第二十話 拳王・ナム老師
ドリューの首は街に送られた。多忙なのか、エリナは村にこなかった。
仕事をしていないと誤解されないように手を打つ。
職業訓練所の提案書を郵便で送っておいた。
村に新たな入居者がくる。ナム老師と呼ばれる武僧だった。
ナムはマオ帝国の二大宗教の一つ、天哲教の元大僧正。歳は百二十三歳。
威厳を保つためか、ナムは一般入居者の二十倍の持参金を持ってきた。
お金で入居者を差別したくはない。
だが、エリナから失礼がないようにとの申し送り状が届いていた。
エリナの顔を立てるために、手の空いている職員一同でお出迎えする。
ナムは国内に十台しかないと言われる空飛ぶ車でやってきた。
車は長さが六m、幅三m、高さが二mの黒塗りで白虎の霊獣が牽く。
この世界における高級リムジンだった。
車が到着すると車椅子が降ろされる。ナム老師が車から降りてくる。
ナムは痩せた面長のどこにでもいる老人だった。
「ようこそおいでくださいました。庄屋のユウトです」
ナムからは返事がない。耳が遠い訳でもない。
表情は乏しく、目に光もない。呼吸すらしているか怪しい。
死んでいるんじゃないかとすら思えた。
お付きの武僧は八人。七人は緑の服を着た男だった。
一人だけ赤い服を着た、茶の髪を肩まで伸ばした女性の武僧がいた。
観察していると、女性がお付きのリーダーとわかった。
リーダー格の女性は三十代。リーと呼ばれていた。
リーが申し訳ないと言い添える。
「老師は長旅でお疲れです。申し訳ないが、挨拶はまた後日とさせてください」
挨拶すらまともにできる状態ではないのか、長くはないな。
「ハルヒ、ナム老師を家にお連れして」
慣れた調子でハルヒが優しく声を掛ける。
「行きましょう老師。この村は暮らしやすいですよ」
ナムは無表情かつ、無言だった。
四日後、道を歩いていると見慣れないお年寄りから挨拶された。
「庄屋殿、今日は良いお天気ですな。ここに来てから飯もうまい」
はて、と思う。顔と名前が一致しなくても、村人の顔は覚えている。
だが、記憶にない。外部から見知らぬお年寄りが紛れ込む事態はない。
村にいるなら入居者のはず。
「ありがとうございます」と挨拶を返して記憶を必死に辿る。
「老師、お一人では危険です」
ナム老師のお付きの女性が走ってきた。
目の前の老人はナム老師か?
別人のように明るく元気になっていて驚いた。
ナムはお付きの女性に微笑みかける。
「リーは心配し過ぎじゃ。どれ、あとで稽古をつけてやろう」
三日前まで死体ではないかと勘違いする寸前だった老人だ。
稽古なんかして大丈夫なのだろうか。
お昼になると、ハルヒが料理を持ってやってきた。
スープ・カレー風味の雑煮だった。村に来てから初めて見るメニューだ。
「どうしたのこれ?」
「ナム老師が作りました」
餅米は村では作付けしていない。
だが、前のゾンビ・マスター騒ぎの時に兵糧として搬入されていた。
「餅入りか、たまにはいいね。でも、搗くの大変だったでしょう」
ハルヒが困惑した顔で告げる。
「それが、ナム老師が一人で搗きました。余った餅は近所に配っています」
なんだと? 歩けるようになっただけでなく、餅まで搗ける、だと。
転生前に臼と杵で餅搗きをした経験がある。かなりの重労働だった。
何升の餅を搗いたかわからないが、これはもはや異常だぞ。
明るく元気なナムは村にもすぐに溶け込む。
太極拳にも似た健康体操も村で広めた。
さらには、リーと一緒に稽古にも励んでいた。
ここまで顕著に老婆・ロードの影響が出た人は初めてだ。
ある日の十五時にナムが訪ねて来た。
ナムはすこぶる元気だった。
「庄屋殿、粽を作ったから持ってきた。食べてくれ」
小腹が空いていたところだ、休憩にするか。
「旅商人から買った茶葉があります。お茶を飲んでいきますか?」
ナムはニコニコと応じる。
「では、御馳走になろう」
粽は香辛料が効いており、俺が元いた世界で言うならインド風の粽だった。味は美味い。
簡単な世間話のあと、ナムが切り出す。
「庄屋殿に預かってほしいものがある」
遺言かな。お年寄りが多い村だけに遺言の相談はよくある。
庄屋には村人の遺言作成を補助する職権もあった。
「遺言なら相談に乗りますよ?」
「似たようなもんじゃな。天哲教に伝わる秘伝を預かってくれ」
予想以上に大きな依頼だな。これ、慎重にならないと相続争いに巻き込まれるぞ。
「遺言状ならいいですが、秘伝はちょっと」
ナムは頭を下げた。
「最初で最後のお願いじゃ」
「弱ったなあ」
ナムは真剣な顔で頼んだ。
「では、しかと頼みましたぞ」
なぜか急に眠くなった。激しい頭痛が襲う。尋常ではない眠気だった。
まさか、粽に毒が入っていたのか。
助けを呼ぼうとしたところで、意識が途切れた。
目を覚ました時にはベッドの上だった。
横には治療術士のパメラがいる。
「庄屋殿。毒は抜きました。もう、大丈夫です」
「ナム老師はどうしました?」
「お亡くなりになりました。死因は老衰です」
百二十三歳なのでいつ亡くなってもおかしくはない。
ナムは自分の死期を知っていた。ナムの最期の言葉が気になった。
動こうとしたらまだふらふらする。
パメラはそっと宥める。
「身体が弱っているのでしょう。あまり無理をしないほうがいい」
色々と調べたいことがある。だが、体はとても疲れていた。
体調不良で動けず、二日寝込む。元気になった時にはリーも帰っていた。
ナムの葬儀は本国の総本山で行われる。
遺体は魔法で保存され、運び出された後だった。
「わけがわからない状況だが、終わったんだな」
ナムが託したかった秘伝がなんだったのかは、結局わからないままだ。
毒を盛ったのがナムだったのかも不明。
リーたち武僧がやってきて、家の片付けと掃除をする。
武僧の掃除は丁寧で、家の引き渡し時にはぴかぴかになっていた。
ここまで綺麗にしていく人も珍しいな。
掃除を終え私物の運び出しが終わると、武僧たちは帰って行く。
リーは武僧を先に帰すと、馬鹿丁寧に村人全員に挨拶をしていった。
最後にユウトの家を訪ねる。
リーが頭を下げる。
「短い間ですがお世話になりました」
「真に残念ですが、命ある人ゆえに別れもまた必定です」
リーとはそのあと二言三言、簡単な会話をする。
さらっとリーが訊く。
「ところで、庄屋殿。ナム老師は亡くなる前になにか頼んでおられませんでしたか?」
「秘伝を預けたいとか言ってましたね」
リーの表情がピクリとだけ動いた。
「それで秘伝はどこに?」
「それが、預かる前に私は倒れ、老師が亡くなりました」
「老師は遺言を残しておられましたか」
「いいえ、残そうとしたのかもしれません。ですが、詳しい内容を聞く前でしたからね」
リーがじっと見ている。
明らかに俺が疑われているな、これ。
俺が秘伝を横取りしようとしていると思われているのか。
仮にそうだとしても、俺が秘伝を受け継いだってなんの役にも立たないよ。
参ったなこの手の誤解って簡単には解けんぞ。




