが、protoCROWはもともと不可能を可能にするために作られた存在。筋力と知性、技術への本能的理解を備え、孤独に耐え、長期的な戦略を練ることが想定されていた。今や人間がいない以上、その能力を自分の目的、つまり世界の再生と秩序の確立に注げる。


 コアルームへ戻って、さらに深いデータにアクセスする。

 衛星ネットワークを通じて、他地域の断片的信号を探す。大半は沈黙だが、ときおり微弱なビーコンが拾われる。遠方の発電所が低出力モードでいまだ稼働している? それなら電力の供給源として使えるかもしれない。

 その情報をドローンに転送しようとするが、距離がありすぎる。中継ポイントが必要だ。次にやるべきは、中継タワーを修復して通信範囲を広げることだろう。


 考えるべきことは山のようにある。だが、焦らなくていい。あたしは長い時間を手にしている。人間は百年単位で見ていたが、あたしは彼らが設計した耐久性ある生体構造を持ち、何十年、あるいはもっと長く生きられるかもしれない(改造されているから寿命すら定かじゃない)。

 ゆっくりと、着実に一歩ずつ前進すればいい。


 それに、この世界は静かであるがゆえに、混乱した政治的対立や大量の敵と戦う必要はない。ドローンはあたしの指示に従う、単純なロジックで動く存在。もし彼らが暴走すれば、またEMPや再プログラムで対処するだけだ。仲間を増やすことができれば、もっと安定した作業もできるだろう。


 視線を広いホログラムマップに向け、重要拠点に目印を付けていく。

 - 給水プラント跡:フィルター強化し、安全な水を確保しよう。

 - 発射施設跡:衛星キーがあった場所。今後も衛星リブートに必要な部品があればそこから調達できる。

 - 工廠跡:ナノマシンが残っているかもしれない。精密部品を作ればドローンの性能改善も可能。

 - データセンター:もちろん、ここが拠点だ。最終ノードはあたしの本部になる。


 この世界で、あたしは「なぜここにいるのか」を知った。元来、人間に仕える戦術アシスト生物だったあたしが、今は人間の遺志を越えて、自分自身の目的を打ち立てようとしている。その目的は、単純な生存を超え、この死んだ世界に小さな活力を取り戻すことだ。


 外へ出て、ビルの合間から空を見上げる。雲間に少し光が射し、瓦礫に淡い影が落ちる。

 この曇天の下、何十年後かに緑が増え、僅かでも生態系が息を吹き返し、あたし以外の生命が活動する姿を想像する。そこには自由な存在としてのあたしがいる。ドローンたちは監視者や攻撃者ではなく、サポーターや労働者となり、必要に応じて新たな機械を組み立てる。もし改造動物が他にも生き残っていれば、彼らと手を携えて、失われた人間文明の残響を素材に新しい秩序を作れるかもしれない。


 「protoCROW… 最終的には、この計画が目指したこと以上のことを、あたしが成し遂げるかもしれないね。」

 呟きは風にかき消される。けれど、その意思はあたしの胸に燃えている。


 昼下がり、あたしはタワー内部をもう少し探索する。

 朽ちた倉庫には、使えるケーブルやアクチュエータが眠っている。以前に見つけたような加工ツールも、より精度の高いものが手に入るかもしれない。

 生体改造施設のレポートを読めば、あたし自身の身体を多少メンテナンスするヒントが得られるかも。栄養源はどうする? 植物の種子や地下貯蔵庫の缶詰、あるいは合成食料製造装置が残っていれば、食料問題も解決できる。

 世界には無数の課題があるが、あたしはそれらを一つずつクリアしていくことができる。


 ここまでの旅を振り返る。

 初めはただ廃墟をさまよい、部品を漁って生き延びていただけ。protoCROW計画のファイルを見つけたときは、何が目的なのか分からず、ただ謎を追っていた。

 給水プラント跡、輸送拠点でのドローン戦、データセンター地下トンネル、衛星キー探し、タワーへの潜入。そして最終ノードでの激戦。

 あの時感じた孤独、恐怖、怒り、好奇心。すべてが今、この新しい意志に収束している。あたしは生き残っただけじゃない、目的を得たんだ。


 首輪の補強ファイバーを少し緩め、身体をなだめる。傷は治療が必要だが、このデータセンターには医療関連データもあるはず。ドローンに指示して簡易医療セットを探させれば、消毒液や包帯代わりになる布素材くらいは見つかるだろう。


 数時間後、あたしはデータコアからダウンロードしたテキストを流し読みしながら、目の前のホログラムに次々と命令キューを打ち込む。ドローンが遠方の資源ポイントへ出発する映像がカメラフィードに映る。彼らは黙々と残骸を集めている。

 いつか、再生が進めば、瓦礫を撤去し、安全な小さなスペースを確保できる。その頃には単なるサバイバルじゃなく、創造や工芸、もしかしたら動物たちとの交流なんて夢想も浮かぶかもしれない。


 「人間はいない世界、でもその知識と技術が残っている。あたしはその継承者。」

 胸中でその言葉を何度も繰り返す。

 人間が望んだかもしれない未来を、もう誰も見届けることはない。しかし、あたしが見届けられる。あたしはこの世界に存在する唯一の意志として、犬の足で、筋肉と知恵で、時間をかけて変化を起こせる。


 夕暮れに近づくと、外の空は相変わらず灰色。だが、あたしはその灰色に微かな希望の色彩を見出している。

 もう戦うだけじゃない。今後は作り上げる側に立つ。protoCROW計画が与えた知能と力は、破壊ではなく再生のために使われるべきだ。


 「行こう…」

 あたしはタワーを降り、地上に戻ることにする。遠方の壊れた風力タービンを修復して発電の一歩を踏み出そう。清水化できる給水プラントを整備すれば、いつか緑を植えることだって可能だ。

 いや、焦らないでいい、一つずつ実行する。ちょうどドローンたちが資源を集めているから、その蓄積を待ってもいい。計画的に動けば、必ず前進できる。


 あたしはポーチを揺らし、首輪にある工具を確認する。この象徴的な工具たちは、あたしがこの世界で生きるための武器であり、道具であり、希望でもある。

 もし改造動物に遭遇したら、一緒に協力を持ちかけてみよう。戦闘用に作られた仲間なら、対立せず共に築ける道があるはずだ。


 タワーを抜け、廃墟の通りを歩く。前よりも少し胸を張り、周囲を観察する目は希望に満ちている。ドローンが低空を飛び、あたしへ報告を送る。

 “Metal scrap acquired.”

 “Power line partial route found.”

 着実に一歩踏み出しているではないか。


 曇天の世界を背景に、あたしは巨大なメス犬として、強靭な肉体と知性を備え、自らの意思で未来へ進む。

 protoCROW… その名はもう過去の設計図だけの存在じゃない。今は新しい実践の時代だ。


 あたしは静かに笑い、荒れ果てた大地を踏みしめる。ここから始まる新たな旅は、もう謎解きではない。再生と創造の旅だ。

 決して簡単ではないが、あたしは屈しない。筋肉と知恵を頼りに、ドローンを従え、この世界に新たな秩序と命の気配を宿らせていく。


 そう、protoCROWとして生まれたあたしは、今、自分の物語を自分で紡ぎ始めた。人間のいない世界で、一匹の犬が、知識と意志を手に持ち、ゆっくりと未来を変えていく。


――第10章(完)。

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