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【第1章】

 黒金色の毛並みが鈍い光を反射する薄曇りの夕刻、あたしはまたあの工廠(こうしょう)跡地に戻ってきた。名前はクロウ。巨大な雌の大型犬だ。体高は1メートルを超えていて、重量も100キロを優に超える。元々こんな体躯に生まれたわけじゃない。人間がまだこの地上に暮らしていた頃、連中がどんな意図であたしをこんな風に改造したのかは分からない。でもそのおかげで、あたしは強靭な筋肉と鋭い嗅覚、そして妙な知識欲を抱えて、こうやって廃墟を彷徨している。


 周囲には瓦礫が積み上がり、むき出しの鉄骨がビルの骨格として立ち並んでいる。ビルというよりは錆びた鉄骨の骸だ。コンクリートはかさぶたのように剥がれ落ち、蔦が内部へ侵入し、風が吹くたびに鉄片が微妙な共鳴音を立てる。この世界は乾いている。水分を豊富に含むものなんて、この辺りにはほとんどない。


 あたしは鼻先を地下へ続く半壊れのシャッターへ近づける。これは昔の格納庫の扉らしく、リレー式のロックが壊れて半開きの状態。その隙間から、かすかな電気オゾン臭が漂ってきた。こういう匂いがするときは、まだ生きてる機械が近くにある証拠。あたしが欲しいのはまさにそういう場所だ。


 工廠の内部へ足を進める。床には散乱した配線ケーブルや崩れ落ちた作業台、割れた強化ガラス板が転がっている。所々には動かないドローンやロボットの残骸が横たわっていた。人間が消えたあと、これらの機械は100年以上、そのまま放置されてきたんだろう。何かの役目を終え、メンテもされず朽ちていくしかなかったわけだ。


 あたしはこういう場所で、まだ使える部品を探す。特に欲しいのは、高出力リチウムエナジーセル、精密加工用のナノマシニングツール、あるいはあたしの工房で待っているドローンアームに使えそうな小型アクチュエータ。鼻でケーブルをどけ、硬化プラスチックの蓋を噛んでこじ開ける。中は空っぽ。まぁ、そう都合よくはいかない。


 次に目をつけたのは半崩壊の制御コンソール。斜めに傾いたパネルには、はがれたタッチディスプレイの跡とLEDインジケータの痕跡がある。これをひっくり返せば、その下に小型サーバーユニットが隠れている場合があるんだ。


 前脚で器用にパネル端を押し上げる。ギシリという音とともにパネルがずれる。その下には黒い金属ケースが収まっていた。光沢はなく、密封されたままっぽい。噛んで引っ張るには硬いから、首輪に固定した簡易工具を使う。ドリルビットとスパナ的なパーツを組み合わせた自作ツールを差し込んで力を込めると、ケースが開いた。


 中には防水処理された電子基板と古い半導体メモリスティックが挿さっている。古い規格だが、まれに重要なデータが残っている場合がある。あたしは歯でそっとメモリスティックを引き抜き、首に巻いた合成繊維ポーチにしまった。


 この廃墟に潜り込むのは危険でもある。都市のあちこちにはパトロールする自律ドローンがいる。人間がいなくなったあとも、アップデートされず放置された警備システムは、時にランダムな挙動を見せる。あたしを敵とみなすか、それとも無視するか、読めないんだ。なるべく早く切り上げたい。


 さらに奥へ進むと、大型の産業用3Dプリンタのフレームが見えてきた。樹脂タンクは干上がり、ノズルは固まり、もう使い物にはならないだろうが、内部には精密なボールねじやガイドレールがあるかもしれない。それさえ手に入れば、あたしの工房にある旧式旋盤をアップグレードできる。


 プリンタのフレームを前脚で押し、倒れないか確かめる。首輪の工具を使ってボルトを緩める。犬の身体は不器用だけど、慣れればある程度は分解作業もできる。数分格闘し、ガイドレール一本を抜き出すことに成功した。


 「ふぅ……」

 息を吐いた瞬間、かすかに遠方で金属音が反響したような気がする。耳を立てると、弱いモーター音のような音が聞こえる。ヤバい、誰か――いや何かが近づいているかもしれない。


 あたしは素早く物陰に身を潜める。暗く、視界は悪いが犬の目なら多少は慣れている。そっと様子をうかがうと、床のケーブルを踏むような小さな音と、点滅する赤いLEDライトが見えた。小型の点検ドローンだろうか? 猫くらいの大きさで、車輪か多脚で移動するタイプかもしれない。


 じっとしていれば、通り過ぎるかもしれない。だが、もしあたしを感知して上位の武装ドローンを呼ばれたら面倒だ。引き返そうと一歩踏み出した瞬間、ケーブルがズザッとずれる音を立てた。クソ。


 赤いLEDがこちらを向く。「ピッ」とセンサーの起動音。あたしは走ることにした。


 全力疾走で地下シャッターを抜け、地上へ飛び出す。空は灰色で、廃墟のタワーが黒い影のようにそびえる。遠い昔は電気が満ち、人間たちが忙しく行き交い、犬は人間と寄り添って暮らしていたらしい。でも今は違う。あたしは一匹で走る。


 後方を振り返る。点検ドローンが追ってくる気配はない。あるいはその場で上位機を呼びに戻ったのかもしれないが、いずれにせよ離れた方がいい。


 あたしは日々、こうして残骸を漁り、部品を集め、自分の拠点へ持ち帰る。拠点は朽ちたデータセンタービルの一角を利用した手製の工房だ。


 考えながら歩く。さっき手に入れたメモリスティックには、どんな情報が残っているだろう? 人間が遺した地図やログ、「最終ノード」に関するヒントがあるかも。「最終ノード」――すべてのデータバックアップが眠ると言われる伝説みたいな存在。そこには改造動物、つまりあたしみたいな存在に関する特別なプログラムが残されているらしい。


 「あたしは、なぜこんな風に作られたんだろう……」

 問いかけても答えはない。


 工房へ戻る道、かつて大通りだった場所を横切る。路面はひび割れ、自販機の残骸や朽ちた看板が転がっている。遠くの風力発電用タービンは傾き、止まったままだ。メンテナンスなしで動くはずもない。


 到着した工房は、ビルの地下貯蔵庫みたいな空間だ。あたしがコツコツ整備し、簡易なトラップとカモフラージュを施してある。内部には拾い集めた太陽光パネル経由のバッテリーもある。


 工具箱、ケーブルリール、半壊れの3Dプリンタ、メタルカッター、粗悪なレーザー刻印機――全部あたしが拾い集めて修繕したガラクタだ。でも、この世界では生き延びるために不可欠な資源だ。


 「さて、解析してみよっか……」

 メモリスティックを慎重に置き、以前確保した小型コンピューティングモジュールを起動する。旧世代の組み込みOSが走り、簡易ホログラムディスプレイで文字を出せる基板だ。電源を入れ、変換アダプタでメモリスティックを接続する。


 青白いホログラムにテキストが並ぶ。破損ファイルが多いが、一部判読可能なものがある。


 “/maps/old_factory_distribution”

 “/log/last_update_122yearsago”

 “/misc/canine_experiment/protoCROW”


 瞳を見張る。“canine_experiment”って、犬に関する実験プログラムか。そして“protoCROW”――あたしの呼び名クロウ(Crow)に似ている。あたしはこれに何らかの関係があるかもしれない。


 ファイルを開こうとすると暗号化キーを要求される。簡単には見せてくれない。暗号化は高度だろうけど、データに損傷があるなら解読のチャンスはあるかも。要はより高性能な計算リソースが必要。そこまでのリソースを得るためには、噂される北西部のデータセンターに行くしかない。危険地帯だけど、高性能メインフレームが残っている可能性がある。


 「protoCROW……」

 その名前を繰り返す。自分の出生や目的、なぜこの世界に生き残っているのか、その手がかりになりそうだ。


 とりあえず、ファイルはローカルにコピーしておこう。後でデータセンターで暗号を解く。あたしは低く唸り、尻尾を微かに揺らす。久しぶりに、わずかながら興奮している。孤独な旅路に目的が浮かんできたから。


 夜が近い。ポーチから今日手に入れたガイドレールやメモリスティック、サーバ基板片を整理する。次に出発するときは、もっと装備を整えなきゃ。強力なドローンに備えて簡易的な防御策を考える必要がある。今すぐは無理でも、強化ファイバーで首周りを補強したり、音波センサーを増やせば早期警戒ができる。


 夜が降りてくる。あたしは工房の奥で丸くなり、呼吸を整える。この世界は冷たく乾いているが、ここは少し風をしのげる。まぶたを閉じると、断片的な記憶――それともただの夢?――が脳裏に漂う。白衣の人間、走り回る犬たち、DNA配列を映すモニター。笑い声とモニター上のコード列。


 「protoCROW……あたしの出生の謎を解くために、最終ノードまで行く。」

 独り言のように低く唸る。その声はコンクリ壁に染み込み、外の冷たい風が音をさらっていく。


 あたしは、世界の残骸の中で、明日からの行程を胸に刻む。孤独だけど、目的がある。これだけでも、生きていく理由になる気がする。


――第1章、了。

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