第九話 軍師カクメイ
村の世話人からの報告がきた。
昨日の晩に恐慌を来して村から逃げた兵士は五十名。
そのうちほとんどが昼になっても帰らなかった。
僻地にある村とはいえ、周りは帰れなくなるほどの複雑な地形ではない。
嫌な予感がした。夕方前にロシェがやってくる。
ユウトはお礼を述べる。
「昨晩は村を守ってもらい、ありがとうございました」
ロシェは軽くユウトの礼を遮る。
「村人を守るのが軍人の務めじゃからな」
気になっていた情報を尋ねる。
「相手は本当にゴブリンなんでしょうか?」
ロシェは軽い調子で断言した。
「柵の外にゴブリンの死体を確認した。ゴブリンが相手で間違いはない」
エリザの報告は本当なのか。でも、昨晩の襲撃は激しかった気がする。
「相手の数は三十とは本当でしょうか」
「それは間違いじゃ。昨晩に相手にしたゴブリンだが、三百はいる」
ロシェの言葉に驚きを隠せなかった
「エリザさんの報告とまるで違いますよ」
「敵は用兵に慣れておる。隊を小分けにして休ませることなくして襲撃。弱らせ、脅かし、士気をくじく。やっとのことで安心したところで、総攻撃で殲滅するつもりだったのじゃろう」
ゴブリンってこんなに頭が良いのだろうか。
「ではどうして村は無事だったんですか」
ロシェは馬鹿にするなと言わんばかり怒る。
「儂を誰だと思っているんじゃ。こっちには防衛施設があって歴戦の精鋭がいるんじゃぞ。倍くらいの襲撃なら軽く防衛できるわ」
討伐隊はゴブリンを侮って負けた。ゴブリンはロシェを侮って負けたのか。
村を襲ったゴブリンは頭が良い。頭が良かっただけに、ここがお年寄りの村だと知っていた。また、老兵だけだと知り、落とせると踏んだのが間違いだった。
俺が老婆・ロードじゃなかったら。ロシェがいなかったら。きっと村は滅んでいたな。
不安もある。さすがに毎夜毎夜襲撃されたら、討伐隊と同じ目に遭う。
「今夜も来ますかね?」
ロシェは心配していなかった。
「来たら阿呆じゃな。いっそやりやすい」
「用心はかかさないでくださいよ」
ロシェの顔が曇る。
「もちろんじゃ。だが、ここからが大変じゃぞ」
「村が襲われることはないのに、何が大変なんですか?」
「ゴブリンは他の村でやりたい放題やるじゃろうな」
「まさか、ロシェ閣下を誘き出すためにですか」
「儂を引き離してここを攻める。こなければやりたい放題を続ける」
充分に考えられる展開だった。
参ったな。俺は一人しかいない。ロシェの討伐隊に従いていけば村が危ない。
村に籠れば討伐に出たロシェが討たれる。ロシェが討たれれば村は守れない。
これは遅かれ早かれ村が滅ぶぞ。
ユウトが不安になるとロシェが苦い顔で意見する。
「どうじゃ、大変じゃろう?」
「総督に大部隊を派遣してもらいましょう」
ロシェは暗い顔で首を横に振る。
「無理じゃな。総督には面子がある。たかだか、数百のゴブリンに万の軍隊を動かしたとあれば笑い者じゃ」
また偉い人のせいで苦い思いをするのか。
「そんな悠長なこと言っていたら、次々に村が滅びますよ」
「今回の件は手遅れになるだろう」
「ちょっと、それはないでしょう。わかっているなら、助けてくださいよ」
ロシェは真剣な顔で宣言する。
「残念だが儂に手はない。だが、儂は駐屯軍の司令官じゃ。解決はする」
「どうするんですか?」
ロシェはあっさりと認めた。
「儂にもわからん。だが、解決法を知る者はいる」
「どなたです」
「古い友人で。カクメイという婆さんじゃ」
「お婆さんに解決できるんですか」
「カクメイはこれでなかなかの名軍師。ただ、ちょっと足腰が弱く、呆けかけておる」
本当に老婆・ロードになったな。でも、大丈夫かな。
夜になった。ロシェの読み通りにゴブリンは来なかった。
奇襲が失敗して攻め難しと見たか。ターゲットに固執せず目標を変えたか。
三日後、悪い知らせが届いた。
ハルヒが不安な顔で教えてくれた。
「庄屋様。近くの村でゴブリンによる略奪がありました」
始まったかと苦々しく思う。だが、助けは出せない。下手に動けば共倒れである。
「ここにはロシェ閣下の精鋭がいる。安全だよ」
躊躇いがちにハルヒはお願いしてきた。
「ロシェ閣下に討伐隊を出してもらうわけにいかないでしょうか」
ユウトは心の中で犠牲になった村人とハルヒに謝りながら答える。
「頼んではみるよ。でも、すぐには動けない。軍も役所だから」
ごめんな。今は駄目なんだ。
次の日には良いニュースが入った。
飛竜でカクメイがやってきた。カクメイは白髪でよぼよぼのお婆さんだった。
一人では歩けず、介助人が必要だった。目も良く見えていない。
服は食べこぼしで汚れており、着方もだらしない。
ロシェがカクメイを出迎える。
「よく来てくれた。カクメイ」
カクメイはプルプルと震えながら小首を傾げる。
「はて、誰じゃったかのう?」
不安しかなかった。このお婆さんに村の運命が懸かるのか。
ロシェは気にせず笑いかける。
「ほら、ロシェじゃ。よく軍議で討論したじゃろう」
カクメイはぼんやりとロシェを見て薄ら笑う。
「おお、おお、娘婿のロシェか、孫はどこじゃ」
本当に大丈夫なのかな?
ロシェは気にしない。
「温泉が好きじゃったろう。ここの温泉はいいぞ。飯も上手い。ゆっくりしていけ」
ロシェは微笑むとカクメイを連れ行った。
別の村が襲われた一報が入った。ハルヒは悲し気な顔でユウトを見る。
良心が痛んだ。
俺だって、見捨てたくて、見捨てているわけじゃないんだよ。
弁解はむなしいので我慢する。
カクメイが到着して四日後。カクメイを連れてロシェがやってきた。
カクメイはきちんと服を着ていた。目にも知性の光が宿っていた。
シャキッとはしたようだ。だが、果たして大丈夫なのかな。相手は強敵だぞ。
カクメイは椅子に座ると、にこりと笑う。
「私の頭に叡智の光を戻してくれてありがとうございます。温泉と料理のお礼に、この難局を救ってご覧に入れましょう」
言葉は頼もしい。だが、本当にゴブリンを倒せるのか。不安だった。
ロシェをちらりと見ると、ロシェは自信ありげにニヤリと笑った。