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私の英雄  作者: 禮矧いう
2/5

2話:書き残したくもないあの日のこと。

少し暴力的なシーンがあります。

英雄譚を語る上で欠かせない存在がある。


「悲劇のヒロイン」である。


残念ながら私、稲葉尤(いなばゆう)のことだ。


もちろん、英雄譚で助けられる対象は「悲劇のヒロイン」に限る必要は無い。けれど、この英雄譚の主要登場人物は彼と私の2人のみなので必然的にそうなってしまう。


自分のことをヒロインと言うのはなかなかこそばゆい。

それに、私の容姿は典型的なヒロイン像とはかけ離れている。


英雄譚のヒロインは、主人公に献身的で、穏やかな、可愛いを具現化したイメージがある。色で言えば、パステルカラーのピンクだ。身長が高かったり、つり目だったりしてはいけない。

要は庇護欲をそそる見た目が必要なのだ。


決して、自分の容姿が劣っていると思ったことは無い。母親譲りの整った見た目をしていると小さい頃から思っていた。しかし、それがヒロイン像と相同性があるかどうかというのは別の話だ。


私はヒロインというより、女騎士タイプの見た目をしている。身長は170近くあって高いし、手足が長い。少しつり目で、大人びた顔つきをしているので、よくOLと間違えられる。

また、色素が薄いからか、やや茶色みを帯びた髪色をしている。それがより、高校生感を消してしまっているんだと思う。


また、英雄たる彼、丹後陽太(たんごひなた)の身長は残念ながら私と同じなので、並んだ時に彼がヒーローで、私がヒロインだとは誰も思わないと思う。


そんなふうに、決してヒロイン然とした見た目をしてはいない私ではあったが、あの日「悲劇」が降りかかった。



私はその日も、酔いつぶれて居間で寝ている母親を尻目に家を出た。もう10時を過ぎているけれど、夜遅くに帰ってきた母親は酒の入ったいびきをかいて寝ている。今日はパジャマまでは着替えられたようだ。すぐそばにキャバスーツが脱ぎ散らかされている。

母の実家でもある古いこの家の玄関の引き戸は開けるときガラガラと大きな音がなってしまう。居間まで、音が筒抜けだけれど、母は起きるそぶりもしなかった。


リュックには夏休みの宿題に必要な青チャートが入っていて、若干重い。陽太が夕方に駅まで迎えに来てくれるみたいなので、帰りに陽太の家でも宿題ができるかと思って入れてきた。


今日も母親の道具を少し借りて化粧をした。大学生の元カレと付き合い始めてから、なんとなく背伸びをして始めた化粧は、別れてからも癖になっている。

服は母がくれたワンピース。若草色でかわいい。

多分母親のお客さんが買ってくれたんだろうと思う。少し思うところは歩けれど、似合うし、物に悪意はないので気に入っている。

私は自分の気持ちと現実のギャップを無視できる女なのだ。


もう別れた元カレにきれいな姿を見せつけたいなんて気持ちはこれっぽっちもない。「もっと、高校生っぽい恰好をすればよかった」なんて思いながら歩き始めたけれど、夏の暑さで汗がしたってきて、関係なかったと思いなおす。


朝涼しいうちに家を出ればよかった。


私や陽太の家がある地区は駅を挟んで学校の反対側にある。多くの生徒が自転車やバス通学している距離だけれど、私は定期代を節約して徒歩通学だ。自転車があれば早く駅まで行けるし、定期があれば快適で勉強しながら通学できたと思う。でも、お金がないんだから仕方ない。陽太は自転車通学なので、帰宅途中で合流すると荷物を前かごに入れてくれる。私もそれを期待して彼の部活が終わる時間少し前まで教室で自習していて、高校から少し離れたところで合流できるように調節した。


私が駅に着くと、元カレはすでに来ていた。

正直、名前も年齢も出身地も確かに覚えているけどここでは伏せておく。


私は元カレの名前を呼んで、気づかせた。

向こうは、嬉しそうな、そうでもなさそうな顔をして右手を挙げて返事した。


「いな」


元カレは私のことを名字の稲葉からとって「いな」と呼ぶ。

私のあだ名くらいはアイツの影を残してもいいと思う。


私はすまし顔で答える。

元カレは分かれる前と変わらずに、大学のサークルの話や友達の話をまくし立てながら、目的地も言わずに歩き始める。


私は黙ってついていきながら、「こういうところが嫌だから別れたのに」と思う。

どうせ目的地も駅ビルのミスタードーナツか、喫茶店だろう。


そう思っていたけれど、元カレは駅から出る。


「あれ、駅ビルじゃないの?」


そういうと元カレは面倒臭そうに


「今日、天気いいしドライブのがよくない?」


私は急だなと思いつつも、せっかくお洒落してきたのもあって、少し乗り気になってしまう。

それに、ドライブだったらお小遣いやバイト代も節約できることに気づく。


「いいけど、そういうのは先に教えてほしかった」


「なんだ、乗り気じゃん。早くいくよ。」


元カレはなんだかへらへらしていて、気に入らなかったので、「ガソリン代出せないけどいい?」とけん制する。


元カレは親に買ってもらったCX-5をよく自慢していた。アイツの実家はずいぶんなお金持ちらしく新車で買い与えられたらしい。我が家とは違う経済状況がうらやましくもない。


車につくと助手席に荷物が置いてあった。「もう別れたんだし、隣に座る理由もないか」と思って後部座席に座る。

いつもなら、横に座れとか、言いそうなものだが、流し目でこちらを見るだけで文句は言ってこなかった。


私は座って足元に荷物を置く、「どこに行くの」と声をかけたけれど、特に返事はなかった。


「私、16時には駅までかえって来たいから。」


元カレは「はいはい」と適当に受け流して、車を出した。


そのあとの元カレは山の方に車を向け始めた。近くの高原には有名なドライブコースがあるのでそこに向かうつもりなんだろう。


私は、元カレから見えないことをいいことに、陽太にLINEを打つ。


『16時には駅に着くと思う』


するとすぐに返信が来て、


『了解。待ってる。』


と連絡がきた。部活中だと思うけれど、連絡を待っていてくれたようだ。


そんなことをしている間に、元カレはハンバーガーショップに車を止めた。

ドライブスルーが混んでいるので、店内で買ってくるという。

私はお腹がすいているわけではなかったので、何もいらないと伝えて車で待つ。

私への相談なしに勝手にお店に入ることも相変わらずだ。


車の中からドライブスルーの列を眺めていると、高校のバスケ部の顧問が部員を乗せて並んでいるのを見つける。


合宿にでも行くのだろうか。


私は後部座席に乗っていてよかったと安心しつつ身を隠す。スモーク入りのガラスに安心する。


別に適当な言い訳はできるけれど、大学生と付き合っている高校生はそんなにいないので奇異にみられるだろう。高校内で特殊な立ち位置にはなりたくない。


ドライブスルーの列から、バスケ部の一団が消えた頃に元カレも戻ってきた。運転席側から飲み物を差し出してくる。


「アイスコーヒー、飲めるでしょ?」


私は「ありがとう」と言って受け取る。

特にドリンクホルダーは見当たらなかったのでコーヒーは手に持つ。

家から歩いてきて、何も飲んでいなかったので、すぐ口をつけた。

喉が渇いていていたからか、コーヒーの味はよくわからなかった。

元カレはすぐに自分の買ってきたハンバーガーとナゲットを食べてしまって、車を出す。


それからも元カレは特に私に話を振ることもなく、地元の友達の話や就活に向けたインターンの話をつづけた。私は気を張っていたはずなのに少し眠くなってしまって、信号で止まったタイミングで半分くらい残ったコーヒーを元カレに渡して前のドリンクホルダーにおいてもらう。


***


この元カレとは内申点稼ぎのボランティアで行った市役所前のゴールデンウィークのミニイベントで出会った。

部活もしていないので、何か課外活動をした方が、国立の推薦入試で有利だと聞いたのだ。


私は受付の手伝いで、彼はダブルダッチのステージと体験で来ていた。受付は初めのころはチラシを配るなんかの仕事があったけれど、昼前になると、やることもなくなって、一緒に受付を担当していた市役所職員のお姉さんが遊んできていいと言ってくれた。

そうはいってもお金もないし、空いているベンチに座ってステージを眺めているときに声を掛けられた。


元カレは私が大学生だと思ってナンパしてきたみたいで、まあ、ナンパ野郎ではあるけれど、市役所主催のイベントに顔を出してるみたいだし、そんなに悪い人じゃないかと思って、翌々週の3回目のデートで海の近くのホットドッグ店まで食べに行った。


ホットドックを食べた後に、砂浜ではしゃぐ様子を見て、付き合ってもいいかと思って、帰り道で告白にOKを出した。


そこから、2週に1回くらいデートをして、少しずつ嫌いになっていった。


軽薄なところはまだよかった。しかし、絶望的に生き方が異なっていた。


真面目な私は、デートが終わったら早く帰りたかったけれど、不真面目な彼は、私を長く拘束しようとした。

毎日課題がある私は、電話を早く切り上げたかったけれど、毎日暇な彼は、毎晩電話をかけてきた。


貧乏な私は、ファミレスやカフェの料金を易々と出せる余裕はなかった。しかし、裕福な家庭で育った元カレは高校生ならそれくらい簡単に出せると思っていた。

貧乏な私は、高校三年間で勉強して、地元の国立大学か県立大学に合格しなければならず、勉強の手を抜くことができない。裕福な家庭で育った元カレは大学なんてどこでも行けたくせに、勉強もしなかったから縁もゆかりもない地方の私立にしかこれなかった。



そんな風に毎回のデートや毎晩かかってくる電話への気持ちや、そもそも生きてきた常識が違うせいで、いろんなことがかみ合わなかった。


最後の決定打は、「夏休みに旅行に行こう。」だった。


旅行なんて人生で3回しか行ったことない。小学校と、中学校と、高校、その3回の修学旅行だけだ。

行けるわけもなかったし、行きたいとも思わなかった。


「お金も出す」と簡単に言われたのにも腹がたった。


別に学生の行く簡単な旅行くらいのお金が出せないわけではない。時々、アルバイトもして、大学の費用を少しづつためている。

でもそのお金をアイツのために使いたくはなかった。


だから、別れてほしいと頼んだ。


***


目を覚ましたら、車は止まっていた。

すぐに、妙な体の重さに気づく。

いつのまにか、シートベルトを外され、後部座席が倒されている。


私は起き上がろうと、腕に力を入れるが、うまくいかずに滑ってドアに頭をぶつける。


フロントガラスには日よけのサンシェードがかけてある、スモークのかかった後部座席からはわからなかったが、運転席側の窓から、森の中に止められていることが察せられる。


運転席側のドアが開いて、元カレが入ってきた。


「クソ、もう起きてんのかよ」


悪態をつく。


意味が分からない。

文句を言おうとして声を上げるけれど、言葉にならない。


うまく、筋肉が動かない。


「まあ、いっか」


元カレはそんなことを言いながら後部座席に乗り込んできて、私の足に触れる。


「おれ、お前みたいな女、マジで好きなんだよ」


そんなことをぶつぶつつぶやきながら、足を伝ってワンピースの中に手を入れる。


気持ち悪い。


内ももを撫でられる。


吐き気がする。


反対側の手で胸を鷲づかみにされる。


「わかってたけど、胸はねえのな」


振りほどこうとして手や足を動かそうとするが、力が入らない。

もう、頭ははっきりしてきているのに、声が出せない。


そうこうしているうちに元カレは女性の部分を下着の上から触り始めた。


私は何度ももがいて、逃げようとした。

少しずつ、少しずつ、体を動かせるようになる。


でも全然間に合わなかった。


「いたい!」


初めての痛みに驚いたのか、私は叫び声をやっと上げることができる。


すると、元カレは驚いたのか、目を向いて、私の頭を殴った。


そこから私は、意識を切り離した。


気絶したわけではない。


でも、自分の体と切り離された。


まず思ったのは、恐怖って容量を超えると、冷静になるんだと思った。

そのあとは、どんどん元カレの声が鮮明に聞こえ始める。


「お前って、俺のことずっと馬鹿にしてたよな」

だって、ただの甘えたガキじゃん。


「勉強とか、受験とか、そんな頑張っても仕方ないだろ」

どっちもあきらめてたやつに言われたくない。


「それよりもさ、こういうことのが楽しいだろ」

楽しんでるのは自分だけだろ、ボケ。


「お前も、いつの間にかよがっているしな」

怖いから、そうするしかない。


「お前みたいに、俺のこと馬鹿にしてても、、、簡単なんだな」

・・・・・・。


それからも、元カレは私に話しかけ続けた。

それは本当に益体もなく、同じことを何度も。

結局、アイツは私が貧乏で非力な女のくせに、自分を馬鹿にして、施しも受けようとしなかったのが許せなかったらしい。


元カレのそんな言葉もどんどん遠くなっていって、後悔だけが残る。


なんで、元カレのわたした飲み物を飲んだんだろう。

なんで、私は別れた男の車に乗ったんだろう。

なんで、私はこの男と付き合ったんだろう。

なんで、私は。


私の人生ってなんだろう。


私に父親はいない。

生まれたときからいない。

母曰く、「ちゃんぽんしてたらできた。よくわからん」という。

ただ、「ゆうはかわいいから、イケメンなやつのだれか」とも言っていた。

そんな、わけのわからない奴が自分の親だと思うと反吐が出る。


母のことは好きになれない。

昔遊んでたんだろうことは明白だし、それを娘の私に隠すそぶりもない。

仕事とはいえ、アルコール依存症気味で、夜中に絡んでくるダメな親だ。

それに、進学に理解がなくて、全然、私の進路を創造もしてくれない。

ああ、自分って一人なんだなって思う。


私のせいで、これからも母には迷惑をかける。

大学に行くお金は何とかしなくてはいけないが、生活は面倒を見てくれるらしい。

お金のない人生から抜け出したいし、でも勉強はしたい。

そんな独りよがりに付き合わせている。

挙句の果てに、こんなことになって。


ああ、本当に。


なんで、


なんで、私は生きてるんだろう。


私は、涙が目じりからあふれたのに気付く。


陽太に会いたい。


それからもしばらく、私は涙を濡らすだけだった。


***


駅で降ろされたのは14時頃だった。


事が終わった後、元カレは何か言い訳めいたことを言いつつ車を走らせていた。

アイツの中では、デートをして、盛り上がって、合意の上行われたと思っているみたいだ。

薬を盛ったことと、殴りつけたことは忘れたようだ。


私は、駅前のバス停ベンチに座る。


考えるのに疲れた。


8月の平日昼間、駅周辺の人どおりもまばらだ。


しばらくして、自転車を押した陽太が近づいてきた。


「早かったね。もうよかったの?」


私は、黙って、うなづく。

声は出なかった。


陽太は、私の異様な雰囲気を感じたのか、自転車を横に止めて、私の隣に座る。


「今日はさ、後輩たちみんなうまくやってくれて、審査、何とかなりそうになってきたんだよ。」

昨日ずいぶん心配してたから安心するよ。


「あと、もう3回しか練習できなくてめちゃくちゃ焦ってたけど、2年の練習時間を削ってもらえることになって、1年生ずいぶん成長したよ。」

今までは陽太ばっかり自分の練習時間削ってたじゃん。


「今まで手伝ってくれなかった子も、1年の練習手伝ってくれるようになって、みんなのおかげだね。」

陽太の献身のおかげだよ、きっと。


陽太は私の暗い顔を見て、気を遣って話かけてくれるのを気付く。

そう思うと、優しさがうれしくて、でも穢された自分がつらくて、目じりが熱くなる。


涙が頬を伝った。


(ゆう)?」

陽太は私の顔を覗き込む。


「ごめんね。」

震えた声しか出ない。


ベンチに置いた私の左手を、陽太は包むように握った。


わたしがしばらく泣いている間、陽太はずっと横にいてくれた。


泣き止んだ頃に、駅前の交番から警官が出てきて、そろそろ混み始める時間だから自転車をどかすよう、陽太に言った。


「そろそろ、帰れる?」


私はうなづいて、立ち上がる。

陽太が自転車の籠に私の荷物を入れている間に、駅の時計を見たら、16時を過ぎていた。

2時間も泣いていたらしい。


陽太は片手で自転車を押して、もう一方の手で私の手を握る。


私たちは陽太の家までかえった。

陽太は何も話しかけてこなかった。


その日は、陽太の家で夕飯を食べて、陽太の家で一泊した。


味噌汁の味は分からなかった。


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