第四十三話 穀物取引所
秋の終わりに、リシュールがやってくる。
リシュールが笑顔で資料を提示する。
「庄屋殿、この地に穀物取引所を作りましょう」
「今でも穀物商が来て小麦を売り買いしていますよ」
「現物の取引もそうですが、書類上で穀物を動かすのです」
穀物の先物取引か。あまり良いイメージがないな。
「将来の価格を決めたりして売り買いできるシステムですか」
リシュールはユウトを褒めた。
「さすがは元豪商の御子息、よくご存じで」
「商いが活発になるのはいいですが、投機筋が動くと百姓の生活が狂います」
「村は実質兵糧庫になっています。また、酒蔵も作れば需要も調整できます」
「銀行もあるから、売りと買いで市場介入できるか」
売買量も制限すれば乱高下はある程度緩和できるかもしれない。
リシュールがにこりと笑う。
「その気になればかなり儲けられると思いますよ」
インサイダー取引か、感心しないな。
「俺の収入は俺が心配します。リシュールさんは村の発展を第一にしてください」
「欲のないお方だ。でも、取引は結果的に穀物価格の安定に寄与するでしょう」
ここら辺はよくわからないな。資本規制をすれば上手くいくのかな。
南の村は穀物価格の低迷と凶作で泣いた。
少しでも助けになるのならいいのだが。
「何事も経験です。来年の春に開設しましょう」
気温が下がってきて秋も終わりかなと思っていると、ホークがやってきた。
三度目の訪問だったため、兵士もホークを覚えておりユウトを呼びにきた。
ホークの表情はちょっぴり渋い。
「山の民として会談を申し込みにきました」
山の民も外圧がかかって大変だろうな。
「議題は東の村ですか?」
「山の麓に入植するのは止めてもらいたい」
不満はわかる。だが、いま作っているのは村だ。砦ではない。
「でも、元々は村があった場所ですからね」
ホークはつんとした態度で突っ撥ねる。
「事情が変わりました」
「決定権がない庄屋と話しても意味がないでしょう。上に会談の申し込みありと伝えます」
会談はありがたかった。話し合うのなら、いきなりの攻撃はない。
雪山龍を誘導されてはまた大きな被害が出る。
ミラに急ぎ手紙を送ると、会談の日時が伝えられる。
会談の申し込みは予想されていたのか、冬の頭に可能だった。
会談の会場はユウトの村。接待役はユウトが務める。
補佐をリシュールに頼み、給仕長をハルヒに頼んだ。
マオ帝国の外交官は七人と前回より多い。知った者はミラしかない。
山の民は、ゴブリン、トロル、バード・マンの他にダーク・エルフ、オーク、ナーガが加わっていた。ナーガは人間の上半身と蛇の下半身を持つ種族だった。
前回の会談は初日の夕方前に終わったが、今回は山の民が一泊する。
夜に階段を立ち聞きしていたハルヒに訊く。
「会談はどうだった?」
ハルヒは表情を曇らせて答える。
「ギスギスしていました。マオ帝国も山の民も一戦構えるのはやむなしです」
それは困ったね。場合によっては雪山龍対策が必須になる。
「すぐにでも、戦争になりそう?」
「それがですね。マオ帝国も山の民も内部で意見の統一ができていないようです」
七名も来たのは、考え方が違う勢力が勝手に交渉を進めないための措置か。
戦争は回避してほしいけど、どうなることやら。
二日目は、急遽会談が昼からに変更となった。
どちらの陣営も一晩では意見が統一できなかった。
リシュールに尋ねる。
「会談はどっちに向かいますかね?」
「帝国は北と西の整理がついていません。今年は軍事行動が不可能です」
「いいところ、停戦ですか?」
「山の民のも冬に東の村を落としたとして、夏に取り返されるのでは意味がない」
北東、東、南東の三村を落としても、密貿易ができなくなるだけ。
なら、戦うメリットがない。双方に戦うメリットがないならば冬は安全か。
二日目の会談は夕食前に終わった。
山の民の使者は一泊してから帰っていく。
マオ帝国の使者は山の民が帰ってから時間をおいて帰った。
ミラだけが村に残った。ミラは素っ気なく告げる。
「今日は庄屋の家に一泊するから」
代官が庄屋の家に泊まるのは珍しいことではない。
だが、このタイミングだ。極秘指令があるのだろうと思った。
ミラは夕方まで大浴場にいって風呂を楽しんでいた。
夜に帰ってきたので飲みながら会話をする。
「領主様の方針を伝えます。春が終わるまでは現状維持です」
現地の領主が動かないのなら、マオ帝国からの開戦はない。
雪山龍による攻撃は山の民の考え方しだいか。
「春以降はどうします?」
ミラは怖い顔で命じた。
「戦争です。準備をなさい」
密貿易の利益は惜しいが領主様の決定ならば逆らえない。
「どれくらいの規模になるのですか」
「歩兵三万五千で山に進攻。モンスターの砦を占拠します」
この地方の人口が一万二千人クラスなので大戦だ。
必要となる物資も兵糧も桁違いだ。密貿易と比べものにならないほどの大金が動く。
商人のロックは知っていた。ならば、戦は昨日今日に決まった話ではないはずだ。
上層部は、すでに準備を開始している。
「マオ帝国は山を制圧して極東の国に攻め入るのですか?」
「極東も手中に納めてこその帝国よ」
もしかして、急激に大きくなった帝国には分け与える土地が足りていないのか。
南方は元々、人口が多く貴族も多い。満足させるには広い土地が必要だった。
征服した土地から旧来の貴族を全て追い出すこともできない。
ある程度は、所領を認める必要がある。
良い土地は誰もがほしい。皇帝の直轄領も必要となると、拡張戦争を続けるしかない。
六村の食料と金の備蓄を計算する。戦にともなう負担は苦しいものになりそうだった。
これは戦争を見越して穀物取引所を開設してでも利益を出すべきか。
ミラが帰って行くと、しばらく会っていなかった父のアンドレが村にやってきた。
アンドレは村を見て驚いていた。
「なんと立派な村だ。よく短い間にここまで成長させたものだ」
再会した父はずいぶんと老けて見えた。
「ご無事でなによりです。ここには温泉があります。ゆっくり楽しんでいってください」
アンドレは言いづらそうに切り出す。
「一つ相談がある。儂をこの村に置いてくれないか」
「どうしたんです? 兄さん夫婦と上手くいっていないんですか?」
「財産を全て失ったが、エンリコと一緒に再起には成功した。商売も軌道に乗った」
ピンときた。商売の方針を巡ってアンドレとエンリコは対立したか。
このままではせっかく立ち直った商売がダメになる。
だからアンドレが身を引くことで丸く収めようというわけか。
潔い決断だと思った。アンドレは商売の厳しさを良く知っている。
意思決定がふらつくとすぐに他の商人に出し抜かれる。
エンリコとしても自分が軌道に乗せた商売なら好きにやりたいはず。
だが、恩があり商売を手伝ってもらったアンドレを簡単に捨てられない。
アンドレが身を退くタイミングを待っていたと見ていい。
ユウトに躊躇いはなかった。
「父さんと一緒に暮らせるのは嬉しい限りです」
アンドレはほっとした。
「受け入れてくれるなら助かる」
「父さんには是非、やってほしい仕事があります。父さんにしかできない仕事です」
アンドレは少し不思議がった。
「帳簿の記帳か? それとも、金の管理か?」
「いいえ、来春から稼働する穀物取引所の所長です」
アンドレはユウトの発言に驚いた。
「いいのか、そんな大役を任せて」
ユウトの祖父は穀物商だった。
アンドレの代から嗜好品に手を拡げた。結果、貴族たちに気に入られ財をなした。
祖父の仕事を知るアンドレなら穀物相場に精通している。
信頼がおけて能力もあるので適任だ。
「お父さんになら安心して任せられます」
「わかった。仕事を手伝わせてもらうよ」
アンドレの決断は早かった。アンドレは飛竜便を使ってすぐに街に帰る。
十日で残務整理をすると、身軽になって引っ越してきた。
やりがいのある仕事を見つけ、父は活き活きとしていた。
取引所では小麦と米が扱われる。米は東では作られない。
アンドレは東では作られていない米の輸送ルートをも確保した。
マオ帝国の軍人にはパンよりも飯のほうが好まれる。
戦争となれば当然に米の消費は増えると思われた。




