第二話
バスを乗り継ぎ昼頃に二人が辿り着いた雨延の故郷、永舘県霜旗市。地区名の甘他と書かれたバス停で降り、二人は雨延の祖父ヨシヲが住む家へと向かう。
霜旗駅周辺は関東のように都会らしかったが、甘他まで来ると畑や田んぼが辺りに広がっている。都会に近い田舎、とでも言えばいいだろうか。雨延はこのような場所で育ってきたのだ――フユキの好奇心がくすぐられる。
「探偵さんは中学時代までここにいたんですよね?」
「その通り。高校は夷経都の公立校であった。故に、高校進学と同時に上京したのだ。一人暮らしを始めたのもその時からぞ」
高校の時から一人で生活をしていた――昔から自立していた雨延を、フユキはより尊敬の眼差しで見つめる。
「凄い……! やっぱり探偵さんはかっこいいです」
その言葉に雨延は謙遜……ではなく本心を述べる。
「それ程でもない。人間、その気になればある程度のことはできるようになる。フユキ殿もやればできるタイプではないか」
「そんなことはないですよー。こうして探偵さんの下で働けているのも、探偵さんが手取り足取り教えてくださったおかげですって」
朗らかに笑いながら言うフユキのこちらも表だけの謙遜ではなく本心そのもの。結局のところ、雨延もフユキも自分の実力に驕らず他人への感謝を忘れないタイプらしい。
「見えたぞ、あそこが祖父の家である」
雨延が指差す先、そこには年季の入った古風な家――まるで物言わぬ鷹が無機物へ形を変えたような静かな圧があった。
「(持ち物には持ち主の特徴が反映されるって言うけど、やっぱりお祖父さんって相当に怖い人なんじゃ……)」
「懐かしいな……行こう、フユキ殿。お祖父様も首を長くして待っておられる」
雨延は家を手で示し、どこか嬉しそうに催促する。一方のフユキはというと、雨延に促されたことでようやく覚悟を決め、ここを死地にするつもりで足を動かした。
雨延がインターホンを鳴らしてから彼が出てくるまでそう時間はかからなかった。
「……久しぶりであるな、シュウカ」
「お久しゅうございます、お祖父様」
背が伸び体格のいい白髪の老人、若原ヨシヲが二人を出迎える。
「お祖父様。こちらは某の手伝いをしてくださっている河出フユキ殿です」
ヨシヲが雨延の後ろで固まるフユキを見定めるようにじろりと見る。その視線に怯む……が、ここで尻尾を巻いて逃げ帰る訳にはいかない。
「か、河出フユキです。探偵さんにはいつもお世話になっています……本日からお世話になります、よろしくお願いします!」
「ふむ……」
その目はフユキの目を真っ直ぐに射抜く。そしてフユキは目を逸らさない。……長い時が流れたように感じた。本当はたった数秒のやり取りだというのに。
「挨拶が送れた。シュウカから聞いておると思うが、儂は若原ヨシヲだ。よろしく頼む。……遠路はるばる、よくぞここまで来られた」
そして今日初めて見せた笑顔――その顔は穏やかに笑う時の雨延にそっくりだった。
「付いてくるとよい。お前さんらの部屋へ案内しよう。シュウカ、部屋は別々に致すか? それともお前さんが使っていた部屋で共に寝るか」
「某はどちらでも構いませぬ。フユキ殿はいかがか?」
突然話を振られ、先程まで家の中を興味深く観察していたフユキは慌てて返事をする。
「えっあっ、じゃあ相部屋で……」
「承知した」
雨延によく似た口調のヨシヲが返事をする。……雨延の話し方は彼に影響されているのだろうか? そして先程から気になって仕方がないことが一つ。
「あの、探偵さん……」
「む、いかがなされた?」
ヨシヲの後に付きながら雨延へこっそり尋ねる。
「さっきからシュウカさんって名前が出てますけど、それって誰のことですか?」
「ああ、それか。某の本名のことであるな」
「へー……」
……ん? 本名? 横に流しかけて思い留まり、少しの間情報を整理してようやくフユキは気づく。
「……本名⁉ 探偵さん、シュウカさんって言うんですか……⁉」
「うむ。若原シュウカと申す。この地においてはそちらの名で呼ばれることが多いと思われる、慣れておいてくださるか?」
今まで知らなかった、知ろうともしなかった雨延の本名=秘密を知ってしまい、フユキはただ呆然と“はい”と返事をするしかできなかった。
「着いたぞ。ここがシュウカの……お前さんらの部屋ぞ」
すりガラスの引き戸で廊下と区切られた一室に辿り着いた三人。
「儂は昼食の準備をして参る。まだ時間はある、ゆっくり過ごされるとよい」
雨延はその場を後にするヨシヲへ礼を言って戸を開けた。古いからか、ガラガラと音を立てて開かれたその向こうには雨延が使っていたものと思われる勉強机と幾つかの本棚、何かが入っているらしい二段に積み重なった収納ボックス。半透明のため、具体的に何が入っているかは外からではわからない。
「あの押し入れに布団が入っておるが、生憎と某の分しか無い。後で客間の方からフユキ殿の布団を持ってこよう」
押し入れの扉へ手を重ねそっと撫でる。かつて自分が住んでいたこの場所が相当に懐かしいのだろう。
「はい、ありがとうございます! ……探偵さん、あの収納ボックスって何が入っているんですか?」
……その質問に雨延の体が一瞬固まる。そして不自然に微笑み、いや苦笑いをし、収納ボックスを背中に隠すようにフユキの視線をそれから遮った。
「これは……その……大したものではない……ただのぬいぐるみぞ」
最後の方はとても小さな声だった。
あの雨延が、ぬいぐるみ。常にクールで落ち着いた雨延が、ぬいぐるみを。それも収納ボックスを二つ使う程の量を。……おかしな話ではない。雨延がいつも飲んでいる缶コーヒーにはゆるかわな猫の顔が描かれている。フユキはてっきり雨延は甘さを求めてそれを買っているとばかり思っていたが、その柄に惹かれていたっておかしくはない。逆に、いくら好きな味でもパッケージが苦手では買う気になれないだろう。だから、決してトンチキな突拍子もない話ではないのだ。
「か、可愛い……!」
「やめてくだされ……」
思わず顔を手で隠す。その顔はきっとハイビスカスのように赤く可憐なのだろう。それを誤魔化すように雨延は近くの和紙が貼られたうちわを手に取り、フユキへ後ろを向けて扇いだ。
「きょ、今日は暑いな。この家にはかき氷機がある、食後に共に食べようぞ」
「ふふっ、いいですね。探偵さんは何味が好きですか?」
まだ雨延の顔を占める熱は冷めない。これもきっと気温のせいだと、フユキはそういうことにしておいた。