第一話
吸血鬼事件を解決し、時は一ヶ月程流れて四月。桜も見頃で、庭穂市内の公園でも桜並木の下にブルーシートを敷いて花見をする人の姿が多く見られていた。
そしてこの時期を迎えたということは、フユキの春休みも終わる……つまり、雨延の元でのバイトも終わりが近くなったということ。
本当はもっと長く続けたい、それが本心だ。だが無理を言ってバイトをさせてもらっていた以上、これ以上のわがままは言えない。ならばせめて最後まで頑張ろう――フユキは決心して事務所の扉を開いた。
「おはようございます、探偵さん!」
「おはよう、フユキ殿」
このやり取りも後何度できるだろうか。別にバイトが終わったからと言って二人の縁まで切れる訳ではない。これまで通り勉強道具を持って遊びに来たっていい、それは雨延が許可している。……それでも心の隅に寂しさを感じずにはいられなかった。
「聞いてくださいよ、探偵さん。昨日の帰りに、本屋さんで可愛いレターセット見つけちゃったんです。どんな柄だと思います?」
雨延ともっと話がしたい。どんなことでもいい、取るに足らないことでもいい。……無意識の願望で自然と口が開く。それを知ってか知らずか、雨延はすぐに返答した。
「定番は猫や綺麗めの柄であるが、フユキ殿がそこまで喜ぶのであれば……この時期らしく桜の柄か?」
「正解です……! しかもただの桜の柄じゃなくて、水彩タッチな柄なんです……! 可愛すぎてつい買っちゃいました。文通する人なんていないんですけどね……えへへ……」
自分に呆れるように苦笑いをすると、雨延も釣られて笑う。
「誰だってよいのだ。特別なことではなくとも、日頃の思いを伝える為に何気なく書くだけでよいと思うぞ? ……好いている方がおられるなら恋文にするのもありだとは思うがな」
「こっ、こここ、恋文⁉」
雨延から出ると思っていなかった言葉に、後ろへ仰け反り、後退りながら動揺する。まさかその手の冗談を言うとは思っていなかった。いや、フユキに思い人はいないため別にそこまで驚く必要は無かったのだが、つい大げさに反応してしまう。……どうにもこのあたりの話題についての耐性が無いのだ。
「もーっ、探偵さんってばからかってますねー?」
「ふっ、ちょっとした冗談ぞ、許されよ」
雨延からいつものゆるい猫が描かれた缶コーヒーを手渡されながら軽いやり取りをしつつ、仕事の準備をする。吸血鬼事件以降大きな依頼は舞い込んでいないため、そろそろ何か起きてもおかしくない――直感という名の当てずっぽうで一人予想しながら席に着いた。
――カコン。九時頃、扉に備え付けてある郵便受けに何かが入れられた音がした。
依頼は基本メールで送られてくるが、その他のもの……例えば書類や請求書等はこうして郵便受けに直接運ばれてくる。それを回収し開封するのもフユキの仕事で、今日もいつも通りに取り出す。……が、今日のそれはいつもと違った。
「手紙……?」
定形サイズの無地の封筒に、達筆な字で宛名に“守鳴探偵事務所御中”、差出人に“若原ヨシヲ”と書かれたそれを不思議に思う。無理も無い、このような手紙らしい手紙など普段は届かないのだから。
「探偵さん、これ……何でしょう?」
見たことの無い名前に雨延へ相談すると、彼女は差出人を見た瞬間に大きく目を見開き――傷をできる限り付けぬよう慎重に開封した。
封筒が無地であれば中身も無地なようで、フユキが横から少しだけ覗くとオフホワイトの便箋に荒々しくも丁寧な字が見えた。
「……そうか……」
全てへ真剣に目を通し、元通りに折り畳んで封筒に仕舞うと雨延は何やら思案を始めた。そして一分も経たぬうちに顔を上げ、フユキへ向かい合い。
「フユキ殿。――某の故郷へ共に来ていただきたい」
数日後、二人は高速バスに乗っていた。目指すは雨延の故郷――永舘県霜旗市。中学時代まで過ごしていたというそこは関東近隣の県で、高速バスであれば数時間で辿り着く。
思えば雨延の過去については全く知らない――通路側の席にクッションを敷き、バスに揺られながらフユキが興味本位で尋ねると、隣の雨延も懐かしむように手紙の内容と併せて説明を始めた。
「あの手紙の差出人……若原ヨシヲというのは、某の祖父でな。某は親が所謂転勤族故、無闇に引っ越さずともよいようにと中学時代までは祖父母の家に住んでおったのだ。祖母はもう亡くなっており、現在は祖父だけがそこにいるはずだがな。そして此度の依頼の間、某たちは祖父の家に泊まらせていただく」
とうとう雨延の家族に顔を合わせるのだ。……緊張で思わず喉をごくりと鳴らす。雨延はそれに気づくや否や、不安を取り除くように優しく笑った。
「お祖父様は厳しいところもあるが優しいお方だ、怖がる必要はありはせぬよ」
「いえ、何か粗相をしないか心配で……!」
今からガチガチになっている。あまりに早すぎることはフユキ自身にもわかりきっている、だがどうしようもない。そんなフユキに雨延は尚微笑み。
「フユキ殿は礼儀正しいではないか。言葉遣いがどうこうではなく、いつも誠実だ。お祖父様もきっとフユキ殿を気に入るであろう」
そこで一度切り、話を戻すぞ、と雨延は再び口を開いた。
「此度の依頼は某の古い友人がお祖父様を通じて頼んできたものでな。地元に着き必要な荷物を置き次第、その方と待ち合わせることとなっておる」
「その方は同級生とか、ですか……?」
質問には首を横に振る。だがその人を好ましく思っているのか、表情は穏やかだ。
「その方はフユキ殿よりも年下であるな。今は……恐らく十三歳か? 某も久方ぶりに会う故、どれ程成長されたか楽しみにしておるのだ。もしかすると懐古に付き合わせてしまうやもしれぬが、しばらくぶりの帰郷故、許していただけぬか?」
「もちろんですよ……! 探偵さんのお好きになさってください」
フユキとしても、雨延には羽根を伸ばしてほしいと常日頃から思っている。そのため、今回の依頼は雨延にとってもいいものだろうと考えた。当事者ではない自分なんかが勝手に決めつけることは無礼だとはわかっているものの、それでも雨延が少しでも生きやすいようにと願わずにはいられない。その考えこそ傲慢の一つであると理解しているが。
そうこう話をしていると、バスがもうじき駅のバスターミナルに到着するアナウンスを鳴らした。ここで別の一回り小さなバスへ乗り換えをして、雨延の住んでいた街まで行く予定だ。
降りる準備をしているうちにバスは駅に到着。他の乗客が降りるのを待ち、二人も永舘県の地を踏んだ。