第百七十六回 キリクの悩み
暦の上では季節が冬から春になる日が到来した。多い雪のせいでまだ野山には雪が残っている。気温もまだ上がらない。仕事をしているとオリバがやってきた。
オリバの顔は冴えない。
「庄屋様、やはりマンモスは北東の村の近くにいる。おそらく、この辺りの昔話で語られるグレート・マンモスだ。にしても、想像以上にデカい」
大きな象なら驚かない。だが、ここは異常な土地である。規模感が違う。
「どの程度ですか、通常の三倍くらいですか?」
「この地に象はいないから見た経験はない。だが、体重は優に百tを超える。村に到達すれば、防壁を易々と突き崩し、小枝を薙ぎ倒すように家を壊す」
東の地に来る前なら「そんな馬鹿な」と笑ったが、ここでは有り得る。今は幸い冬なので村から戸外に出る人は少なく、猟師や冒険者くらいしか活動しない。
雪が融けて人の活動が増えれば生活音が増える。音に誘われて村にマンモスがやってくるかもしれない。また、畑の作物に惹かれて村まで来れば被害が大きい。
「倒すしかないですね。どれくらいの人が必要ですか?」
厳しい顔でオリバは説明する。
「兵士が百人もいれば倒せるかもしれないが、犠牲者が出る。また、春先の雪の上を歩くのでは速く移動できない」
グレート・マンモスのように四足歩行で体が大きいならでは利点だ。春先の雪の上でも体が大きければ、苦も無く歩ける。だが、人間には湿った雪の上を歩くのは大変だ。
陸がダメなら空からはどうだ。
「氷竜による上空からの攻撃はどうでしょう」
「実はグレート・マンモスを確認するためにコタロウ殿の力を借りました。コタロウ殿いわく、氷竜のブレスだけでは無理とのことです。格闘戦も絡めれば別との評価ですが」
氷竜での格闘戦は止めてもらいたい。コタロウの氷竜は街で保有するただ一頭の航空戦力である。死にでもしたら、損害が大きい。冷たいようだが、冒険者百人が全滅するより氷竜一頭の死は街には痛い。
「氷竜を失うわけにはいかない。新しい卵を取ってきましたが、無事に育つ保証はない」
オリバはユウトの答えを予想していたのか、驚きはない。
「死人が出る覚悟で人を集めますか? 何人死ぬかによりますが、グレート・マンモスを仕留められれば損は出ないでしょう」
百t越えの肉の塊なら、毒を使わなければ金になる。革も骨も利用できる。仕留められれば利益が出るかもしれない。
ユウトの考えを呼んだのかオリバが提案する。
「グレート・マンモスの肉ですが、コタロウ殿が欲しがっていました。野生の肉なので硬く、臭みもあります。売るより、氷竜の餌にしたいそうです」
雪が残る季節であれば、しばらくは保存が効く。ならば、氷竜の餌にしたほうがいい。ここでユウトは気が付いた。
「この話はちょっと待ってください。キリクさんにも話を持って行きます。グリフォンも肉食のはず。肉の提供で協力してくれるかもしれない」
急ぎの用ができたのでキリクのいる宿舎に行く。キリクは留守だったが、一時間ほどで戻るとのことなので待つ。
待っている間に外を見ていると、キリクのグリフォン隊に心なしか活気がない。かといって、暗いわけではないので、戦いで損害を出したようには見えない。何かが起きているのは明白だった。
モヤモヤしながら待つとキリクがやってくる。キリクは表面的には明るかった。
ユウトから要件を話す。
「グレート・マンモスと呼ばれる百tの化物を狩るのですが手伝ってもらいたい」
ユウトの言葉にキリクの顔が輝いた。
「狩りのお手伝いは喜んでしましょう。できれば、グレート・マンモスの肉を分けてもらいたい」
「手を貸すのなら当然の権利ですよ。肉は竜舎とグリフォン隊で分けましょう」
ユウトの言葉にキリクは安堵していた。ここでユウトはキリクの問題について尋ねる。
「キリクさんは何かお悩みがあるのでしょう。肉を分けるだけでは心苦しい。悩みを相談してくれませんか」
ユウトの言葉にキリクは恐縮する。
「実は金に困っていて、金を貸してほしい」
キリクが金に困っているとは知らなかった。何に使うのか知りたい。
「金をお貸しするのはいいです。ですが、良ければ使途を教えてください」
「グリフォンの餌代です。国元へは援助を頼めず、軍からの配給は少な過ぎる。おかげで、飢えたグリフォンが軍の馬を襲って苦情が凄いのです」
騎馬隊を組織しているのに、馬の飼い葉をケチったら馬鹿である。マオ帝国は馬を知るが、グリフォンの生態を知らない。どれだけの餌が必要か理解できていない。下から餌が足りないと、要望を上げても決済が下りるまで時間がかかる。
「額を教えてください。どうにかします」
キリクの伝えた額は思いの他低いのでユウトから申し出た。
「もっと必要でしょう。提示額の三倍貸しましょう。利子はいりません。返済も三年はしなくていいです」
ユウトの提案にキリクは驚いた。
「さすがにそれは悪い。そこまでしてもらう義理はない」
「私はこの地を治めるトリーネと結婚します。トリーネとキリク様のお母様は御親類。ならば、私にとってもキリクさんは親族なのです。親族が助け合うのが、いけないことでしょうか?」
「そうなんですか?」とユウトの言葉にキリクが驚いた。東の地の人間にとって領主が誰と結婚するかは、生活に関わる大きな問題。軍の上層部も関心がある。
だからといって、他の地方から東の地に派遣されている部隊の人間が知っているとは限らない。興味のない情報は記憶に残らないし、入ってもこない。
「いや、でも……」とキリクは迷っていた。
人が良すぎるなとユウトは微笑ましく思ったので一押しする。
「お金に苦しいのはキリクさんだけではないですよ。西からきたマリクさんを知っていますか?」
マリクの名前を出してもキリクはピンときていなかったので言い換える。
「カレー王子といったほうがわかりますか?」
言い換えると、「あーあー」とキリクが納得した。
マリクの軍での仇名がカレー王子として定着していると思ったら、当たった。
「マリクさんが足りないカレー粉をどこから調達していると思います? マリクさんにカレー粉を流しているのは私なんですよ」
「エッ、そうなんですか?」またもキリクは驚いた。
「カレー粉と引き換えに時間があれば、町の仕事をしてくれています。皆さん、それなりに遣り繰りしているんですよ。真面目にやっているのはキリクさんくらいですよ」
「うーん」と唸ってキリクは考えていた。あまりに時間を掛けても無駄だとユウトは判断した。
「考えるのはお任せします。ですが金は銀行にグリフォン隊用の口座を作って入れておきます。必要に応じて引き出してください」
キリク用というと断るかもしれないのでグリフォン隊用としておいた。