第三話
「気をつけて行って参れ」
昼食後、ヨシヲの見送りを背中に受けて二人は家を出た。
目指すは今回の依頼人が通う中学校の前。今は春休み中だが部活で学校へ行っているらしく、雨延はヨシヲからの手紙に記載された依頼人の連絡先へ事前に電話をかけ、そこで落ち合おうと予め決めていた。
その中学校には雨延も通っていたようで、道は体が覚えていた。今も昔もこの景色は変わらないようだ、古き良き……と表現するべきか。
「昔は自転車で通ったものよ。晴れの日も雨の日も己の足で毎日登校した日が懐かしいな……」
まだ冷たい春風に髪がそよぐ。遠方に見える道に生えている桜から飛んできたのか、薄紅色の花びらが混ざっている。よく晴れた空には下の方に僅かに雲が見えており、慣れ親しんだ道に影を伸ばし、淡い青春時代を少しずつ思い出させていく。
「あー、中学校ってやっぱり自転車使いますよね。探偵さんの所でも二人乗りって流行ってましたか?」
青春の定番の一つ、自転車の二人乗り。フユキには全く関係の無い行為だった。フユキの中学時代と言えば、家に引きこもり、特殊能力で毎晩人の夢の世界を渡り歩いていたものだが、雨延の方はどうだったのだろう。
「校則違反ではあるが、恋人や友人同士でやる者は絶えなかったな」
ここでフユキにとって意外な事実が判明する。
「……実は某もしたことがあるのだ」
悪戯っ子のような顔で目を細めた。茶目っ気のある言い方だったが、意外すぎる衝撃の真実にフユキも思わず驚愕で返してしまう。
「えっ⁉ 探偵さんが、ですか⁉」
日頃探偵として人々に手助けをし、理性的で“悪いこと”などしそうにも無いあの雨延が? 想像ができない光景に思わず無意識に口が開く。
「ま、まさか彼氏がいたんです……?」
「ふふっ」
その言葉に雨延は耐えられず吹き出した。どうやらツボに入ったらしく、そのおかしさはしばらく収まらず。半笑いを引きずったまま、口元を手で隠し真相を話し始めた。
「違う、違うのだ。確かにその方は男性だが、決してそのような仲ではない。某が体調不良で帰ろうとしていた際、その方が“某一人では心配だから”と自転車の後ろに乗せ送ってくださったのだ」
「ああ、そういう……うん?」
だとしても、ではないか? 単に男気があるだけなのか、多少の下心はあったのか……フユキが確かめる術は無く、あったとしても第三者が介入すべきことではないが、ついあれこれ横から勘繰ってしまう。一方の雨延にとってはただのよい思い出のようだが。
「彼は元気にしておられるだろうか」
空を見上げ、遠くに話題の彼を見つめる。せっかく故郷に帰ってきたのだ、会いたいと思っている……のかもしれないと、フユキは雨延の横顔を眺めた。
「見えたぞ、あそこが甘他中学校……甘中である」
田んぼの向こうから見えてきた建物。あれこそかつての雨延と今回の依頼者が通う中学校だ。二人がだんだん校舎に近づくと、グラウンドの方で野球部がランニングする様子が見えた。その奥ではサッカー部が練習をしている。
さて、部外者の二人が敷地内に入る訳もいかないため、待ち合わせ場所は校門前のはずだが……校門前をよく見ると、一人のセーラー服姿の少女が手元の――恐らくスマホをずっと見ながら立ちっぱなしでいた。その姿に雨延は見覚えがあるようで。
「――ユズキ殿! お待たせ致した」
その声に少女は手元から視線を上げ――雨延の姿に気づくや否や、先程まで無表情だった顔に花火を咲かせてこちらへ走ってきた。
「シュウカちゃん! おかえり!」
勢いのまま雨延へ抱きつく。雨延は後ろへよろけかけるもしっかりと少女ユズキを抱き止め、反動が落ち着いた頃にそっと手を離した。
「久しいな、ユズキ殿。お元気そうで何よりだ」
「うんっ! あたし、今は写真部なの。春休みの内に今しか撮れない光景を撮ろうってことで毎日学校に来てるのよ! ……で」
ユズキの視線が雨延からフユキへと移った。興味の色……ではなく、試す色をしている。先程のヨシヲと少し似ているが、少し違う気もする。これはそう、どちらかと言うと――。
「この人がシュウカちゃんのお手伝い? はじめまして、“シュウカちゃんの幼馴染”の瀬古ユズキよ。今回の依頼者なの……って、君にはわかるわよね、そうよね?」
一部を強調して挨拶をする。そう、これは嫉妬だ。できるだけ波風を立てぬよう、フユキは慎重に言葉を選び挨拶を返す。
「はじめまして、河出フユキだよ。ワタシも探偵さんには色々とお世話になってるんだ。少しの間だけど、これからよろしくね……!」
そして手を差し出す。変なことは言っていない。雨延への尊敬という、相手との同じ気持ちも込めた。これで完璧なのでは――そう思った。が。
「そう……よろしく、フユキさん」
ユズキは確かにフユキの手を握った。だが一度大きく振ったかと思いきやすぐに離してしまった。そのことに少し傷ついた時、雨延が軽く窘めた。
「ユズキ殿。初対面の人に対して些か無礼であるぞ」
「うっ……ごめんなさい、シュウカちゃん」
「謝るのは某にではなくフユキ殿にだ」
雨延に指摘され、ユズキは背丈が少し上のフユキを見つめる。……若干睨みも入っている気がするが、きっと気のせいだろう。
「ごめんなさいね、フユキさん?」
「う、ううん、大丈夫だよ。あまり気にしないで」
「そう」
そして嘘か本当かニッコリ笑った――かと思いきや、ユズキは雨延の腕にしがみつき、心からと思われるそれ以上の笑みを見せた。
「シュウカちゃんが来てくれて嬉しい! さっ、家に案内するから一緒に行こっ!」
そのまま雨延を連れてどこかへ行こうとする。フユキは急ぎその後を追おうとした。……その前に、一度校舎を振り返る。この学校に雨延は通っていたのだ――この気持ちは何と言えばよいのだろう。ノスタルジック? 何の縁も無い自分がそのように思ってもよいのか?
適切な言葉を探し目線を下げると、一人の男子学生が視界に入った。学ランを着た彼はこちらを見つめ、手を伸ばしかけている……が、何も言わない。何のアクションも起こさない。彼を不思議に思いつつ、フユキは軽く一礼だけして二人を追いかけた。