第百七十五回 西の村の開発計画
冬も終わりに近づいてきた。キリクに出した使者は帰った。キリクの返事は『後で直に話す』との回答だった。気にはなるが、催促してはキリクが気を悪くする。
そうしていると、カオリがやってくる。カオリの表情は芳しくない。
「庄屋様、氷竜の件でご報告にきました。卵は二つとも孵化させることに成功しました。二頭とも牡でした」
危険を冒した甲斐があった。カオリの顔から孵化報告だけではないと感じた。
カオリの報告は続いた。
「一頭は体がとても弱いので、今年の夏を超えられるか不明です。氷竜の育成には大量の餌がいります。一頭を処分するならいまの内です」
竜士に聞いてもいいか迷ったが、気になったので尋ねた。
「体の弱い氷竜を処分すると、氷竜の亡骸は売れるのか?」
「売れます。ただし、竜士の里では亡くなった竜は山に還すのが基本です」
街の財政を考えれば、生きている内にペット用として販売する。ないしは死んだら解体して素材として売るのがいい。
『売る』は竜士として信仰や伝統を汚すのはわかる。道徳で街は運営できない。だが、伝統や信仰は昔の人の知恵が宿っている。祟りではないが損得で動くと何か悪い予感がする。
プロの目から見る『亡くなるかもしれない』は当たる確率が高い。だが、外れることもあるので、成長する先もある。
「体の弱い氷竜は処分しない。育成を続けてくれ。亡くなった時はその時に考える」
ユウトの言葉にカオリはホッとしていた。竜を単なる金儲けや戦いの道具としてユウトが見ているのでは、とカオリは疑っていた。コタロウは若いので早死にはしないと思うが、戦時下ではわからない。コタロウ亡き場合はカオリに後を継いでもらうので、円滑な関係は重要だ。
今年は雪が多いせいか雪解けが遅い。雪による物資の流通の滞りはあるが、街の物資備蓄は充分にある。市場と金融が機能してるので、不足による投機で大儲けを狙う輩は出ていない。値上がりはあるが暴騰ではない。
今年の課題は西の三村を豊かにすることだ。西の三村は開発したいが肥沃な平野ではないので農業が難しい。馬産地であるが馬を急に増やすのも難しい。
自分でわからないのなら人に頼ったほうがいい。ハルヒを呼んで相談する。
「西の村を豊かにしたい。何か手はあるだろうか?」
ハルヒは考え込む。
「山菜は採れますが、高くは売れません。運ぶ手間を考えれば儲けにはならないでしょう。野菜は他の村の成長度合いにより変動します。常時、高くは売れません」
山菜や野菜で一儲けが無理なのは承知だ。
「果物はどうだろう? 街で果物の需要は多いと聞く」
ユウトの質問に対してハルヒの表情は渋い。
「山では杏子が多く実りますが、味と日持ちの観点から街では売られていません」
発展していないから物流が弱い。物流が弱いから発展もしない。よくあるケースだ。
「繊維業はできないだろうか?」
「難しいですよ。やるなら糸を持ち込んで染める必要があります。糸を運搬するのも大変ですし、染め物は河を汚します」
下流域の水質に影響するならダメだ。東の地では水は大事。下手に山からの水を汚せば流血の争いになる。何かないかと、考えているとハルヒが思いつく。
「以前お年寄りから聞いたのですが、山には糸を吐く虫がいるそうです。虫が吐く糸は丈夫で釣り糸にも使えるとの話です」
養蚕が可能なのか。染めまでやれなくても、生糸ができれば売れる。
だが、今まで誰も手を出していないのが気になる。
「産業として発展しなかったのなら何か問題があるの?」
「糸を吐く虫はネズミや鳥の好物です。鳥は建物で防げますが、ネズミの侵入は防げません。虫はどんな葉っぱでも食べるわけではないので葉の採取も難しいんです」
やはり問題があった。だが、解決できれば養蚕業も興せる。ネズミなら建築方法によっては防げる気がする。街にいる設計士の技術水準は高い。
「養蚕業を興そう。誰か頼りになる人はいないか?」
「相談に乗ってくれそうなのはマルシアさん、ですかね。街に来る前には生地を仕立屋に卸す仕事をしていました」
生地を売り買いしていた人なら糸の知識はある。会っておいて損はない。
ユウトはマルシアを屋敷に招いた。マルシアは小柄な白髪の老婆だが、背筋はピンと伸びている。着ている服は華美ではないが、清潔感がある。
マルシアは茶を飲みながらユウトの話を静かに聞いていた。
一通り話を聞くとマルシアは沈んだ顔で告げる。
「大きい問は二つあります。一つ目は庄屋様が理解している通りに糸の製造が難しい。ですが、これは解決が可能な問題でしょう」
既知の問題より、未知の問題が気になる。
「二つ目の問題はなんです。この地の糸の質が悪く、生地には向かないとか?」
マルシアがフルフルと顔を横に振る。
「いいえ、質はいいです。汚れづらく、丈夫です。夏には涼しく、冬は暖かい」
聞く限りは問題ないどころではなく、利点に聞こえる。
マルシアの言葉は続いた。
「ですが、それがいけない。でき過ぎている。染めづらく、剪断も容易ではなく、加工もしづらいのです。それゆえ、糸は鋼糸と呼ばれ、生地は古代布と呼ばれます」
単なる絹とはわけが違うのか。
「誰も加工できないのですか?」
「いいえ、古代帝国人は解決法を知っていました。古代遺跡から出た、服が時折と市場に出ます。ですが、加工技術は帝国の滅亡と共にこの地では失われたのです」
昔の人が加工できたなら、不可能ではない。
「誰か鋼糸から生地を作る方法を知る者はいないのですか?」
「知っている者がいるとすれば、山に住むダーク・エルフの一族でしょう」
ダーク・エルフは古代帝国時代から生きている古代帝国の末裔だ。
ゆっくりした口調で滔々とマルシアは説く。
「ダーク・エルフの作る衣服は下手な鎧よりは軽くて丈夫。ダーク・エルフにとって生地の加工法は軍事機密も同然なのです」
戦争が起きていなかったら、鋼糸を輸出して古代布に加工してもらう取引も可能だった。だが、今は戦争真っ最中だ。ダーク・エルフは山での最大勢力であり、戦いの先頭に立っている。使者を送れば首だけ帰ってくる。
となると、方法は三つ。技術を再現する。技術を盗む。第三者を通して裏取引をする。
技術の再現を選べば、安全ではあるが確実に大金がかかる。成功の見通しは全く見えない。そもそも、簡単な技術なら誰かが知っている。
ダーク・エルフから技術を盗めば確実に成功する。戦争中なのだから、関係もこれ以上悪くなりようがない。ただ、人間相手ではないので、ミッションが可能なスパイを探すだけでも難しい。また盗むのが軍事機密なら警備は厳重だ。
裏取引ができるならしたいところだ。ゴブリンとは召喚石の密貿易をしているが、ダーク・エルフには伝がない。
ダーク・エルフとゴブリンの仲は良くない。ゴブリンにダーク・エルフへの仲介できるかは、かなり怪しい。できても、ゴブリンたちへの仲介料は高くつくから、利益が見込めない。
ユウトが困っていると、マルシアが寂しく微笑む。
「おわかりになりましたか、庄屋様。鋼糸を作っても布に加工ができない。ゆえに、誰も鋼糸を生産しなかったのです」
本来なら鋼糸の製造の儲け話は終わりだ。だが、誰もができないのであれば、できたときの利益は大きい。また、競争相手もいないのなら独占状態にできる。当然、高い利幅が見込める。
繊維業が成功すれば西の三村が貧しい村から、大金を産む村に変わる。