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第 9 話 楠木正儀伝に登場する人々

☆ 足利義詮に一票 ☆


 [戎光祥出版編集長さんの足利将軍総選挙]一人は義詮に投票しました。正儀伝の中でも思い入れ持って人間臭く描いたキャラですし。この人が長生きし、もっと正儀と相対する歴史を見たかったな。('22/02/06)



☆ その後継ぎの足利義満 ☆


 1408年5月31日(応永15年5月6日)逝去。生前に本人が欲した太上天皇。死後に朝廷の宣下を、幕府が前例なしと断ったという!! ('20/05/31)


 もっとも、天皇未経験でも上皇には成れます。法皇となった後高倉院(守貞親王)。さらに天皇の血脈もなく治天の君となって院政を敷いたのが広義門院(西園寺寧子)!('20/05/31)


 その広義門院が治天の君となった契機が正儀。その顛末を描いてるのが正儀伝の第22話。以上、宣伝でした!(汗)('20/05/31)



☆ その広義門院を擁立した二条良基さん ☆


 正儀伝にも良基出てきます!北朝を代表する公卿のひとりですから!洞院公賢のことは嫌い!という設定です。('20/2/25)


 [フォロワーさんのリプライに対し]加えて、公賢のコウモリっぽいところも、カチンとくるところなんでしょうね。でも公賢のおかげで、後世の人は南北朝を深く知ることができました(園太暦)!ペコリ('20/2/25)



☆ その良基が絶賛した観阿弥・世阿弥親子 ☆


 [湊川神社の新春の祝い能]正月休みも今日で終わり。これ見てきました。('20/01/05)


 実は正儀伝、観阿弥、大成の物語でもあるんです!('20/01/05)



☆ 楠木正成の血を引く一休さん ☆


 一休の父は後小松天皇と伝わる(本当らしい)。追号の後小松は小松天皇にあやかって……訂正!小松帝とは光孝天皇の異名です。('22/02/09)


 [フォロワーさんから何故一休が出家したか尋ねられ]ちょうどその件を正儀伝の第48話に書いてます。勿論、小説なので創作入ってますが。第48話だけで短編小説として読めますので、もしご興味あれば御覧ください。すいません、宣伝になっちゃっいまして。('22/02/09)


 後小松天皇は跡継ぎ問題に悩み、一休に皇位を譲りたいと言ったと俗説ありますが、それはあり得ない。一旦、門跡(僧籍)に入った皇子は、例え還俗しても皇位には就けないという不文律がある。何でも有りの南北朝時代でさえ、ギリギリこのルールは守られてました。だから護良親王もOUTですね。('22/02/09)


 実際に一休に会って、誰に譲位したものか悩みを吐露したみたいですが。ちょうど一休に子供(岐翁紹偵)が出来たところだったので、自らの皇統・血統が途絶えようとしていた後小松天皇は、背に腹かえられないと、この子に親王宣下を考えて一休に会ったのかも?!('22/02/09)

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