第四話
「雨延様、河出様、ようこそお越しくださいましたー!」
篠ノ井に臼如温泉旅館まで送られた二人を、一見人の良さそうな女将と仲居らしき男が出迎えた。
「私は女将の穴達と申します〜! こちらはせがれでして、仲居を務めております」
女将に手で示され、男はにこりと笑いながら自己紹介をする。
「仲居の穴達エンジと申します。手伝いの身ではありますが、精一杯お客様のサポートをさせていただきます」
そのままチェックインを済ませ、仲居の穴達に館内を案内される。
「当旅館の温泉はあちらにございます。源泉かけ流しが自慢ですので、是非お楽しみください」
「へー……! 何か凄そうですね! ね、探偵さん……!」
穴達のガイドは、旅館のあらゆる場所やものを実際に触れたくなる程魅力的に紹介する。その案内にフユキの期待も右肩上がりだ。
「そうだ、少しプライベートなことをお聞きしますけど、穴達さんって正式な従業員さんじゃなくてお手伝いさんなんですか?」
先程の自己紹介で気になった部分。女将が息子と言うからには跡継ぎかと思ったが、穴達は手伝いだと話していた。そこが不思議でつい尋ねると、穴達は少し気まずそうに笑いながら後頭部へ手を当てた。
「この旅館は私の母……女将が先代から受け継いだものでして、私は以前まで別の会社で働いておりましたが、現在は辞めて母の手伝いをして暮らしているのです」
「そうだったんですね……! 込み入ったことを聞いてしまいすみません」
「いえいえ。このあたりはよく聞かれることですのでお構いなく。……到着致しました。こちらがお客様のお部屋となります」
いつの間にか部屋へ着いたようだ。二人の部屋は二〇一号室で、開けてみると広く日当たりのいい角部屋が待っていた。
「わ、綺麗……!」
青々とした畳が敷かれ、窓に嵌められたガラス戸の奥には雄大な山が横たわるように居座っている。その上は先程も見たように三月らしい晴れ晴れとした青空だ。
「では、ごゆっくり」
二人へ軽く会釈をし、微笑んで穴達は去っていった。残された二人の内、フユキは部屋着として用意されている浴衣を広げたり、アメニティを確認したり、早速テレビを点け地方の番組をチェックしたり……と大忙しだ。
「探偵さん、ここ凄いですね! こんなにいいところに泊まれてラッキーかも……!」
……返事は無い。いつもであればフユキに話しかけられた際はすぐに返すが、何か考え事をしているのかその場から一向に動かずに顎へ手を添え、俯きがちに宙を見ている。
「……探偵さん?」
「む? ……ああ、すまぬ。少し頭を整理しておった。それで何用か?」
ようやくフユキの声に気づき、心配させないように少しだけ笑う。
「大したことじゃないんです。ただ、素敵なところに来られて嬉しいなーって……! 仲居の人もいい人っぽそうでしたし」
そうご機嫌に笑うフユキ。だが、穴達の話題が出た途端に雨延の顔はまた真剣な表情へと戻った。
「……あの男、裏がある」
「えっ……?」
机の上のお菓子に手を付けようとしていたフユキに真面目な声色で告げる。
「某に思いを見る力があることは知っておるな? あの男、少なくとも善人ではない。もしかすると……いや、これ以上はただの根拠の無い予想か。いずれにせよフユキ殿、表面だけを見ず十分に注意されよ」
「? わかりました……!」
十八時。二人の部屋に穴達が夕食を運んできた。
「本日は豚しゃぶ、近海で捕れた魚の刺身、たけのこと菜の花の和え物……等々をご用意しております」
「わ、どれもおいしそう……! ありがとうございます」
歓喜で声を上ずらせながらフユキが礼を言うと、穴達はまた優しい笑みを浮かべ、“些細なことですが”と前置きしてから続ける。
「それにしても……お二人は本当にお似合いの二人組ですね」
「えっ⁉ そ、そうですか……⁉ お似合いですって、探偵さん!」
これまた大喜びで雨延を見ると、雨延はクールな表情を崩さずに目を瞑った。
「……お世辞であろうと悪い気はせぬな」
「世辞だなんて、とんでもございません。これは本心ですとも」
では失礼します、と穴達は部屋を去ろうとした。が、退室する前に思い出したように二人へ振り向き付け加えた。
「最近、この辺りでは吸血鬼事件が起きております。夜中に出歩く際は十分にご注意を」
無駄に不安を煽らない為かその口元は弧を描いており、そして今度こそ立ち去った。
「……やっぱり、地元の人の間じゃ有名なんですね。それもそっか、趣味で調べてるとはいえ地元じゃない篠ノ井さんが知ってるくらいだし……」
雨延に話しかけてみたが、話していて自分で納得する。その言葉をきっかけに、二人の話題は再び吸血鬼事件へと移った。
「フユキ殿は此度の事件について考えはおありか?」
「それがもう全然駄目で……元々推理ものって読むのは好きですけど考えるのは苦手なんです。どうしても見逃せなくて付いてきましたけど、あまりお役に立ててないですね、ごめんなさい……」
自分で言っておいて、自らは無能であると自分へ突きつけてしまい項垂れる。
「あまり思い詰めるでない。……実のところ、フユキ殿が傍にいてくれているだけで某は安心できておるのだ」
「えっ?」
思わぬ言葉に顔を上げる。そこには優しく慈しむ眼差しが真っ直ぐにフユキを見つめていた。
「一人でいるというのは中々に孤独なものでな。よき理解者が隣にいる……それだけで心に余裕が生まれ、そして目的を達成できるようになる。フユキ殿は確かに役目を果たしておられる、案ずるでない」
その言葉にフユキの胸で何かがじわりと沁み広がる感覚がした。痛いような、切ないような、嬉しいような。ただ、光栄だということだけはわかる。
「探偵さん……!」
「さ、早く食さぬと冷めてしまうぞ」
「そうですね! よし、お腹いっぱい食べます……!」
そう意気込んで再び料理に手を付けようとした。が、その寸前で何かを思い出す。
「あ、でもその前に一ついいですか? 推理ものだと、よく“犯人は意外な人物”って言うじゃないですか。今回の犯人もそれに当てはまったりするんでしょうか……?」
「ふむ、興味深い見方である。ちなみにフユキ殿には見当は付いておるのか?」
犯人は意外な人物。これまで出会った人々は誰もが犯人には見えない。だが、一番意外なのは――。
「……まさか校長先生……? あんなに優しそうな人が……?」
「彼は違う。思いを見たが、彼が生徒を思う気持ちは紛うことなき本物ぞ」
バッサリと切り捨てられる。だがそれを聞いて安心もした。もし誰もが見てわかる程に生徒思いな彼が生徒を襲う側だとしたら、もう誰も信じられなくなるだろう。
「よかった……探偵さんはもう目星は付けてますか?」
「一応な。だが証拠が足りぬ。その証拠の手に入れ方もある程度は浮かんでおるが、だが……」
箸を止め言い淀む雨延は申し訳なさそうにフユキを見る。
「……その作戦はフユキ殿を危険な目に遭わせてしまう。故に実行できぬ」
しかし、眉尻を下げる雨延を待っていたのは元気いっぱいの溌剌とした返事。
「大丈夫です、探偵さんを信じていますから……! ワタシでよければ協力させてください!」
二十時。お風呂を済ませ、フユキは熱を冷ます為にと旅館の周辺を彷徨いていた。
街灯こそあるものの本数は少なく、辺りは薄暗い。それこそ吸血鬼どころかお化けでも出そうな雰囲気だ。不審者にとっても絶好の狙い所だろう。だから、怖い。
必要以上に湯冷めせぬよう、浴衣の上に上着を着て空を見上げる。街灯が少ないからか、それとも田舎だからなのか、星がよく見える。
生憎フユキに星の知識は無い。どれが何星だとか、どの星を結ぶとどの星座になるだとか、そういったものは全くわからない。雨延であればこのあたりの知識もあるのだろうか? お風呂上がりに雨延から貰ったペンダントを無意識に触り……その行為に気づいた時、どこでも雨延のことを考えていることが妙におかしくて小さく笑った。
……ザッ。
「……?」
ふと、何か物音がした気がした。物音? いや、例えば歩く音、地面を靴が擦れる音。それの正体について考えるより早く、好奇心で後ろを振り向いた。
……鬼の面。鬼の面を被り、真っ黒な服装に身を包む男が何かを手にしてこちらを見ている。
――逃げなければ! 男の姿を確認した瞬間に走り出した。運動の自信なんて全く無い。だがそんなことは関係無い。逃げなければ“やられる”。雨延から貰ったペンダントが揺れる。寒気を吸い喉が痛い、それでも必死に走らねばならない。しかし性別差もあり、気がつけば男は真後ろに迫っていた。
――首元を思い切り掴まれた。そのことに藻掻こうとした。だが藻掻く時間も無く、男はフユキの首元に何かを当て――何か衝撃が走ったと思った瞬間、フユキの意識は飛んでいった。