第百五十四話 熱演
外に出るとリリアがハンドサインで村人に指示を出した。村人は藁の束を壁の下に設置した。また、広い布を十人で持ってきた。ドリエルは狙撃された後に後方に倒れるつもりだ。
壁越しに矢を放つ足場の高さは十m以上ある。普通に落下したら大怪我だ。だが、布で受け止めれば威力は減らせる。さらに下が藁の山なら衝撃は大幅に軽減される。
不安はあるが任せると決めた以上は静観するしかない。
館から準備をしたドリエルが出てきた。顔を見られるのを避けるためか、黒い布で顔を覆っている。夜更けに黒い布で顔を覆ったら、顔の識別は難しい。
先に足場にランタンを持ってライエルが登った。松明ではないのは、灯の方向を制限するためだ。これで顔の判別はまた難しくなる。また、ドリエルが火を恐れては困るとの措置かもしれない。
城壁には間隔を空けて篝火を焚く場所があった。ドリエルが立つ場所は篝火の間なので届く光は弱い。篝火に薪を追加していないので火の勢いもない。
光の加減にもよるが人間の目でば、体はぼんやり見える。だが、顔を確認するのは無理である。
ランタンで下を照らしてライエルは声を掛ける。
「庄屋様を連れてきた。これよりサジ殿を確認する。敵が化けている事態を考慮して、後ろの武僧と冒険者を下げてほしい」
壁の向こうで集団が動く気配がする。サジが一人になった。
足場にドリエルが上がる。
「よく戻ってきてくれた。サジたちは夜明けまで城壁の外で警備をしてほしい」
ドリエルの声を聞いて驚いた。ドリエルの声はユウトにそっくりだった。
ドリエルの声真似は素人の特技の範囲に収まらない。芸の域に達している。
「庄屋様、これをご覧ください」
サジの声のようにも聞こえるが、違うようにも聞こえる。サジの声を聞き慣れたユウトにとっても真贋の判定が付かない。
ドリエルが少し身を乗り出した時に事件が起きた。
ドスっと音がする。ドリエルは後方にのけ反った。
「庄屋様! 庄屋様!」と大声で村人が叫んだ。ドリエルが落ちてきた。布で衝撃を減らされ、藁の上に落ちたので安全な落ち方だ。また、藁の上に落ちた音を村人の声が掻き消していた。
落下してきたドリエルには顔と胸に矢が刺さっていた。
死んだか! とユウトは驚くと、ドリエルの頭部がころりと転がった。
頭部は作り物だった。頭のないドリエルが胸をはだけると、厚い木の板があった。木の板を避けると、ドリエルの顔がある。
絡繰りがわかった。ドリエルは胸に顔を隠し、板で補強している。さらに作り物の頭部を首の上に載せて演技をしていた。躊躇なく後ろに倒れる度胸も凄いが、殺される役者としても名演だ。
「敵襲! 敵襲!」とライエルが叫ぶ。足場に武僧が登り矢を射る。暗闇の中に放たれる矢なので、当てるのが目的ではない。壁の向こうバタバタと人が走りさる音がする。
村人が走ってきてドリエルを板に乗せる。ドリエルを館の中に運んでいった。
ユウトも村人に紛れて館に入る。館の扉が閉まると、板が床に置かれる。
ドリエルが身を起こすと、ユウトにむかってニコリと笑う。
「どうです、私の演技は上手だったでしょう」
素直にユウトは賞賛した。
「これほどまでとは思いませんでした。町の劇場に立つ役者でもこうはいかない」
リリアが寄ってきてユウトに注意する。
「あまり褒めないでください。ドリエル兄様が役者になる、と町に出て行ったら困ります」
場を和ますための言葉なだが、リリアの顔は真剣そのものだった。
ちょういとばかり、ドリエルは首を竦める。
「役者には興味があるが、村が大事だ。戦争が終わるまでは町にはいかないよ」
役者になりたいドリエルの気持ちは本当だとユウトは感じた。だが、トリスタン卿の長男としての立場が許さない。
戦争が終わったら、後援者になってもいいかな、とユウトは密かに思った。
明るくなってからライエルが壁の外に出た。小一時間で帰ってきた。
ライエルが報告する。
「敵の斥候は見えません。ですが、近くにはいる気がします」
敵はユウトの死を確認したいと思っている。
気持ちは理解できる。もし、ユウトを殺せたら大手柄だ。
敵が見極めるために従いてくるのなら是非にも捕まえたい。
「手はず通りに空の棺桶を牽いて帰りましょう」
ユウトが食事をしていると、外が騒がしくなった。本物の援軍が到着した。
五分もしないうちに部屋にママルが現れた。ママルはユウトの顔を見て安堵した。
「僧正様、報告を聞いて驚きましたぞ」
「援軍は何名で、誰が来ていますか」
「援軍は百名、おります。また、カトウ殿とチャド殿も一緒です」
アメイでも良かったが、カトウを連れてきてくれたのなら嬉しい。カトウの腕なら敵の斥候を捕縛できる。
「俺を死んだことにして運ぶ作戦は聞いていますか?」
「先ほど聞きました。百人で来た武僧が百と一名になっていてもわからないでしょう」
全員の食事が済むと、ユウトは武僧に変装した。帰る時は糯米を積んできた馬車に空の棺桶を積む。
敵が手薄になった館を襲撃することも配慮する。
チャドと戦い慣れた冒険者を十名、館に残す。
チャドは快く請け負ってくれた。
「数日、過ごして問題ないようなら帰る。こっちの心配はするな」
西の村に剛腕のチャドがいてくれるなら心強い。
「お願いします。ですが、無理はしないでください。危険と思えば町に連絡をください」
館を出た。トリスタン一家はご丁寧にも喪服姿で送りだしてくれた。
後は騒がず、焦らずに帰る。
隊を率いるママルは肩をがっくりと落としていた。ユウトが亡くなった演技をしている。
隣にいるサジがこっそりユウトに声を掛ける。
「御婆様の演技は中々ですな。本当に僧正様が亡くなったようだ」
ドリエルの演技が動の演技なら、ママルの演技は静の演技だった。見ているだけでユウトでも悲しくりそうだ。葬列を装っての帰路で襲撃はない。
途中、休憩を挟んでいると「パン、パン」と音がする。爆竹を鳴らしたような音だ。
音を聞くとママルががばっと顔をあげる。
「かかったぞ! 縄を持て」と叫ぶと武僧を十人連れて駆け出した。
ママルの足の速さは異常だった。馬より速いのではないかとすら驚いた。
横にサジが寄ってきて教えてくれた。
「どうやらカトウ殿が仕事を終えたようです」
「信頼と実績のカトウだな」と、ユウトは満足した。
二十分後、ママルが縛り上げた男女を連れて来た。
男女は目隠しに猿轡をされた上で縛られている。逃げられない状態だった。
ママルが武僧に命令する。
「空の棺桶に詰めておけ。殺すな、逃がすな、じゃ」
棺桶は広めのサイズだが、二人も入れればギュウギュウである。粗い扱いだが、異論はない。帰ったら色々と聞かねばならない。
敵は捕虜の奪還を敵は試みなかった。すんなり町に到着する。
ママルは寺によって捕虜を閉じ込めた。残りの人員で館を目指すと無事に到着した。
館に着くとハルヒがホッとした顔で出迎えてくれた。
「良かった心、配しました。御無事でなによりです」
「何事も平和が一番だね」
ハルヒは顔を曇らせた。
「お疲れのところ申し訳ないですが、庄屋様が帰ってきたら、至急、会いたいとロックさんから言付かっています」
ロックが急ぐというのなら、本当に急を要する事態が起きた。命も大事だが、経済が止まっても町は立ちいかなくなる。問題が起きる時は続けて起きるから厄介だ。