第六話 魚心あれば水心
エンリコの心配は当たった。実家は潰された。税制改革を口実にユウトの実家は家と屋敷も奪われた。資産も没収された。他の多くの商人もそうだった。
総督は商人から重税で巻き上げた金を庶民にばらまいた。完全なご機嫌取りだった。貧富の格差が広がっていた国では金持ちへの風当たりが強かった。結果、総督への人気は上がった。
総督は農地の改革にも着手した。豪農や地主は土地を安く総督に買い上げられた。
総督が買い取った土地は小作人に安く売られた。没落した家は多いが、恩恵を受けた人はより多いので総督の人気は高い。
ユウトの村は誰しもが小さな土地しか持たない。大浴場も鉱泉水の利権も村の共同財産なので影響を受けない。
高級官僚は解雇や左遷をされた。だが、僻地の庄屋は見向きもされない。これが大庄屋なら別だったのだろう。だが、ユウトは影響を受けなかった。改革の隙間にユウトはすっぽり隠れていた。
書類の整理をしていた。
古物商に化けた長男のエンリコがやってきた。
「不要な品はございませんか?」
「それなら」と素知らぬ振りをして国宝級の器を五点、捨て値で売った。
兄には才覚があるので再起できる。
次兄のニケも古物商に化けて買い物にきた。
「不要な品を買い取ります」
「なら、これを」と白々しくニケにも国宝級の花器を売った。
あとは長女のセーラがくれば品物の処分はあらかた終わる。
だが、セーラが中々来ない。
やきもきと待っていると、十人からなる役人がやってきた。
役人は皆、黄色い服に冠を付けていた。税務署の役人だった。
一番身分が高い役人は税務署の人間で、ボンドと名乗った。
ボンドの年齢は四十くらい。痩せて眼光が鋭い陰気な人間だった。
どきどきした。だが、脱税はばれないと思った。
運び込まれた食器は数百点。金目のものはエンリコとニケが持って行った。
数百点に混じる残り数点の品に気付くわけがない。
「ユウトさんですね。税務調査に来ました」
「税はきちんと代官に納めていますよ」
ボンドの目が暗く光る。
「ユウトさんにはお姉さまにセーラさんがいますね」
まずい、これ姉さんがなにかへまをしたぞ。
顔に動揺が出ないようにして気を引き締める。
「いますが何か?」
「お姉さんが脱税で捕まりました」
捕まったんか。これは姉さんが喋ったか。でも、ブラフかもしれん。
「そうですか、それは残念です」
「そこでここに税務調査に来ました。大量に買われた食器を見せてください」
終わったな、と思った。ボンドはこちらの手口を知って踏み込んできた。
当然、こっちが隠している美術品について知っているはず。
いや、まだ諦めるのは早い。
「どうぞ、こちらです」と蔵に案内する。
役人たちの動きは実に手慣れていた。全ての梱包を解き、高価な品を見つける。
見つけた証拠品はユウトの前にこれ見よがしに置かれた。
残っていた十点の脱税品が全て発見された。
万事休すだと覚悟した。
ボンドが勝ち誇った顔で告げる。
「これらは国宝級の器。いち庄屋が持つに過ぎたる品です。どうやって手に入れたかご説明をお願いします」
「それは儂のじゃよ」
入口で声がした。
振り返るとハルヒとロシェが立っていた。
ボンドの顔が曇った。
「ロシェ閣下なぜここに」
ロシェは飄々と答える。
「誤解があったら困るからのう。並んでいる名物は儂が庄屋に預けた品じゃ」
ボンドが表情を歪めて抗議する。
「見え透いた嘘を」
「本当じゃよ。それともこんな老いぼれには似つかわしくない品だとでも」
助けてくれるんですか、ロシェさん。
ロシェはにこにこしながらボンドに近付く。
「ここじゃなんじゃから、ちょっと向こうで話そうや」
二人は蔵から出て行った。
残った税務職員はとても苦い顔をしていた。
ユウトはハルヒに訊いた。
「ロシェさんを呼んできてくれたのか?」
「なんか大変な事態になりそうだったから」
有難い。非常に助かった。
ロシェとボンドはすぐに戻ってきた。
ボンドがむすっとした顔で税務職員に指示する。
「それと、それ、あと、それだ」
ボンドは器を三点だけを指定した。
「では、ユウトさん、セーラさんの追徴課税分として三点を貰っていきます」
てっきり全部没収された上に逮捕されるかと思った。
「わかりました。ロシェ閣下の許可があるのでお持ちください」
ボンドは三点だけを引き取ると大股で帰っていった。
「助かりました。ロシェ閣下」
ロシェの顔は明るい。
「そう認めてくれると嬉しい。ただ、この貸しはタダではないぞ」
脱税を見逃してもらう代わりに取引か。なにをさせる気だ。
偉い人の頼み事って高く付くぞ。
「具体的になにをすればよいのでしょうか」
ロシェは気軽に尋ねる。
「庄屋殿。この村には何か秘密があるな。包み隠さず教えよ」
老婆・ロードの秘密に気付いたか。
どうする? 誤魔化すか。
ロシェの鋭い眼光がユウトを捉えた。
止めておこう。助けてもらったわけだし。
「実は俺は老婆・ロードなんです」
ロシェは驚いた。
「なんと、百年に一度、出るか出ないかの幻の職種か」
やっぱり、間違えたよ。
「オーバー、ではなく老婆です」
ロシェはわからなかったのか首を傾げる。
「老婆・ロードには老人を強化する能力があるんです」
ロシェはハルヒを見る。
「そんなのあるのか?」
「さあ?」とハルヒも首を傾げた。
「ここにいるんですから、あるんですよ」
ロシェの顔は納得していなかった。疑ってもいなかった。
「あるのかもしれんなあ。ここに来てから儂も兵たちもすこぶる調子が良い」
「老化による人体へのマイナス効果は俺が近くにいるとなくなります」
介護の大変さを知るハルヒは老婆・ロードの価値に気が付く。
「ユウトさんの能力って凄いですよ。老化による影響を受けないなら、百年修行すれば百年分の経験がそっくり身に付くってことですよ」
ロシェも気が付いた。
「老いの制約を受けないキャリア百年の剣士か。どれほどの強さか想像もつかんな」
勘違いしてもらっては困るので指摘する。
「待ってください。老婆・ロードの能力で寿命が延びるわけではないんです。百まで生きられるか、どうかわかりませんよ」
ロシェは納得した。
「寿命まで延びたら壊れ性能だからのう。わかった。でも、利用価値は高い」
ロシェの言葉に全く納得がいかなかった。
「そうかなあ。精々お年寄りに健康に過ごしてもらうくらいの価値しかないですよ」
ロシェは真剣な顔で命令した。
「ユウトの考えは誤りだ。老婆・ロードの能力は世の中を変えるぞ。ユウトが老婆・ロードだということは三人だけの秘密にしろ。口外は許さん」
「でも、ロシェ閣下でもおかしいと気付いたんですよ。他の人間も気付きますよ」
「温泉だ。温泉のせいにしろ。ここの温泉は浸かると若返るとしておけ」
「そんな無茶な」
ロシェの態度は頑固だった。
「無茶でも無理でもやれ。オーガの城を落とすよりは簡単だ」
ロシェはにやりと笑う。
「つまらない僻地勤務だと思ったが。なかなかどうして、人生とは面白いものよのう」
なんか、ロシェさんの心に火が付いたな。悪い事が起きないといいけど。