第 3 話 タカラヅカ 桜嵐記 考②
☆桜嵐記よもやま話 その2☆
考察9 歳をとった正儀が弁内侍と再会する庵は聖尼庵と呼ばれるらしい。内侍は四條畷のあと髪を落とし、吉野の竜門にある西蓮華台院(現 西蓮寺)に入ったという伝承があります。('22/02/13)
考察10 後村上天皇の中宮(皇后)顕子(天紫珠李)は北畠親房(佳城葵)の娘で、女御(側室)の勝子(桜奈あい)は阿野廉子(楓ゆき)の大姪との説があります。北畠派と阿野派は、宮中でバチバチだったんじゃないかと想像したりしてます。('22/02/13)
考察11 饗庭氏直(結愛かれん)が率いる足利尊氏の近習衆、花一揆は実在の集団。二十歳未満の若者が美しく着飾り、兜に梅の花を差していたことからその名で呼ばれました。一揆と言うと百姓一揆のイメージを持つかもしれませんが、この時代は武士集団に用いる言葉でした。('22/02/13)
考察12 楠木の郎党(12人)って、良く見たらそれぞれ一から十二までの漢数字が名前に入ってるのね。こういうの大好きです。私が知ってる漢数字の楠木党は恩地満一、和田孫次郎(孫二郎)、津熊三郎などです。('22/02/13)
考察13 南朝の女房(桃歌雪、桃歌雪、麗泉里、佳乃百合香、天愛るりあ、摩耶裕、まのあ澪)のうち、帝の母、阿野廉子(楓ゆき)に侍る一人がきっと伊賀局であり、将来の正儀の妻ですね。('22/02/13)
考察14 私の小説(正儀伝 第16話)を見られた方は、設定の違いに戸惑われたかも。大きくは以下の二点。①正儀は四條畷に行かず河内の本拠を守ってる。②父が寝返った百合(海乃美月さん)に相当する人は正時の妻ではなく□□の妻。という点。('22/02/13)
考察15 兄弟の母 久子(香咲蘭)は四條畷の戦いの後に出家し、庵を結んで暮らしたと伝わります。久子が亡くなったとき、正儀はその庵の跡に寺を建立しました。現在の楠妣庵観音寺で、境内にその庵が再現されています。('22/02/14)
考察16 昨年は宝塚で大活躍の正儀くんですが、一昨年はスーパーオペラ「紅天女」でも活躍しました(壮年の正儀さん)。まさか、二年連続で楠木正儀が歌劇に登場するとは考えもしませんでした。('22/02/14)
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