ひと夏のおもいで
木の揺れる音なのか、二人が踏みつけた枝の音なのか。もう判別も付かない。それくらいに騒がしく聞こえた。
「きっか! はやく!」
「しほっ」
暗い森の中。視界が闇に遮られ、お互いのゼェハァという呼吸をやけに近く感じる。
二人はーーいや二人と不気味な鬼は、どれだけの時間駆けているのだろうか。彼女らは、早く朝が来ることを祈ることしか出来ない。
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ああ。あの日の話が聞きたいのですか。いえ、構いません。どうぞ、そちらへおかけください。
これはある、四人の少女たちのお話です。
ある山奥の寂れた部落で起きたことです。そこは山や川など自然には事困りませんが、スーパーに行くにも山をいくつか超えて行かなければならない程の田舎でした。
住民たちは全員顔見知りで、家族構成までもお互いに分かるような。そんな村です。
そうそう。四人の少女たちについてお話しますね。
きっか、しほ、みちる、りま。それが少女たちの名前です。
彼女たち四人は非常に仲が良く、年に一度しか会えませんでしたが、会えばいつも一緒にいたかと思う程すぐに打ち解けるのです。
どうして年に一度しか会えないのかと申しますと、きっか。この子が部落の子ではないからなのです。きっかは都会に住んでおり、あそこまでは飛行機や電車、バスを乗り継ぎ乗り継ぎしてやっと到着します。部落には彼女の祖母が住んでいて、夏休みの間だけあの村に。
都会暮らしは性に合わない、とよく言っていました。その地区を大層気に入っていたのです。
しほ、みちる、りまの三人は、昔からの仲でした。小さな部落なので、病院は一か所だけ。みんな同じ病院で生まれ、同じ学校に通います。保育園や幼稚園といったものはなく、地域全体で子育てをしたのだそうです。
しほはいつでもみんなを引っ張るリーダーのような子でした。何かを決める時は必ず彼女が決めていましたし、危険なことも先陣を切って行うタイプです。好奇心も旺盛で常に何かに興味を示していました。
みちるは、そうですね。気弱な子でした。いつもしほの後ろに隠れていて。知らない人には絶対に付いていかないでしょうね。しほなら付いて行った挙句倒して帰ってくるかもしれません。ですが、みちるは繊細で優しい子でした。傷付いた動物を何度も拾って来てしまうんです。
りまはいたずら好きで、しほがちょっと悪いことをしようとすると真っ先に乗り気になり、とくに大人をからかうのを楽しんでいました。
そんなバラバラな四人でしたが、何故だかバランスが取れていました。どちらかというと、しほとりまの二人がきっかとみちるの手を取りあちらこちらに連れ回す。そんな印象です。
ある年のことでした。きっかにとっては八度目の山で過ごす夏でした。
例年通り、両親と共に車で到着します。少し家で身支度を整え、それからいつもの場所へ向かいます。あ、いつもの場所というのは、なんというか……説明しづらいのですが、田んぼに囲まれて丁度集合場所のようになっているところがあるのです。これと言った目印はありません。ですが、少女たちは毎年そこで集合します。
「きっかー!」
しほが嬉しそうにぶんぶんと手を振り回していました。
「ひっ、さしっ、ぶりっ」
きっかは息を切らしてそう叫びながら駆けてきます。家から走ってきたのでしょうか。
「よく来たね!」
「久しぶりー」
ようやく三人の元へ到着したきっかを全員で抱きしめます。口々に再会を喜び合いました。
「いつ来たんね?」
「ついさっき!」
「きっか全然日焼けしとらんやん」
「ひきこもってた」
「あいた、もやしっこ!」
久々の来客に、外で待っていた三人もきゃっきゃと楽しげにしています。
「宿題持ってきたん?」
「きたきた。しほたちは宿題した?」
「なーーんも!」
顔を見合わせて笑いました。そんな他愛ない会話を交わしながらしばらくお互いの近況を報告しました。
そこのおじいさんが大きな山犬を捕まえたこと、隣の村で初めてのカフェができたこと、みちるのおばさんがぎっくり腰で倒れたこと、しほに姪っ子ができたこと、先生がたぬきに噛まれたこと。そんなことをいくつもいくつも報告し合いました。
話しながら四人は村の小さな商店へ向かいます。ここは四人の時は勿論、三人の時にも良く訪れるマツオ商店というお店です。いつから営んでいたのかは定かではありません。彼女らが物心ついた頃にはとっくに古びた建物でしたから。
腰の曲がったよぼよぼのおばあさんが笑顔で出迎えてくれるのです。村の大人たちはハツネさん、と呼んでいましたから、子どもたちもそれに倣ってハツばあちゃんハツばあちゃんと懐いていました。彼女らだけでなく、村の子どもたちみんなのおばあちゃんです。
「あらぁ、きっかちゃんじゃないの! 今年も来てくれたんねえ。いらっしゃい」
「ハツばあちゃん、来たよ。今年もあれある?」
「きっかちゃんのために、置いとかんとねえ」
きっかは毎年「これはこっちじゃないと売ってないの!」と同じアイスばかりを好んで食べていました。チョコの付いたナッツがポロポロときっかの白いチュニックに落ち、そんな時は決まってみちるが慌てて叩くのです。
「まあたやっとる! きっかそればっかやん」
「どうして白い服着るんー」
慌てているみちるを見てかりまが笑いながら指摘すると、きっかはふふんと胸を張って見せました。
「他のはあっちでも食べれるからねっ」
「今年は当たるやろか」
みちるがアイスの棒を覗き込んでいます。アイスを食べ進めていくと、バーの部分に「当たり」または「ざんねん」の文字が彫刻されているのです。四人はきっかのアイスの棒に書いてある文字がどちらなのか、毎年楽しみにしていました。
「あぁー、今年もだめだあ」
「ありゃりゃ。来年に期待だね!」
今年もはずれを引いてしまい、きっかは少し残念そうです。
「ではここで! 今年のレクレーションを発表します!」
自分の溶けかけたアイスを一気に口に入れたしほが、空気を変えるように挙手をして宣言しました。
「おっ! 待ってましたぁ」
りまが合いの手を入れると、しほがすっと立ち上がります。
「今年は、夜の山で“肝試しかくれんぼ”をしたいと思います!」
そう高らかに告げました。
しほの宣言を聞くと、りまが一人でヒューヒューなどと囃すだけで、あとの二人は静かです。おろおろと二人で顔を見合わせていました。
「あれ? 二人ともどうしたん」
「なーん、楽しそうやん。いやなん?」
しほとりまは反対の声を出しそうな二人を心配して優しく問います。
「夜の山は、ちょっと」
「こ、怖いし、危ないやん」
ねー! と、きっかとみちるは顔を見合わせ手を握り合って弱々しく抗議しました。二人は怖いものが大の苦手なのです。好奇心旺盛なしほ、りまとは違い、慎重で危ない所には行きたくありませんでした。
「それにお母さんたちも、だめって言うよ! 絶対!」
「うん、うんっ! うちも、だめって言うと思う!」
無敵の呪文『お母さんがだめって言う』を使われましたが、二人はめげません。
「そんなんお母さんに話すでだめって言うんやろ」
「そうそう。言わな分からんて!」
きっかもみちるも、口達者な二人にやいやいと言われそれ以上は言い返せませんでした。
「大丈夫て! 四人もおるから怖いことなんて起きんよ」
しほはカラカラと笑い、まだあまり乗り気ではなさそうな二人の肩を抱きました。
思えばこの時、きっかとみちるの言い分が通っていればあんなことにはならなかったのです。