第百八十七回 新たな夏
春が終わりを迎える夏に向かって行く。サイメイから報告にやってきた。
サイメイの顔は心なしか明るい。
「庄屋様、養蚕による鋼糸の製作がスタートしています」
「問題は起きていない? 誰かが妨害しにきているとか?」
サイメイが少しばかり不思議な顔で説明する。
「妨害はありません。ただ、村ではネズミの親分は蚕を齧らない。齧る奴は悪いネズミだ、謎の歌が流行っています」
ペネたちは正面衝突を避けた。約束も守る素振りでの様子見だな。現状はこれでいい。
サイメイの報告は続く。
「設備が整ったので、南東の村でお年寄り向けの居住施設の二号館がオープンします」
「街の施設なので街のシンボルであるキリンの旗を贈る。大事な旗だからなくなさないようにね」
これで旗の効果範囲にいるお年寄りは元気になる。世話もし易くなるだろう。
「魔法のペンの製法が届きました。作れる職人が熟練に限られるので量産は無理です」
ペンの製造法についてはもっと楽にできる方法があるのかもしれない。だが、いきなり最良のものを与えないのは、革新的な発明として特許をホークが売りにくるためかもしれない。それでも、問題はない。こちらも新製品が出ましたとして売るだけだ。
「魔法のペンの使い心地は良いでしょう」
サイメイの反応は良くない。
「試作品をもらいましたが便利です。問題は小さく高価な点です。紛失や盗難が心配です。数を売れば使われている召喚石の出所が問題になるでしょう」
裏帳簿を管理しているサイメイにはユウトの下には召喚石がある事実を伝えている。だが、入手経路については知らせていない。サイメイは非合法経路であると勘づいているだろうが、聞いてこないので教えてはいない。
「召喚石は冒険者が持ち込んでいる山からの戦利品だよ。俺はたまたま持ち込まれた危険な品を善意で回収していた立場だよ」
「よくいいますね」とサイメイがボソッと言う。サイメイが気を取り直して報告を続けた。
「肥料工場ですが、少量ですが肥料らしき物ができました」
正規の予算が付き、焦りも消えたのでいい仕事をしてくれているとユウトはみた。
ただ、サイメイの気になる言い方なので確認する。
「らしき、ってどういうこと。もう少し詳しく教えて」
サイメイの表情は厳しい。パパルの報告を頭から疑っている。
「パパルはこれが空気から作った肥料だと、主張する実物を見せてくれました。ですが、信じられないです。畑には使用すれば真偽はわかりますが、結果が出るか怪しいです」
少量でも完成したのなら先はある。問題はこの生産量では夏に使用できてもわずかだ。今年の秋の大幅増収は見込めない。だが、形になったのなら、コストを下げて量産できれれば期待できる。
「ゆっくりでも進んでいるのならよしとしよう」
サイメイの表情が引き締まる。
「よくない報告が二点あります、山でマオ帝国軍が負け始めました」
冬に敗北の報告が入ってこなかったので、占領地を維持できると見ていたが甘かった。どんどん、軍が後退していけば、山の中に村を作る事業は無理だ。送った分だけ入植者が死んでいく。
だからといって、無理だからやらなくていい、と考えていけない。偉い人ほど下々の苦労は気にしない。また、成果は出て当然と考える。トリーネの顔色と機会を見ながら進めるしかない。
「山への入植はタイミングを見よう。もう一つの問題は何」
サイメイが次の問題を提示する。
「嵐龍が山の中で活動しています。山の中に侵攻しているマオ帝国軍に多大な被害が出ています。山の民は嵐龍を操ってはいませんが、誘導できるようです」
雪山龍にしても嵐龍にしても単体で脅威となる存在だ。できれば、マオ帝国軍に頑張ってもらいたい。山の中の制圧地域を全て奪い返したら、山の民は進行拠点になっている街まで嵐龍を誘導する。
「嵐龍に備えておく必要があるな。対龍抗槍の製作しよう。幸い街には製造できる職人がいる」
サイメイの顔が沈む。
「タダの対龍抗槍では無駄です。嵐龍は嵐を纏う龍です。射出兵器である対龍抗槍は嵐龍に届きません。どんなに威力が強い兵器でも当たらなければ無意味です」
サイメイの言い方から既にマオ帝国軍では試した可能性が高い。バリスタのような対龍抗槍でダメなら、一工夫必要だ。理想は嵐龍が地上に下ろす新兵器だが、そんな便利な物が作れるかは、未知数だ。
「頻繁に嵐龍が麓に出たら大工が逃げる。そうなれば築城にも影響する話だ、頭の痛い話だ」
サイメイが渋い顔で承認を求めて来た。
「城の件ですが、モルタが中心になり進めたいと申し出ています」
リシュールが推挙してきた人物なので期待している。積極的に仕事をしてくれるのならなおいい。だが、サイメイの顔は渋いのが気になる。
「俺は仕事を任せてもいいと思う。でも、何か問題があるのか? もしかして、口先だけで何もできない男だったとか」
「仕事はできるでしょう。ですが、マタイ老とは性格が合わないでしょう」
建築家と現場監督が揉めるケースか。個人の注文住宅なら、施主が間に入っていけばいい。だが、今回の施主の立場にいるのはトリーネだ。
誰も個性が強い。進捗が不安といえば不安であるが、城を建てないわけにはいかない。ユウトが失敗していい理由にもならない。
「モルタの仕事振りを見る上でもやらせよう。単なる頭でっかちだと、この地の仕事は勤まらない。いよいよダメなら俺が調整する」
優秀な家臣団は欲しいが、優秀な人材は自己主張が強い。人間であるので「全てはユウトのために」とはならない。
庄屋のためには働くが、仲間のあいつは好かん、となれば足の引っ張りあいにもなる。『皆仲良し家臣団』は夢物語だ。俺は庄屋だから俺の仕事なんだろうな、とユウトはボンヤリと思う。
サイメイが報告を終えたので帰ろうとした、何かを思い出した。
「これは私の家庭の事情ですが、庄屋様にお伝えしておきます」
なんだ? とユウトが身構えると、サイメイがサラリと教えた。
「マナディの祖父、カラヤン様が到着しました」
なんだかんだいって、マナディは街に祖父を送ってきたのか。邪魔な祖父を僻地に追いやっただけかもしれない。それでサイメイが街にいてくれるのならいい。
「街は気に行ってもらえたかな」
「それはもう気にいっていますよ。到着三日目までは大人しかったのですが、今では人が変わったようです」
老婆・ロードの影響が出たか、元気になってくれるのならよかった。
ユウトの安堵に対してサイメイは釘を刺す。
「カラヤン様は隠居のカラヤンと名乗って出歩いています。そのまま、喧嘩、博打、遊興と人生を謳歌しており、商売にも興味を示しています。この地で旗揚げする勢いです」
元気になり過ぎた。サイメイとしては義祖父の面倒を見なくていいが、ユウトは困る。
この地にはトリーネがいる。まさか東の地で一大勢力を興して、領地の乗っ取りとかを考えないよな。
心配を隠して冗談めかして発言する。
「おいおい、まさかこの地を奪うつもりか?」
ユウトの冗談にサイメイは真顔で答える。
「カラヤン様の育った時代は国盗りが盛んな時代。相手の国の乗っ取りは常でした。カラヤン様は生まれながらの大貴族なので無縁でした。ですが、儂も成り上がってみたかったと昔にカラヤン様は話しておりました」
マナディの圧力から解放されたら、マナディの家から新たな侵略者がやってきた。
『夢よ再び』と英雄が台頭したら危険だ。トリーネの地位を脅かしたら、ユウトの立場も危うい。まさか、後からやってきた老人に、権力を脅かせるとは思ってもみなかった。
2025.7.22 ここで第五部は終了です。
いまのペースだと第六部は半年後の年明けでしょうか。